さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

日本物理学会誌に「水からの伝言」をめぐって 掲載

2011-05-12 22:36:34 | 日記・エッセイ・コラム

昨今、えせ科学が科学を装って、もっともらしく論じられていることに危機感を持っていました。

日本物理学会誌5月号に「「水からの伝言」をめぐって」が掲載されて、物理学会でも本格的に反論するようになりました。いわく「水に美しい言葉をかけると、きれいな氷ができる。ばかやろうと言うと醜い氷ができる」類の主張が広まりつつありました。これを波動とか量子論を持ち出していうものだから、小・中学校の教師も道徳や生徒指導にも使う始末。物理での実験をていねいに想定するだけでも、そのばかばかしさを否定できます。これも一種の水商売でしょう。

私は、筆者の一人である天羽氏がお茶の水大にいるときから、HPに強い関心を持っていました。全く同感でしたから、生徒にも関連団体でも主張してきました。

天羽氏には、圧力もあったことを他から知りました。

少なくとも、日本国民には怪しげなエセ科学をはびこらせてはなりません。ましてや、ビジネスにしてはなりません。そんな魔法はありません。科学立国では無くなります。

まっとうに研究している科学者や論理を踏まえて勉強している人々、文部科学省、経済産業省、厚生労働省及び消費者機関の迅速な調査と対応を希望します。

健康業界、化粧品業界、美容業界やエステティック業界では、まだ怪しげな「水商売」があります。マイナスイオン・・・、還元水・・・、波動エネルギー・・・、クラスター水・・・、アミノ酸系サプリメント・・・と、次々とエセ科学で、もっともらしくビジネスにしています。しかも企業研究者が係わっていることを伺わせる説明もあります。特に健康飲料・食品に多い。統計的に有意な消費者の声はない。有意な臨床試験もない。日本エステティック協会では、注意深く対応するようになりました。

ここまで生きてきて、研究者だからと言って科学者とは限らないことを知りました。

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さっぽろ物理塾 核実験との違い

2011-05-10 11:11:04 | 日記・エッセイ・コラム

1940年代60年代にかけて、アメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国など大国でありたい国家は、原爆・水爆の核実験を太洋の環礁で大陸の砂漠で盛んにしました。核分裂物質の灰は地表に降り注ぎ、高空に舞い上がり南半球からのも北半球のも混じり、ジェット気流や偏西風に乗って世界を覆って徐々に地表や海面に雨にも混じって降り注ぎました。その後40年くらい降り注ぎました。20世紀終わりになって減少するようになったと聞きました。日本の各地での精力的な観測・測定データを公表する時期ではないでしょうか。今だからこそと考えます。

どなたか、40年代60年代核実験期の日本における放射能と放射線の観測データ資料を教えていただきたく存じます。

核実験と原子力発電事故の放射能と放射線のことについての違いを示すことが出来ることでしょう。国民が、対比して知る良い機会になります。科学と技術の違いと関連を知る機会です。

安全は技術の確かさであり、安心は感情の安堵感です。安全安心であって、安心安全ではないことの使い分けをしましょう。

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さっぽろ物理塾 主宰のGW

2011-05-08 10:55:28 | 日記・エッセイ・コラム

5月1日(日)朝顔の種を苗ポットに植える(3種、20粒)、庭・花壇にEM(酵母菌)をじょうろで散布。

   3日(火)防風林に行って妻とヨモギを摘んだ。まだ、小さめ。

   5日(水)餅つき機で草もちを作った、孫たちと。草もち・焼き肉パーティー。毎年のこと。

   6日(木)防風林にヨモギ摘み。妻と。    

   7日(土)孫と石狩市海岸に油田湧出を見に行く。現場はすっかり囲い、ふたをしてあ   り見ること不能、残念。

  我が家の開花宣言・庭の桜そめいよしの花が七つ開花。

   夜、NHKで「東日本大震災」津波の分析、住民の対応解析を視聴した。データー集積、現象把握、分析・解析、さまざまなシュミレーション、今後の対応策の策定の方向性を私なりに考えた。

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日本国憲法を読んで

2011-05-04 11:06:44 | 日記・エッセイ・コラム

憲法は、国家の根本の掟(おきて)です。私は、毎年一度は読みます。

高校時代、社会科の授業のある日は憲法の条文を書く小テストがありました。全員、一生懸命に暗記したものです。

それ以来、毎年、一回は憲法を読みます。今は、空で全文は言えません。

30代になって、日本国憲法は抽象化した、と考えるようになりました。

どうも、日本人は大事なことを抽象化する癖があると言うのが、私の考えです。

日本国憲法は、国家の理念と国家の全分野にわたる現実的な原理原則を示すことで機能すると考えています。

この度の「東日本大震災」では、憲法の機能を待たずに国民・民間の自動が進んでいることを強く感じました。これはこれですごいことを感じました。日本人で良かったとつくづく思いました。

一方、私は、日本国憲法に危機感を持っていたことが現実になっていると思いました。

政治・経済・軍事・文化の世界化が進んでいます。その一方、民族・地方文化の尊重も進んでいます。世界の大勢は、国家の垣根が低くなりつつあります。

エントロピー高揚(あるいはエネルギー高消費)の方向が確実性を増しています。危ない。

私たち地球人は、地球規模で危機管理意識を持つ時代に入っていると言えるのではないでしょうか。

こうした視点で日本国憲法が機能するために、書き加えるべき条文があると思うようになりました。平和、人権、世界貢献、対国家間及び国内危機管理の要素はずいぶん変化しています。

世界に適応して、なおかつ緩やかな民族性の特徴を評価する、そして危機管理に対応している日本国憲法であることが求められているのではないでしょうか。

政党も学者も、第9条を50年以上も議論しています。以前は、あの国この国の戦略の先兵の役割を果たしていたことを知りました。現在の議論は意地としか思えません。好ましくありません。変です。

世界における日本を示すために、学校教育にもなじむ憲法を提案することが大切です。

日本国の理念と現実的な原理・原則を提案することが大切です。

単語の意味するところは時代とともに変化しています。再評価しましょう。文言、整合性を整えて、外国語に翻訳することも意識しましょう。

日本国憲法を念仏やおまじないや枕詞にしてはならないと強く意識しています。