先日の雑記で書いた通り「甲州勝沼の戦い」の記事を見直す為に、史料を探しに久々に都立図書館に行ってきました。ただ、くるすさんのコメントを読む前に出かけてしまったので、くるすさんの推薦する本を読む事は出来ず、正直新選組関連では目ぼしい史料を見つける事は出来ませんでした。
そんな訳で目星をつけずに手当たり次第に新選組関連の本を読んでみたので、先日の雑記の愚痴になってしまいますが、トンデモ的な書籍ばかりが印象に残ってしまいました(汗) まあ書名は挙げませんが中には勇ましい本もあって、勝沼の戦いで甲陽鎮撫隊が奮闘し、斉藤一の隊が何人もの新政府軍兵士を斬り倒したと書かれたのもありましたが、そもそもこの戦いでの新政府軍の戦死者は鳥取藩1名だけなんですけどね。正直新選組研究家の大半は他の史料を読まないと言う思いが強くなってしまいました。
もっとも甲陽鎮撫隊が善戦した言うののに対しては私もそう思っています、これは新選組側の本でも「勝沼ではあっさり負けた」と書かれているのが多いですが、実際谷千城はは甲陽鎮撫隊の三面包囲には成功しましたが、河田景与率いる後詰が来るまで甲陽鎮撫隊を撃破出来なかったので、実際には新政府軍にとって楽勝と言える戦いではなかったと判断しています。
話は脱線しましたが、上記の通り新選組関連の史料探しは不作でしたが、新政府軍側の史料は「鳥取県郷土史」「鳥取市史」「土佐藩戊辰戦争資料集成」他に山国隊関連少しと色々コピーしてきたので、これからじっかり読んでいきたいと思います。
余談ですが勝沼の戦いでの新政府軍の主力は土佐藩兵と鳥取藩兵ですが、この土佐藩と鳥取藩で微妙に布陣の記述が違うのですが、当サイトの記事は鳥取藩の記述に準じています。
しかし今日コピー出来た史料の中で一番の大当たりは「芸藩志」です、これは名前の通り芸州藩の記録なのですが、その18巻には北越戦争で黒田清隆率いる海上別働隊に参加した芸州藩兵の全記録が掲載されたていたので、小躍りしたいくらい嬉しかったです(^^)
この黒田隊に参加した芸州藩兵は新潟攻防戦、及びその後の下越戦線での戦いで活躍しましたが、いかんせんその詳細が今まで判らなかったのでこの史料は本当にありがたいです。正直今まで当サイトの北越戦争の記事では、新整組と遊撃隊の組み合わせとしか書いていなかった芸州藩兵に対して、これでもっと詳細な陣容と動きが書けるので、本当に今日はこの「芸藩志」のコピーを抱いて寝たい気持ちです(^^)
そんな訳で目星をつけずに手当たり次第に新選組関連の本を読んでみたので、先日の雑記の愚痴になってしまいますが、トンデモ的な書籍ばかりが印象に残ってしまいました(汗) まあ書名は挙げませんが中には勇ましい本もあって、勝沼の戦いで甲陽鎮撫隊が奮闘し、斉藤一の隊が何人もの新政府軍兵士を斬り倒したと書かれたのもありましたが、そもそもこの戦いでの新政府軍の戦死者は鳥取藩1名だけなんですけどね。正直新選組研究家の大半は他の史料を読まないと言う思いが強くなってしまいました。
もっとも甲陽鎮撫隊が善戦した言うののに対しては私もそう思っています、これは新選組側の本でも「勝沼ではあっさり負けた」と書かれているのが多いですが、実際谷千城はは甲陽鎮撫隊の三面包囲には成功しましたが、河田景与率いる後詰が来るまで甲陽鎮撫隊を撃破出来なかったので、実際には新政府軍にとって楽勝と言える戦いではなかったと判断しています。
話は脱線しましたが、上記の通り新選組関連の史料探しは不作でしたが、新政府軍側の史料は「鳥取県郷土史」「鳥取市史」「土佐藩戊辰戦争資料集成」他に山国隊関連少しと色々コピーしてきたので、これからじっかり読んでいきたいと思います。
余談ですが勝沼の戦いでの新政府軍の主力は土佐藩兵と鳥取藩兵ですが、この土佐藩と鳥取藩で微妙に布陣の記述が違うのですが、当サイトの記事は鳥取藩の記述に準じています。
しかし今日コピー出来た史料の中で一番の大当たりは「芸藩志」です、これは名前の通り芸州藩の記録なのですが、その18巻には北越戦争で黒田清隆率いる海上別働隊に参加した芸州藩兵の全記録が掲載されたていたので、小躍りしたいくらい嬉しかったです(^^)
この黒田隊に参加した芸州藩兵は新潟攻防戦、及びその後の下越戦線での戦いで活躍しましたが、いかんせんその詳細が今まで判らなかったのでこの史料は本当にありがたいです。正直今まで当サイトの北越戦争の記事では、新整組と遊撃隊の組み合わせとしか書いていなかった芸州藩兵に対して、これでもっと詳細な陣容と動きが書けるので、本当に今日はこの「芸藩志」のコピーを抱いて寝たい気持ちです(^^)
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