歴声庵

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神奈川県横浜市:相模・武蔵の国境

2012年05月15日 00時31分10秒 | 登城記・史跡訪問

 一般的に神奈川県=旧相模国、東京都+埼玉県=旧武蔵国と思われていますけれども、神奈川県の川崎市と横浜市の一部は旧武蔵国だったりします。この辺は歴史ファンならご存知だと思いますけれども、では横浜のどこが相模と武蔵の国境かとなると、曖昧な方が多いのではないでしょうか?。
 実際私自身、つい最近まで鶴見川が相模と武蔵の国境と思っていました。余談ですが、この為に鶴見川南岸に築かれている小机城を、今まで相模の城と思い込んでおり、小机城が武蔵の城と知って軽いカルチャーショックを受けました(汗)。
 閑話休題。では実際の相模と武蔵の国境がどこかと言うと、戸塚宿と保土ヶ谷宿の間、「権太坂」と呼ばれる急勾配を登りきった所らしいです。


 現在の相模と武蔵の国境付近に建つ記念碑


 「これより相模国戸塚宿」と書かれています。


 反対側には「これより武蔵国保土ヶ谷宿」と書かれています。


 台座の上部には相模と武蔵の地図が描かれています。


 台座の側面には、東海道の宿場町の名前がズラリと書かれていました。


 記念碑のすぐ近くに建つ、境木地蔵尊

 ところで、保土ヶ谷宿と戸塚宿の間に、相模と武蔵の国境に在ったと言う事は、神奈川県の名前の由来となった神奈川宿は当然武蔵国領になります(位置関係としては、江戸から見て「川崎宿~神奈川宿~保土ヶ谷宿~藤沢宿」と言う順番です)。上記のとおり、神奈川県は旧相模国と、武蔵の一部によって構成されています、しかし、その名の由来となった神奈川宿が旧武蔵国の土地となると、何だか武蔵の一部に相模全土が吸収されてしまったような感じがして、ついつい悔しくなってしまいます(^^;)。
 それにしても、これだけ川が流れているのですから、川が国境かと思っていたのに、坂道によって国境が引かれているのは珍しいのではないでしょうか。何はともあれ、前から気になっていた相模と武蔵の国境に来れて嬉しかったです。

 訪問日:2012年05月14日


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