歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

2月第4週の声優ラジオ感想 その2

2012年02月29日 19時52分27秒 | 声優ラジオ関連

『遠近孝一PRESENTS 戦国ネット「すきらじ」』:第04回
 ●パーソナリティー:遠近孝一さん、アシスタント:生田未歩さん
 今回の特集は丹羽長秀。知名度が高い割にはイマイチ判らない部分が多いので、いつか『スキラジ』でも取り上げてもらいたいと思っていただけに、今回特集して頂いて嬉しいです。一般的には秀吉は、織田家のNo1とNo2だった柴田勝家と丹羽長秀にあやかって「羽柴」の姓を名乗ったと伝えられていますが、「もし本当にNo1とNo2にあやかるなら柴田と佐久間信盛だろう」と言う遠近さんの指摘は今回一番印象に残りました。確かに佐久間が追放されるまでは、佐久間が織田家No1の感があるので、秀吉が上にあやかろうとしていたのなら、佐久間の姓から一字を貰った筈との指摘は興味深かったです。
 また長秀が最後まで方面軍の司令官にならなかった事に対して、谷口克広氏などは「信長は長秀の軍事能力をさほど高く評価していなかった」と評して、その説が一般化しています。これに対して遠近さんは「お気に入りだから信長は、手元に長秀を置いておきたかったのでは」と擁護していたのが印象的でした。でもその理論だと、それこそ明智光秀は信長のお気に入りだった事になりますね。
 また清洲会議で長秀が秀吉に加担した事に関して、年齢が近い秀吉と仲が良かったから与したのではと、年齢の面から長秀の動向を推察したのは興味深かったですね。
ところで賤ヶ岳戦いの戦い後に長秀が、勝家の旧領を合わせて120万石余を得たと世間的には言われています。これに対して遠近さんは、勝家領を丸々加増されたのではなく、旧領から勝家領の転封なのだから、実際には80万石くらいだったのではとの指摘は面白かったです。
 今回は本当に面白かったですが、遠近さんの清洲会議での長秀の動向についての推察を聞くと、清洲会議のテーマだけで丸々一回をやってほしいと思ってしまいました。それこそ池田恒興の動向についても、遠近さんに語ってほしいと思ってしまいました。

『THE IDOLM@STER STATION!!!』:第134回
 ●パーソナリティー:浅倉杏美さん・沼倉愛美さん・原由実さん 
 何故かふんどしの話題になった際、沼倉さん自身はスカートについて「今日は確かに穿いていないが」と言ったのを、原さんと浅倉さんにに下着を穿いていない事にされて、すっかり変態扱いされていたのは相変わらずの不幸ぶりかと(^^;)
 また「萌えを知りたい」のコーナーにて、原さんが萌え台詞が来るのかと思ったら、ドスの効いた声で「地面にキスして感謝しろ、ブタ」と言われた時は、どM心が刺激されてしまいました(^^;)。 しかもその声が、原さんの声と言うより、貴音寄りの声だったので破壊力倍増です。

その他に聴いた番組
『のら犬兄弟のギョーカイ時事放談!』:第186回
 ●パーソナリティー:川瀬浩平氏&伊平崇耶氏
『はみだせ!メガミマガジンRadio!!』:第142回&143回
 ●パーソナリティー:喜多村英梨さん&井口裕香さん
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2月28日(火)のつぶやき

2012年02月29日 01時14分57秒 | twitterまとめ
22:11 from web
今更ながら、長州藩の施条銃中間第一大隊と、施条銃足軽第四大隊が共に二個中退で構成されていると知りました。ちなみによく長州藩第一大隊、同第四大隊と略される事が多いこの部隊ですが、何故か第二大隊と第三大隊は存在しません(^^;)

22:17 from web
でも第一大隊も第四大隊も、二個中隊編成となると、中間や足軽によって編成された部隊って、戊辰戦争時の長州藩には少なかったのですね。幕末の長州藩は、戦力をして使える者は徹底的に動員してた気がするので、中間の者や足軽の大隊はもっと多いと思っていました。

22:21 from web
確か幕長戦争の時に「南十六大隊」と言うような部隊が居た気がするので、足軽や中間で編成した部隊が多く居たと思い込んでいました。

22:27 from web
でも第一大隊と第四大隊と合わせて四個中隊となると、藩内の中間と足軽と中間を動員したにしては少な過ぎる気がします。それとも、どうせ部隊に所属しなくてはいけないのなら、第四大隊などではなく、花の奇兵隊に入隊しようと言う感じで、士気の高い足軽や中間は諸隊に参加したのかしら?。

22:29 from web (Re: @itaru_ohyama
確かに「士分より、軽輩の者が人数が多い」と言う固定観念に捕らわれていたかもしれません。でも(個人的に)一番のミスリードは前述の「南十六大隊」の気がします(^^;) @itaru_ohyama 分限帳を見ないとわからないけど、そもそも士分以下の軽輩が少なかったんじゃないかな

22:35 from web (Re: @itaru_ohyama
長岡藩も結構多いですよね。銃士隊が一個大隊に対して、銃卒隊も一個大隊とほぼ士分と足軽の大隊数が同じですからね。もっとも長岡にはそれに加えて槍藻隊も一個大隊いましたが(汗) @itaru_ohyama 戦国時代と同等に足軽の人数を揃えていたのって松代藩くらいしか知らない。

23:09 from web
長州藩で足軽・中間を動員した部隊が合計四個中隊しか存在しなかったのなら、その四人の中隊長を全員知りたいなと思ってしまった今日この頃。とりあえず現在把握しているのは第一大隊二番中隊長の楢崎頼三と、第四大隊二番中隊長の桂太郎の二人だけ。とりあえず『防長回天史』から読んでみよう・・・。

by tukaohtsu on Twitter