歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

9月25日(水)のつぶやき

2013年09月26日 01時02分19秒 | twitterまとめ

『ガルパン』の「ハートフルタンクディスク」が届いたので、夕食を食べながら視聴中。


平城・平山城の発達普及は、火縄銃の普及が一因と言われていますが、戊辰戦争では施条銃が投入された為、外郭の外側からの城郭への砲撃が可能になり、要塞としての価値が激減しましたよね。そう考えると第一宇都宮城攻防戦で宇都宮城に籠城せずに、野戦に打って出た香川敬三の判断は正しかったのかしら


小山宿での戦いで大鳥軍の実力を知って、宇都宮城に籠城するだけでは、八幡山辺りに四斤山砲を持ち込まれて、そこからの砲撃で宇都宮城は為す術無く落城すると判断した香川は、そうなる前に野戦を挑んだ...。いや、多分大鳥軍が攻めてきたから、場当たり的にとりあえず野戦を挑んだだけだな(^^;


@itaru_ohyama 香川の行動を好意的に見ようとしましたが、駄目でした(汗)。ちなみに香川は第一次の際は宇都宮城北東の八幡山に守備兵を置きませんでしたが、第二次の時の大鳥は八幡山に守備兵を置いていますね。やはり大鳥は八幡山から砲撃される可能性を危惧したのかなと思っています


@itaru_ohyama 田川に掛かる橋を落としてしまえば、要塞砲が有る宇都宮城が有利だった気がするのですが、そのままにしてしまったので、結局大鳥軍がその橋を使って乗り込んできてしまいましたね。敗兵を収容する為に残していたのかもしれませんが。


ふと思ったので、第一次宇都宮城攻防戦に参加した回天隊の記録『野州奥州戦争日記』に、土方歳三について何か書かれていないか見てみましたが、士官の一人として内藤隼人が参加したと書かれていただけでした。やはり実際の戦いで土方が第一次宇都宮戦で何かの部隊を率いていたとの記録は見つからず。

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@naishimasahiko @ritsu918 てっきり私は「押前」って藩主の前とか、そのような意味だと思っていました。「慶応四年四月五軍押前行列」と言う史料を読んでいると、軍事パレードのような様相だったので、そう思っていたので、勉強になりました。


@naishimasahiko @ritsu918 現物を見た訳ではなく、あくまでマイクロフィルムで見ただけですが冊子風の史料です。中身は各部隊の隊列を人名込みで現している感じです。大砲や雨具などについての記述もありました。