東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

宮崎正弘新刊『禁断の国史 英雄100人で綴る教科書が隠した日本通史』(ハート出版。1650円)

2024-08-27 | 日本の歴史

宮崎正弘著『禁断の国史 英雄100人で綴る教科書が隠した日本通史』(ハート出版1650円)

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目から鱗が百枚! 新常識! 新発見!
神話から近現代まで歴史の闇に光を当てる!
──まる暗記の歴史教科書ではわからない! 日本の歴史はもっとドラマチックだ!

<<目次>>
プロローグ 日本の英雄たちの光と影

第一章 神話時代の神々
▼伊弉諾と伊弉冉 日本創造の神様は夫婦であり、異次元に分かれた
▼天照大神(アマテラスオオミカミ) 心優しき女帝、民主主義を実践
▼素戔嗚尊(スサノオ) 暴れん坊だが歌詠みでもあった
▼ニギハヤヒ ニニギの天孫降臨より先に大和の入り口「生駒」を治めていた
▼瓊瓊杵尊(ニニギノミコ) 天孫降臨の場所は高千穂か霧島か?
▼オオクニヌシノミコト 国譲りの立役者は艶福家、薬剤師でもあった
●ウガヤフキアエズ 神武天皇の父親の謎は鵜戸神社へ行くと解ける

第二章 神武肇国から雄略天皇まで
▼神武天皇 「神武東征」の痕跡が到る所に残っている不思議
▲崇神天皇 なぜ神武と同じくハツクニシラスミコトと呼ばれるのか?
▼ヤマトタケル(日本武尊) 無類の武勇もだまし討ちに対応できず
▼神功皇后 男装の女傑、髪型をミズラに編んで戦士として出陣
▼応神天皇 なぜ敦賀で禊ぎを受け、地元の神と名前を交換したのか?
▼仁徳天皇 ピラミッドより大きい御陵は威信と権力を誇示する対外宣伝タワーだ
▲雄略天皇(ワカタケル) 大王にふさわしい武勇と知略、壮大な戦略の卓抜さ
▼顕宗天皇と仁賢天皇 播磨の石室で二十年間隠れ住んだはフェイク。奇跡の凱旋
▼継体天皇 「古志の大王」は豪族の反対で大和に入れなかった説は間違いだ
▲筑紫君磐井 石器文明の覇者、大和朝廷と勇壮に戦った九州男児
▲稗田阿礼と太安万侶 記憶の稀人と編纂の異才が輝かしい古典を残した

第三章 乙巳の変(大化の改新)へ驀進
▼敏達天皇 蘇我氏を側近とし仏教受けいれの下地をつくった
▼蘇我馬子 渡来人と束ね仏教を政治的武器として権力をもぎ取る
▼推古天皇 初めての女帝は聖徳太子の摂政政治で補佐された
▼聖徳太子 豊耳は十人の問いかけを一度に理解できた言語の達人だった
▼蘇我入鹿 傲慢の極、所詮は虎の威を借る狐だった
▼中臣鎌足(藤原鎌足) 政治刷新めざし暗殺の懼れがある中大兄皇子を巻き込んだ
▼中大兄皇子(天智天皇) 白村江敗戦で権威失墜、弟の天武天皇朝は百年続いた
▲阿倍比羅夫 先祖は粛慎(みしはせ)退治で活躍、比羅夫は白村江にも出撃
▼大海人皇子(天武天皇)古代のまつりごとの骨格を設計し国学の基礎を創った
▼持統天皇 強い意志を自ら表現し藤原京に遷都した豪腕女帝
■藤原不比等 何処の馬の骨?じつは天智天皇の御落胤である

第四章 聖武天皇から崇仏鎮護国家へ
▼阿部仲麻呂 遣唐使で長安にあり、玄宗皇帝の側近に登りつめた大学者
▼悲劇の宰相・長屋王 天武天皇の孫、宰相としてまつりごとを主導していた
■鑑真  日本への来航は亡命ではなかったのか?
▼藤原仲麻呂 シナ狂いというハイカラ趣味は日本の政治を漢心に染め変えようとした
●大伴家持 風流と優雅を謳った稀有の歌人は古来より軍人一族の長だった
▼孝謙・称徳天皇(高野天皇) 道鏡との共同統治の夢はまぼろしに消えた
▼弓削道鏡 「悪人」とされた道鏡の巨根説は450年後のフェイク
▼吉備真備 阿部仲麻呂と並ぶ学者だが、歴史を変えたのは軍師の才能だった
▼桓武天皇 瓢箪から駒、長岡京建都を中断し平安京へ遷都
▼早良親王 冤罪の無念に憤死。祟りをおそれ崇道天皇と追号
▼藤原百川 非情、ハードボイルド政治家は希代の策謀をこね回した
▼和気清麻呂 「大功労者」なのに出世が遅れた理由は奈辺にあるのか?
●最澄と空海 二人は蜜月時代から密教をめぐって主導権争いを展開
▼宇多天皇と醍醐天皇 国風を重んじた国粋派の親子
▼菅原道真 学問の神様は国益にはならずと、遣唐使中止を建言した
●平将門 「新帝」を名乗り朝廷に本気で叛旗を翻したのか
▼藤原道長 「この世をば我が世とゾおもう望月の」。本当は誰が詠んだのか?
▼安倍清明 小説に、漫画に、そして四度映画化されたスーパー陰陽師の実像は?
▼紫式部 道長はパトロンだった。宇治にミュージアム、越前市には金ぴか像
▼清少納言 その時代の雰囲気を溌剌と伝える筆力の冴え
▲藤原隆家 左遷でもへこたれず闘争心を燃やし続けた貴族
▼藤原定家 晩年の三島由紀夫は「定家を書きたい」と言っていた

第五章 南北朝から近世へ
▼平清盛 強引な駆け引き、武略と優雅から遠い、貴族政治に陥って挫折
●木曽義仲 芭蕉が傾倒し、保田譽重郎が熱狂的に傾斜した武将の悲運
▼源頼朝 沈着冷静に行動し、正常な国家観をもって鎌倉幕府を実現した偉人
●親鸞聖人 浄土真宗はなぜ急速に民衆の信仰としてひろがったのか
▼亀山天皇 二回に及んだ元寇を『敵国降伏』とし、撃退を祈り続けた
▼後鳥羽上皇 治天の君の象徴、統治三十年で鎌倉幕府に挑戦 
▼楠木正成 忘れていた英雄を六百年後に見つけたのは水戸光圀だった
▼北畠親房と北畠顕家 親子して南朝に尽くした決死の志
▼光嚴天皇 知られざる北朝一代は憂愁を読んだ詩人だった
▼後醍醐天皇 過激な思想家にして扇動家だった我が儘なミカド
▼足利尊氏 戦前まで「三悪人」の一人、戦後は「快男児」と評価替え
▼日野富子 この女傑こそ、「応仁の乱」の影の主役
▼ザビエル 宣教師でもあるが、日本の植民地化を狙った尖兵の役割が大きい
▼明智光秀 主殺しの裏切り者と悪人に仕立てられたが、本質は尊皇家であった
▼織田信長 破天荒な秩序破壊者を祀る神社は明治時代までなかった
●正親町天皇 信長からの退位要請を最後まではねつけた硬骨のミカド
▼豊臣秀吉 『太閤記』は法螺話の集大成、彼の功績は朝鮮征伐という予防戦争だ
▼黒田官兵衛 薬売りの小せがれが秀吉の側近となって異例の出世

第六章 徳川三百年の平和
▼徳川家康 世界史的には早期に「法治国家」を構築し経済の発展に力点をおいた
▼三浦按針 冒険のはてに日本に漂着するや別の運命が開けた航海士
▼石川数正 家康を裏切り秀吉に走ったのは世紀の囮作戦、だが秀吉は見破った
▼天海 家康のブレーンとなった天海は明智光秀だったのか?
▼天草四郎 切支丹バテレンの蜂起というより豊臣残党の反乱が真実
▼支倉常長 期待を胸一杯に遣欧使節の任務をこなしたが帰国したら禁教だった
▼山鹿素行 山鹿流陣太鼓が赤穂浪士討ち入りの合図だった
▼林 羅山 江戸御用学問のトップは家康図書館長だった
▼山崎闇斎と熊沢蕃山 朱子学の行き過ぎが却って陽明学を発展させた
▼荻生徂徠 報われなかった「知の巨人」は何を果たしたのか?
▼新井白石 将軍の顧問であり旺盛な著作家であり歴史に通暁した知識人
▼松尾芭蕉 俳聖の奥の細道は古志の細道、敗者の美意識をさらりと発句した
▼本居宣長 漢心を遠ざけ大和心を重視し、『古事記』の謎を読み解いた
▼大塩平八郎 陽明学者の壮挙(暴挙)の中枢思想も知行合一の精神だ
▼長谷川等伯 能登出身の画家が天下を風靡する
▼伊藤若冲 こつこつと若冲をあつめていたのはアメリカ人資産家だった
▼葛飾北斎 九十回にも及んだ引っ越し魔。日本人の情緒、審美眼を表現した
▼歌川広重 「ヒロシゲ・ブルー」は海外で評価され国際ブランドとなった
■平田篤胤 幕末の志士を震撼させて過激な思想家は秋田の武士出身
■関 孝和 ピタゴラスやアルキメデスに相当する数学者が江戸にいた
●伊能忠敬 人生の後半生を日本地図の測量にかけた地理学兼天文学者

第七章 幕末から維新へ
■マシュー・ペリー 黒船を率いた代将は日本の鎖国の扉をこじ開けた
▼吉田松陰 憂国者の代名詞、留魂録は日本精神を震撼させた
▲佐藤一斉 多彩な学問を追究した先駆的教育者
▲藤田東湖 水戸学の尊皇攘夷を思想に高めた家老
▼武田耕雲斎 水戸学の悲劇の主人公は敦賀に散った悲運の家老
▼佐久間象山 天才的な発明家にして開明的な思想家は誤解されすぎた
▲近藤勇と土方歳三 反近代、趨勢に逆らったが武士の美意識に生きた
▼高杉晋作 暴走族の元祖、死はあまりにも早くやってきた
▼島津斉彬 藩財政を傾けても西洋技術を誰よりも早く取り入れた英明なる藩主
▼坂本龍馬 グラバー商会の代理人とは武器商人。なぜ竜馬が過大評価されるのか
▼井伊直弼 強すぎた信念、幕府へ忠誠は時代錯誤だったのか
▼木戸孝允 冷静沈着にして『逃げの小五郎』が明治政府の元勲となる
▼西郷隆盛 維新の原動力となった『西郷は日本の思想である」(江藤淳)
▼勝 海舟 大風呂敷を広げた向こう見ずな度量、法螺話の『氷川清話』で過大評価
▼徳川慶喜 優柔不断で幕府を潰しても、反省の色無し。徳川菩提寺に位牌なし
▼小栗上野介 竜馬や渋沢栄一より早く企業経営を見透していた
▲大久保利通 近代国家の設計図を引いた大政治家
▼伊藤博文 憲法、議会、政党政治をいう近代化を仕上げた初代総理

エピローグ 日本の歴史物語


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