goo blog サービス終了のお知らせ 

犬猫と日向ぼっこ

ミックス犬と二匹の猫と一緒に送る毎日の記録と庭の草花の栽培日記。また、旅行先での記録などを綴る。

昨日は 手術記念日

2006-08-03 09:24:18 | 思い出
昨夜は広島方面ではかなり雨が降ったらしいが、こちらはさっぱり。

モモが騒ぐので外を見ると、時々空が赤く光っていた

広島方面からだった。その雨 少しこちらに欲しかった。

今朝、掃除していてふっと思い出した。

8月2日は私の手術記念日。31年前、大学病院で腎盂形成術という手術

をした。あれからいろんなことがあったので、何年経ったか忘れそうになる。

約50日の入院だったが、いろんな人に出会って、人生勉強になった。

6人部屋で同室の人の年齢も幅広かったので、はじめはどう過ごしたら

いいのかなあと思ったが、少し年上のお姉さんがいてあれこれ教えてくれた。

私の主治医は二人で、一人は国家試験に通ったばかりくらいの若い先生

もう一人は少し年上の志村けんに似た(当時)既婚の先生。

志村けん似の先生は「広島県の名医」という本に出ていた。

最近、本屋で立ち読みしたのだが(人のことは言えないが)

年をとったなーと思った。

若い方の先生は、純情そうな人で私の状況を見に来る時、同室の

おばちゃんたちの目を意識してかなり緊張していた。

先生でなければ出来ない注射をする時、みんなの目があるので

チョー緊張して、なかなかうまく出来ず結局看護婦さんに頼む

という事も何回かあった。「モー先生は‥」とか言われながら。

今は 「患者様」という言葉を普通に聞く時代になったが、

当時は小説「白い巨塔」にでてくるように、教授の回診が大名行列の

ようにあり、教授はお殿様のように威張っていた。

病院も建て代わりきれいになり、いろいろな仕組みも変わった。

患者さまという言葉だけでなく、気持ちも言葉に沿ってもらいたいと

思う。


小学生時代の文具

2006-08-01 09:48:00 | 思い出
暑いし、新しいネタもちょっと見つからないのでポケットから一つ。

新聞の切抜きを掃除の時整理していたら、A新聞の生活欄にあった

「モノ」というコーナーにコラムニストの中野翠さんが

「セルロイドの箱」というタイトルで書いたものがあった。

今の人はセルロイドと言っても何か分からないと思うけど

私たちの時代には今のようにプラスチック製というものがなかったので

色んなものがセルロイド製だった。

子供の頃歌った「青い目の人形」という歌の歌詞に

「アメリカ生まれのセルロイド」という言葉も出てくる。

文具、特に筆箱 下敷きといったものはセルロイド製だった。

その筆箱には忘れられない思い出がある。

一年生になるとき、近所の店で買ってもらった筆箱がきつくて

なかなか 開けられず、一生懸命開けようとして開いた時は

中のものは散らばって落ちているという状態になった。

今のようにファスナーで開くようになっているのではなく、

筆箱というように、箱のようなものだったのできつかった場合

開けるコツがいった。しかし、小学一年の私にはなかなかそのコツが

飲み込めなかった。

それで暫くして、新しいものを買ってもらった。

当時はこのセルロイドの筆箱や下敷きに、線香で小さな穴を開け

その穴とに通した糸を結び、消しゴムがなくならないように

していた。今の子供が見たら笑うかな?それともいいアイデアと

感心するかな?

ふと思ったのだが、鉛筆 シャーペンを入れるのに

筆箱
というのもなんかへん

今はペンケースというのだろうか?


ドーナッツとフクロウの思い出

2006-07-30 14:28:38 | 思い出
昼のテレビ(ぽちたま)で、神石高原町の

「フクロウを育てるおばあさん」のことをしていた。

ローカルニュースで、春に何回か見たことがある。

毎年育てて、大きくなったら山に返してあげているということで

家にはフクロウの部屋もあった。

私が保育園児だった頃、約50年前、保育園にフクロウが飛んできた

ことがあった。朝 行ったら二階の遊戯室の窓にとまっていた。

はじめて見る鳥で、みんなで大騒ぎをしたことを覚えている。

その後、フクロウがどうなったかは残念ながら覚えていない。

この保育所はお寺の境内にあって、園長先生はお寺の坊守さんでも

あるおばあちゃんだった。

当時 今思えば戦後の何か援助物資があったのか、給食はなかったが

冬には豚汁(今ほど豪華なものじゃないけど)がでたり、おやつに

ドーナッツがでたりしていた。

今のようなドーナッツではなく、硬いもの。

ちょっとした学校ほど子供はいたのだから、作るのも大変だったと思うが

その時しっかり食べたので、私は今はドーナッツがあまり好きではない。

その頃 冬には弁当を温めるたんすのようなものがあった。

底に網を張った引き出しに弁当を入れ、一番下に火鉢のようなものが置いて

あり、それで入れた弁当を温めるというもの。

昼食時に引き出しを先生が開けると、色んな弁当が温まった

なんともいえない臭いに包まれた。決して変なにおいではないが。

その保育所もきれいに建て代わって、私の娘たちもお世話になったが

最近、廃園になった。これも少子化の影響。

さみしいなー


今日の花火大会は中止だろうか?

2006-07-24 14:06:04 | 思い出
天気予報どおり、昼になると雨が上がった。

今日のわが町の花火大会は、どうなるのだろうか?

川の水も増えているだろうから中州での打ち上げは難しいかも。

花火大会は夏休みに入って一番初めにある楽しい行事で

この後 地区で行く海水浴 そして親戚がやってくるお盆

地区で行う夕食会(カレーを食べる会)と楽しい事が続いた。

当時は車もなかったので、個人の家で行く海水浴というものはなく

地区でバスを借り切っていくのがとても楽しみだった。

まだ小さかった頃には、宮島の浦にある海岸に言った事もあった。

私が学校に上がる前。

貨物船で運んでもらって行ったので海上保安庁に見つからないように

と大人が気にしていた。もちろん子供だったのでその頃は分からな

かったが、今思えばあの話はそうだったのかと。

海岸はきれいだったが松林あったので、砂浜には松葉が

沢山落ちていた。

幼くやわらかい私の足の裏には、この松葉が刺さったりして

いつも、近所のお姉さんに抱っことてもらって移動していた。


役員の人が作ってくれる飴湯も楽しみだった。

半世紀前の話になる 年取ったなー。

のんびり昼寝のたまちゃん






紅茶ゼリーを作ろうかな

2006-07-21 08:32:00 | 思い出
先日 子供から神戸への日帰り旅行の誘いがあったことをブログに

書いたら、いつも愛読してくれる友人が「行ける時に行った方がいい」

と電話をくれた。彼女は今、お母さんの看護で病院通い。

私も、自分の体や親の体の調子が良いうちに行ける時に行って

おこうと思う。

昨夜、三人がそろったので神戸に何時行く事にするか話し合った。

いつも暇な私、休暇をとり易い職場の長女の二人で、次女の休暇が

取れる日を聞く。話し合いの末、9月に入って行くことになった。

その後 仕事のことを娘たちが話していて、

「お母さんのような事は、ようせん(出来ない)」といった。

私が働きながら、子育てをした時のまねは出来ないと。

「よく頑張ったと思うから、今 ゆっくりしてもいいよね」と

私が言うと、二人とも「もちろん」と言ってくれた。

私がしていた事は、同じ職場の殆どの人がしていた事だが

少し違う事は、夫が長男だったと言う事。

核家族がゆっくりできる長期休暇(盆・正月)も家では

休みはなかった。この話はちょっと言いたいけど、言えないので

やめておく。夫の死とともに私には、ずーと長期休暇がやってきた。

昨夜、子供が小学生の時、学校から帰って寂しくないように冷蔵庫に

入れておいた「紅茶ゼリー」の事を娘が懐かしがったので、今日は

作ろうかな。