東アジア歴史文化研究会

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『士魂 福沢諭吉の真実』(海竜社) 前拓殖大学総長・渡辺利夫著

2016-07-31 | 日本の歴史

文明開化、西欧化という福沢諭吉像を根底から逆転
福沢は武士の魂魄を最も重んじ西郷を敬愛し勝海舟と榎本武楊を侮蔑していた
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日本人の福沢諭吉像は、とくに戦後、左翼思想の蔓延によって、歴史観がたっぷりとおかされたため、福沢は歪んで評価されてきた。

論考の一部分を突出させ、重箱の隅をつつくような論評が多く、福沢を「西欧かぶれ」、「商業主義者」と断じたわけだが、せいぜいが『学問のすすめ』と『文明論之概略』くらいしか読んでいないからだろう。『脱亜論』と『痩我慢の記』はあまり重要視されていない。そればかりかこの二つの作品に対しては悪評が多く、ときに福沢にはウルトラ右翼のレッテル貼りもなされた。

福沢はときの政府を筆法鋭く批判するメディアを創刊し、死の直前まで健筆をふるったが、一方で朝鮮独立分子を支援し、留学生を自宅で扶養し、あげくには独立運動の闘士だった金玉鈞を匿った。つまり「武士の魂魄」を至高の価値として重視した稀な愛国者であった。

福沢の思想の基本は「武士は二君に仕えず」であり、そして一番重要なことはマーター(殉死、殉教)であると言っている(福沢は「マルチムドム」と書いた)。したがって西郷への哀惜は尋常ではなく、その反面で、武士道の風下にもおけないのが勝海舟と榎本武楊であると筆誅を加える。激しい筆法、武士の憤怒の声が聞こえるほどの文章である。

そうか、福沢は三島由紀夫の思想的源流ではないか。三島は二君に仕える石原慎太郎を批判し「公開諌言状」を新聞に書いたし、マーター(殉死)という文脈で「神風連の乱」を高く評価した。三島の檄文は福沢の脱亜論に通底するものがあり、この思想のあまりの近似を考えつつ読了した。

評者(宮崎)は慶應義塾のライバル校に入学したため、福沢の名前は知っていたが、青二才の頃は戦後教育通りの解釈で、福沢を重視したことはなかった。ところが、学生新聞の編集に携わり、林房雄氏邸に頻繁に出入りするようになると、林は福沢の中津藩のとなり竹田藩武士の末裔でもあった所為か、福沢を公平にみていた。林はライフワークとなった大河小説『西郷隆盛』全二十二巻に挑んだが、大久保利通も公平に扱っている。

そこで評者はあるとき思い立って大分県の中津へ出かけ、福沢諭吉記念館を見学した。近くには黒田官兵衛が築城した中津城もあるが、福沢記念館の展示のほうが面白かった。数年後、ある出版社から福沢を書けといわれ、特急で福沢論を仕上げたこともあるのだが、それは三十年以上も前、その後にまた中津へ立ち寄る機会があった。福沢記念館に出かけて、新しい展示などに見入った。こうした私的体験からも、福沢は間違って解釈されていると考えてきた一人である。

渡辺利夫氏の著作は、このような誤解を爽快に吹き飛ばし、資料と著作を正確に咀嚼された結果、従来とはまったく別の、真実の福沢諭吉、その本当の業績が浮かび上がってきた。本書は伝記、評伝というより、福沢の思想遍歴を論じた、斬新な「福沢論」である。

▼天は人の上に人を作らず

福沢が尊き価値とした一つは自立自尊、すなわち「独立」だった。このため外国との不平等条約の撤廃もしくは改定なくして独立などあるか、という原則がでてくる。これは今日に日本の状況とまるで同じで、日米安保条約という不平等条約、核拡散防止条約そのほか、こうした不条理を受け入れてテンと恥じない日本ははたして独立国家と言えるのか。

福沢は書いた。「今利害を別にして、人情を異にし、言語風俗、面色骨格に至るまでも相同じからざる、この万里外の外国人に対して権力の不均衡を想わざるものはそもそも亦何の由縁なるや。突突怪事というべし」

渡邉氏はこう捉えて補足する。「国権そのものが外国によって暴力的に抑圧されかねない状況に、目下の日本は直線していていないか」として、次の福沢の箴言を続ける。

「裡話に、さざえが殻中に収縮して愉快安堵なりと思い、その安心の最中にたちまち殻外の喧嘩異常なるを聞き、窃かに頭を伸ばして四方を窺えば、あに図らんや身はすでにその殻と共に魚市の俎上にありということであり、国は人民の殻なり。その維持保護を忘却して可ならんや」

嗚呼、まさに今日の日本の危機はまさに同じではないか。アメリカの核の傘と在日米軍の存在に安心して国家安全保障を他人に依拠し安堵している間に、南シナ海、尖閣は中国軍が侵略の牙を研ぎ、アメリカは撤去をはじめようとしている。この預言的な福沢の洞察は、おそろしいほどに正鵠を得ている。

福沢は「忠君愛国」についてこう述べている。「忠君愛国の文字は哲学流に解すれば純乎たる私情なれども、今日までの世界の事情においてはこれを称して美徳と言わざるを得ず、すなわち哲学の私情は立国の公道にして、この公道公徳の公認せらるるは、ただに一国のおいて然るのみならず、その国中に幾多の小区域あるときは、毎区かならず特色の利害に制せられ、外に対するの私を以て内の為にするのを公道と認めざるはなし」

この最後の箇所を渡辺氏は「一国が衰退の危機に陥るような時期においては、死んでも国を護る気概をもつことが公道そのものなのだ」ということである。

これが福沢の次の文章に繋がる。「自国の衰退に際して、敵に対して固より勝算なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽くし、いよいよ勝敗の極に至りて始めて和を講ずるか若しくは死を決するは立国の公道」

まさに大東亜戦争の特攻隊、硫黄島、三島由紀夫の諌死。すべては、この発想に繋がる。近づく終戦記念日、靖国に詣でる前に姿勢を正して読むべし。

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