歴声庵

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芸藩志

2006年06月17日 22時16分50秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 先日都立図書館でコピーしてきた「芸藩志」をようやく読み始めました、この「芸藩志」全27巻(?)にも及ぶ大作で、前半は幕末から明治4年までの芸州藩の動きを描き、残りは戊辰戦争に参加した芸州藩の各部隊の動きや、半士の禄高等が描かれた、御幣があるかもしれませんが「防長回天史」と「薩藩出軍戦状」を一緒にしたような内容ですかね。
 そんな大作ですので、私がコピーしたのは全体のほんの一部で、鳥羽伏見の戦いに参加した芸州藩兵の記録の部分と、越後派遣軍の記録についてコピーしました。
 この芸州藩の越後派遣軍の兵力の詳細については、「戊辰役戦史」で計230名と書いてくれているのですが、ではその230名が計何小隊だったかと言うのを書かれた史料を今まで読んだ事が無かったので、この芸州藩越後派遣の詳細をずっと知りたかったのですが、この芸州藩の一次史料である「芸藩志 第18巻」を読んで、ようやく越後派遣軍の詳細が判り喜んでいます。新整組(選抜された足軽小銃隊)5小隊と遊撃隊(士族の師弟から選抜された小銃隊)1小隊、そして砲2門が正確な戦力みたいです。
 ただ芸州藩越後派遣軍の兵力の詳細が6小隊(新整組と遊撃隊の合計)と砲2門とは判ったのですが、どうやらこの「芸藩志」を読む限り、芸州藩兵の軍制は新政府軍の薩摩・長州・松代、同盟軍の会津・米沢・庄内等とは違って専任の小隊長は定められていなく、組頭や組頭添役がその都度小隊長の任に就く体制らしく、専任の小隊長を持つ前述の諸藩兵とは異なる軍制のようですね。

 何はともあれ、ようやく読み始めた芸州藩越後派遣軍についての一次史料の、この「芸藩志 第18巻」ですが、これからも読み込んで当サイトの北越戦争の記事に追記していきたいと思います。

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