犬猫と日向ぼっこ

ミックス犬と二匹の猫と一緒に送る毎日の記録と庭の草花の栽培日記。また、旅行先での記録などを綴る。

桜が咲く頃にはよく雨が降りますね~

2007-03-31 18:00:08 | 
今日は いつものボランティアの会で広島に行ってきた。

この季節 電車に乗ってぼーと外を見るのも悪くない。

線路沿いの家や山 そして、線路のすぐそばにもいろんな花が咲いている。

最近はあまり電車に乗らないが、若かりし頃通勤、通学で乗っていた頃は

今頃よく山つつじを見ていた。

しかし、今日観察したけど少なくなっている。

線路のそばの山の岩肌とかによく咲いていたんだけど‥。

さみし~い。


広島 基町の川沿い(元安川だったか?)にある桜は私の判定

では三分か四分くらいだった。

昨夜見た歌番組で、横浜の外人墓地から 「アンジェラ あき」さんが

満開の桜のそばでピアノを弾いて桜の歌を歌っていた。

吹き上げ御所(だったか)では、「一青窈」がハナミズキという歌を

歌っていた。どちらも物語の説明があった。

準備も大変だったろうなと外での生放送を見ながら思った。


その同じ局で放送されていた「芋 たこ なんきん」も今日で終わり。

来週からこれまたさみしいな~。

今日は健次郎さんの葬儀の場面で、町子さんが喪主の挨拶をするところ

があった。「おかしかったら、笑ってください」といって

エピソードを話した。

終わった時 参列した人たちが拍手をしていた。

普通なら考えられないところだ。

私も知り合いの葬儀に参列した時、喪主の方が上手に個人のことを

話されたときには、思わず「そうそう」と拍手をしそうになる時がある。

最近は そのシーンになると手を硬く握っていたりする。




あと一回 今日もダブらせて

2007-03-30 09:28:23 | 思い出
今朝も「芋 ‥」を見た。

「わしはずっと、あんたの味方やで」と健次郎さんが言うシーンがあった。

町子さんが「何か言って」と頼んだ時に健次郎さんが言った言葉。

「町子 愛してる」とか言ってという町子さんのリクエストとは

違ったが‥。

私も町子さんと同様「○○、愛しているよ~」という言葉を言って欲しかった。

しかし、「なにか、今から一人で暮らしていく私に言葉を残して‥」

といった私に夫は

「三人(娘たちと私)の事は心配だから、ずっと気にかけておくからね」

といってくれた。

言葉は違っても、健次郎さんの残した言葉と同じだと思った。


夫亡き後、たった5年だけどいろいろあった。

しかし、いつもこの言葉を思い出し「見ていてくれるから‥」と

頑張った。


今日の放送で葬儀の喪主挨拶を町子さんが考える場面があった。

わたしは夫の葬儀の時、ありきたりの葬儀社の見本を使ったものは

したくなかった。

あとから娘に聞いたのだが、夫は誰がこの挨拶をするのか

気になっていたようだ。

娘に「お母さんが言っておきたいことがあるので、挨拶は自分が考えて

するから」といっていたので、そのことを娘は伝えたらしい。

「そうね」と夫は言ったと、そして「安心してたよ」と娘が

葬儀が終わって落ち着いた頃、話してくれた。


夫のストレスの元となった仕事上のことなどを、話さずにいられなかったから

さりげなく入れて挨拶をした。

気丈に挨拶した、しっかりしている‥など後から聞こえた言葉だけど

私はフツーのおばさん。

ただ、夫の事を大切に思い、真面目なものが不利を受けるような職場に

本人に成り代わり“もの申し”たかっただけ。

言ったから変わるわけじゃなくても、言いたかった。


「もう、ええよ~」と夫は言いそうだったが、私にとっては

許す事ができない人たちが何人かいたから。


でもね控えめには言いましたが、夫だったらそうだろうと思って。

自分の体験とダブって

2007-03-29 09:10:45 | 思い出
悲しい内容の今週の「芋 たこ なんきん」。

今日は 町子さんのお母さんが健次郎さんを見舞い

その手を握って「がんばって」(大阪弁で言ったが)という場面があった。

言う方 聞く方 どう思っているか‥。


我が家の夫が入院中、亡くなる一週間前に私の母が見舞いに来て

「あんたを頼りにしていたのに‥」と涙ぐんだ。

他の見舞い客は、その時もう断っていた。

夫に了解を得て入れた母が言った言葉に、夫は

  「お母さん お世話になりました。」といって、

今日の場面にあるように母の手を握った。


その後 夫は娘たちとも一人ずつと話す機会をもち、わたしにも

「あんたがいてくれてよかった」といってくれた。


ドラマにあるような言葉は、夫から聞かなかった。

私もそのようなことを言うと、「別れが来る」のが恐かったので言わなかった。

いっぱい言いたいことはあった。


本当は 臨終の間際に部屋に二人だけになって

思っていることを、返事はしてもらえなくても話したかった。

聴覚だけは一番最後まで残っているはずだから‥。


今となって、一番悔いの残る事です。


でも、千の風になって私のブログヲ診て分かっているだろう

パソコンはまだ得意じゃなかった夫だけど‥。



私の周りの 「にゃんこ先生」たち

2007-03-28 13:53:01 | 犬 猫

我が家のタマちゃんが テレビを見ているところ。

NHKの猫の行動を観察する番組で、カメラをつけた猫が庭を散歩する場面で

彼女はTVに釘付けになった.

最近 一番のご主人であるおねえちゃんの帰りが遅いので、7時を過ぎると

何回も玄関に行ってみる。私が可愛がっても、お姉ちゃんが一番!

次は 乱暴者の「ひろし」です。放浪生活の後、我が家に居つくようになって

約三年くらい。相変わらず手癖が悪く、ご飯をやるときも油断すると

猫パンチされちゃいます。そのくせ、お昼は私の自転車のかごで

昼寝をしています。最近は「ひろし」と呼ぶと尻尾は振ってくれます。

今日の最後は 「フジコ」です。

我が家に現れて、5年くらい。その間一度出産して元気な男の子を三匹

生みました。しかーし、大きくなったのにみんな行方不明になってしまいました。

男の子はけんかするからね。

その後 手術したのでもう出産することもなく、我が家近辺で呑気な生活を

しています。

私が買物から帰って、車をバックで駐車場に入れ始めると、どこからか現れます。

この子は、私に一番なついています。遠くにいるのを見つけて

「ふじこ」と呼ぶと走ってきますし、隣に回覧板を持っていくときには

にゃーにゃー (どこいくーん)と付いてきます。

たま 以外は外猫です。

次回は たぶんおばあちゃん猫 年齢不詳の「ミルク」を紹介します。


今週で終わる さみしいな

2007-03-27 08:48:46 | 思い出
「芋 たこ なんきん」を見ながらブログ更新。

今週はつらい内容だし、来週からさみしいな

医師から町子さんと順子さんが病気の説明を受けるところから

今日は始まった。

病気の状態(完治しない、あと、半年か一年)をを聞いた町子さん

の目に涙がじわ~と。

演技とは分かっていても、「そうなるよね」と私は思った。

「何を聞きに来たのか」

「本人に言ったから家族に話すことは普通はしてない」と、

言われながら「桜が咲く頃まででしょうか」という医師の言葉を

聞いた時 私の目に涙があふれてきた。

自宅に帰った町子さんに、秘書の順子さんが

“ 今まで夫婦仲良くなんでも話してきたのだから、大先生に今日の話を

  話したほうがいい ”といっていた。

私の場合 「桜の花が‥」という事は術後の夫にいえなかった。

仲のいい夫婦であっても。

早くにその話していたら、残った時間を

夫はどのように過ごしただろうか‥時々思う。

「ぼくとあんたが逆だったとしても、そうしたから(早くに全てを

告知しなかった事)」といってくれたが。


ただひとつよかったと思うのは、再入院の三ヶ月間を個室で

夫の妻、兼 秘書(通訳かも)として過ごし、最期を看取ることができたこと。

たしか、田辺さんも 「見送る事ができたのはよかった」といっているのを

聞いた事がある。

残されて、一人で何年過ごす事になるのか、昨日のブログのようなことがあると

いやになることもある。

しかし、一歩か何歩か、先に旅立った夫が見守っているから

頑張って これも脳への刺激と思っていこう。


昨日の事については しかるべきところに話を聞いてもらう事にした。

ない知恵をフル回転して、生きる知恵を習得していきます。