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東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

アントニオ・グラムシを知っていますか(「加瀬英明のコラム」)

2019-03-29 | 歴史の真実
平成の最後となる新しい年が、明けた。

いつものように、八百万千万様(やおろずちよろずさま)に感謝したうえで、屠蘇を酌みながら、色鮮やかな御節にしばしみとれた。

このような親から子へ受け継がれてきた慣習が、日本を日本たらしめてきた。

祖母や父母が、初(はつ)明り、元旦の空の色を初茜(はつあかね)、年が明けて初めて食べるものを初物(はつもの)、はじめての入浴を初湯(はつゆ)、はじめて見る雀を初雀、鳥の声を「あ、初声(はつごえ)だ」や、初買いといったものだった。

母が初化粧、初髪、はじめて着物に袖を通すのを初袷(はつあわせ)というたびに、子供心にすべてが改まるのだと思って、心が引き締まった。

三賀日には、友人たちが家にいても退屈なのか、年賀に訪れてくれた。それでも、年が改まってはじめて会う初会(はつえ)だから、清々(すがすが)しい。

もう3、40年になるか、このところ新年が新年らしくなくなった。

近くの神社に詣でるために通りに出ると、初荷もなくなった。

初(はつ)がつく言葉といったら、初夢、初詣、出初式、魚河岸(かし)、青果市場(やっちゃば)の初商い、茶道の初釜、武道の初稽古など、数えるほどしか残っていない。昭和は遠くなった。

年末からの休みを、昨秋ワシントンを訪れた時に、アントニオ・グラムシ(1891〜1937)の英文の著作集を求めて、久し振りに読んだ。

グラムシはイタリア共産党の傑出した思想家だったが、私は1960年代にアメリカに留学した時に著作集に出会った。読みなおすと、この異端な共産主義者による予言が当たっていることに、慄然とさせられた。

グラムシは当然のことに、共産主義者としてグローバリストであり、「ヘゲモニー(指導)装置」と呼ぶ「国家の消滅」を目標としたが、階級闘争によって歴史の必然として革命が成就して、共産社会が実現するというマルキシズムの理論を否定して、第2次大戦前の1937年以前に、粗暴で権威主義だとみたロシア(ソ連、中国、北朝鮮など)モデルの社会主義体制が、瓦解することを予見していた。

グラムシは先進国において科学技術が進み、豊かさが増した結果、上部構造に従属してきた社会集団が分解して、ヘゲモニーが理論も、革命への自覚も欠き、まったく組織されることがない、一般の人々に移ることによって、国家が漸進的に消滅してゆくことになると、見透した。

グラムシは伝統に根ざしている慣習を、「歴史的堆積物」と呼んで、滓(おり)とみなした。人々が在来文化の鎖によって繋がれてきたが、古い鎖が溶解してゆこうと説いた。

グラムシは慣習によって束縛されてきた従属社会集団が、個人に何よりも高い価値が与えられることによって、解体してゆくことを予見していた。私たちの身の回りでも、社会を統べてきた慣習が、人々を束ねてきた機能を急速に失うようになっている。

この10年ほど、アメリカではクリスマスが商人が仕掛けた罠にいっそうなるかたわら、「メリー・クリスマス」という挨拶を交わすことが、禁忌(タブー)となっている。

アメリカの都市部で、多くの国民の教会離れが進んでいるが、無信者、ユダヤ教徒や、イスラム教徒などを差別するといって、「ハッピー・ホリデイズ」と挨拶するのが、良識とされるようになっている。

オバマ政権の最後の年に、自分がみなしている性別に従って、男女どちらの便所を使ってもよいという、大統領令が発せられた。さすがに、いくつかの州が憲法違反として、連邦最高裁に提訴した。

この大統領令は、トランプ政権によって撤回されたものの、リベラルな有権者の牙城であるカリフォルニア州では、いまだに多くの保育施設、幼稚園、学校などのトイレに、「ジェンダー・フリー」(性別なし)と掲示しており、保守派の州民が強く反発している。

4年前になるが、『ニューヨーク・タイムズ』紙が、「ミスター、ミセス、ミス」と呼ぶと、「差別」になるから、「Mx」と呼ぶのが正しいという、かなり大きな記事を載せていた。

その数日後に、アメリカ大使館のクリントン大使の次席だった、女性の公使と夕食会で会ったので、「Mxを何と発音するのですか?」とたずねたところ、あなたはアメリカ通を自称しているくせに、そんなことも知らないのかという表情を浮べて、「それは“ミックス”と発音します」と、教えられた。

このところ、日本を含めて先進社会で、“差別語”を排除する“言葉狩り”が、力を増している。

グラムシは言葉が備えている強い力に注目して、「言語は世界観を表しており、日常用いられる言葉が、人々の思考を変えてゆく」と述べているが、言葉と慣習こそが社会をつくってきた。

私はグラムシの論集をはじめて読んだ時には、才気溢れる夢想家だとしか思わなかった。だが、未来を予見していたのだ。

個人を聖なる地位につけると、すべての人のありかたを尊重せざるをえなくなって、差別と区別の境い目が消える。男女をはじめ、区別すること自体が差別となる。

日本でもLGBTが市民権をえて、脚光を集めている。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスセクシュアル(性同一性障害者)の頭文字であり、先天的、後天的な性的指向をもつ人々を指している。

昨年、杉田水脈衆議院議員が「少子化対策の予算を、LGBTに使うこと」を批判したところ、メディアによって叩かれた。1月に平沢勝栄代議士が講演会で、「LGBTなど同性愛者ばかりとなると、国が潰れてしまう」と述べて、非難を浴びた。

私は杉田議員、平沢議員による指摘のほうが正しく、大騒ぎするほうが誤まっていると思う。

もっとも、アメリカでは『ニューヨーク・タイムズ』をはじめ、大手の新聞、テレビは「LGBTQ」といって、かならず「Q」がついている。Qはクイアーqueer(変態)で、クイアーも差別の対象としてはならない。10年ほど前までは、「クイアー」は白眼視されたが、いまでは胸を張って「私は(アイム・)変態だ(クイアー)」といえるようになっている。いまのところ、日本ではまだQが除外されている。
イギリスでは『ロンドン・タイムス』をはじめ大手のメディアが、LGBTQIといって、Iを加えている。Iは「インターセックス」の頭文字で、自分が男か女か分からない人を指しているそうだ。

最近、イギリスで行われた調査によると、LGBTQIが市民権をえるようになってから、LGBTQIの人口が急増している。イギリスの知識人雑誌『スペクテイター』によれば、LGBTQIが3人に1人に達しているという。

イギリスの友人からロンドンの街角で、スシなどの日本料理を宅配するバンに、「Creating a world where everyone believes in their authenticity」(自分の価値を確認できる世界を創ろう)という宣伝文がかかれていたのを見た、という手紙を貰った。

和食がひろまっていると知らせてくれたのだが、私にはいったいどうして、和食が自分の価値に係わっているのか、理解できなかった。

他のあらゆる商品についても、消費者が自己中心になって、自分が聖なるものとなったために、1人ひとりの嗜好に合わせなければならない。画一的な大量生産、大量販売の時代が、過去のものになってしまった。

それとともに、画一的だったからこそ、時代を超えて社会を束ねてきた慣習が、力を衰えさせるようになっている。

グラムシは、トランプ政権の「アメリカ・ファースト」、アンチ・グローバリズムのイデオローグの教本となっているといわれる。ホワイトハウスの国家安全会議(NSC)の親しい補佐官も、「アメリカが溶解してゆくのを防がねばならない」といって、熟読していた。

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