さっぽろ物理塾です

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希望を込めての日記・エッセイです。

日本国憲法を読んで

2011-05-04 11:06:44 | 日記・エッセイ・コラム

憲法は、国家の根本の掟(おきて)です。私は、毎年一度は読みます。

高校時代、社会科の授業のある日は憲法の条文を書く小テストがありました。全員、一生懸命に暗記したものです。

それ以来、毎年、一回は憲法を読みます。今は、空で全文は言えません。

30代になって、日本国憲法は抽象化した、と考えるようになりました。

どうも、日本人は大事なことを抽象化する癖があると言うのが、私の考えです。

日本国憲法は、国家の理念と国家の全分野にわたる現実的な原理原則を示すことで機能すると考えています。

この度の「東日本大震災」では、憲法の機能を待たずに国民・民間の自動が進んでいることを強く感じました。これはこれですごいことを感じました。日本人で良かったとつくづく思いました。

一方、私は、日本国憲法に危機感を持っていたことが現実になっていると思いました。

政治・経済・軍事・文化の世界化が進んでいます。その一方、民族・地方文化の尊重も進んでいます。世界の大勢は、国家の垣根が低くなりつつあります。

エントロピー高揚(あるいはエネルギー高消費)の方向が確実性を増しています。危ない。

私たち地球人は、地球規模で危機管理意識を持つ時代に入っていると言えるのではないでしょうか。

こうした視点で日本国憲法が機能するために、書き加えるべき条文があると思うようになりました。平和、人権、世界貢献、対国家間及び国内危機管理の要素はずいぶん変化しています。

世界に適応して、なおかつ緩やかな民族性の特徴を評価する、そして危機管理に対応している日本国憲法であることが求められているのではないでしょうか。

政党も学者も、第9条を50年以上も議論しています。以前は、あの国この国の戦略の先兵の役割を果たしていたことを知りました。現在の議論は意地としか思えません。好ましくありません。変です。

世界における日本を示すために、学校教育にもなじむ憲法を提案することが大切です。

日本国の理念と現実的な原理・原則を提案することが大切です。

単語の意味するところは時代とともに変化しています。再評価しましょう。文言、整合性を整えて、外国語に翻訳することも意識しましょう。

日本国憲法を念仏やおまじないや枕詞にしてはならないと強く意識しています。