歴声庵

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石井孝著 「戊辰戦争論」

2007年06月17日 16時14分41秒 | 読書

 先日感想を書いた原口清氏著の「戊辰戦争」と、後日感想を書く予定の佐々木克氏著の「戊辰戦争」に対する批判として書かれたのが本書です。著者の石井氏(以降「筆者」と記述)も「明治新政府=絶対主義権力」との見解は原口氏と同意見なのですが、原口氏が戊辰戦争の性格を「個別領有権(封建主義)を否定する絶対主義権力と個別領有権を認める列藩同盟(公議政体派)権力との闘争」を評してるのに対し、筆者は戊辰戦争の性格を服部之総氏が唱えた「絶対主義権力を目指した二つの勢力の闘争」の説を継承しているのが特徴です(申し訳ありませんが私は服部氏の著書は未見です)。
 ただこの服部氏の説は原口氏に「もし戊辰戦争が二つの絶対主義権力を目指した闘争なら、新政府に敵対した勢力の主力の奥羽越列藩同盟も絶対主義権力を目指す勢力なのか」との反論の余地が無い批判をされている為(奥羽越列藩同盟は贔屓目に見て公議政体派権力が限界でしょう)、筆者は新政府と徳川氏勢力との戦いが鳥羽伏見の戦い~上野戦争という従来の説を否定して、幕長戦争~上野戦争までを絶対主義権力化を目指す明治新政府と、同じく絶対主義権力化を目指す徳川氏との戦いと位置付け、これならば期間的に新政府と奥羽越列藩同盟との戦闘期間より長くなるので、これをもって戊辰戦争を「絶対主義権力を目指した二つの勢力の闘争」との根拠としているのですが、正直これは原口氏の批判に対抗する為のこじつけと言わざるを得ません。
 また徳川慶喜を徳川勢力の絶対主義権力化への指導者と位置付けているため、鳥羽伏見の戦いは慶喜の指示によって行なわれたとしていますが、そうなると慶喜の江戸脱出は矛盾した行動になるのですが、これに対して筆者は「江戸での決戦を目指して江戸に帰還した」と解釈していますが、本当に最初から慶喜が開戦を目指していたのならこの解釈は苦しいと言わざるを得ません。
 また江戸に帰還した慶喜は新政府との再戦を試みていたという解釈は同意出来るのですが、では何故慶喜が再戦を諦めて恭順したのかについては詳しく述べられていないので、正直「慶喜は当初は江戸で再戦するつもりだった」と言う筆者の説は尻切れトンボの感がありました。

 この様にこの本で著者が訴えたかった「戊辰戦争は絶対主義権力を目指した二つの勢力の闘争だった」の説は残念ながら説得力を感じる事が出来ませんでしたが、恐らく著者にとって副次的な内容であろう本書後半の主張「奥羽越列藩同盟は遅れた封建領主のルーズな連合体に過ぎない」「箱館戦争は徳川家浪人による士族反乱に過ぎない」は非常に共感出来る物でした。
 原口氏は列藩同盟を「公議政体=大政奉還コースの現実化した諸藩連合政権」と評価していましたが、少なくとも軍事指揮権すら統一出来なかった同盟が果たして諸藩連合政権と呼べるものなのかと思っていた私にとって「奥羽越列藩同盟は遅れた封建領主のルーズな連合体に過ぎない」という筆者の主張は非常に共感出来るものでした。
 また一部で蝦夷共和国と持て囃される榎本一派を「徳川家浪人による士族反乱」と斬り捨てたのも、当初は過激な意見と思いましたが、読み進めるに従い著者の主張こそ理にかなっていると感銘を受けました。

 この様に筆者が最も主張したかった「戊辰戦争は絶対主義権力を目指した二つの勢力の闘争だった」については説得力を感じられませんでしたが、それ以外の奥羽越列藩同盟と箱館戦争の説明については原口氏の説明より説得力を感じました。原口氏と石井氏どちらの意見が正しいと言うより、両者の意見を読み両者の意見で自分が支持する説を折衷するのが一番良いのではと思います。
 尚、軍事面での説明は皆無だった原口氏に対して、筆者は軍事面での説明をしてくれていますが、こちらは正直特筆すべき事はありませんでした。


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