大津勝彦君が亡くなった。
10月23日とのことであった。28日に知った。
彼とは、奔別小学校・幾春別中学校での同期、三笠高校で3年間同級であった。
数学が得意であった。
大学も1年間は同じであった。2年修了後、幾春別中学校の数学教師になった。
僕は札幌校に移って、物理の勉強を続けた。
彼は、高校同級・大学同期の大江光子さんと結婚した。
数年後、夕張の中学校に転勤したと聞いた。組合活動で活躍したらしい。
50代後半の3年間、僕は本別高校にいて、近隣町内の小・中学校を訪問していた。
あるとき、螺湾の学校訪問で組合掲示板に、彼の北教組副委員長立候補のポスターをみた。
一瞬、え、と思った。何が彼のなかで変わったのか。これも一つの権力でなかったのか、と。
高校時代に彼は目覚めたと思う。目的を持って、物凄く本を読んでいた。
あれこれの新聞も読んでいた。活動もしていた。
僕はショウペンハウエルや三木清の哲学入門、ホイットマン「草の葉」(有島武郎訳)も
読んだり、原子や宇宙のことに関心を深めていた。
物理を勉強したら、この世のすべてが分かる気がしていた.
大学時代は社研で社会の理想を共にした。
卒業以降はそれぞれの路を進んだ。
彼の奥さんががんで亡くなった、とクラスメイトからの知らせで、久方ぶりに会った。
以来、クラス会で会っても、どりらも意識しつつ、語り合うことはなかった。
数年前、ケア付きマンションに入ったとはがきが来た。
とても気になって、見舞いに行かなくてはと思いつついた。
10月末、HPお悔やみ欄で彼の訃報を知った。まさか
たどりたどって、ご子息と連絡がついて、ご子息宅に弔問に伺った。
彼の変化について、ご子息は知っていた。
彼のなかで、何かが変わったことを聞いた。僕もそうだったのだ。
僕はとても安心して、ご子息と思い出話が出来た。
ご子息は、地質学・地震学のプロになっていた。
大津勝彦君は良き息子を遺した。素敵な命の繋ぎに感動した。
彼とは、こういう親友であった。
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