歌うのに ちょうど良い季節になりました
…と書いているうちに いつものように 時は過ぎ、
もう冬がそこまで来てしまっているようです。
でも今年はなぜか暖かく、
晩秋はもうしばらく続きそうな気配も漂っているような いないような ... !?
1945(S20)年 12月24日、
ラジオ番組 「外地引揚同胞激励の午后」 の中で
童謡歌手の川田正子さんの新曲 として全国に向けて放送され、
1948(S23)年、日本コロムビアから SPレコードが発売されました。
小学校の音楽教科書に 長年 採用されてきて、
2007(H19)年には 「日本の歌百選」 に選ばれています。
それほどの名曲。
穏やかできれいな曲です。
日本の晩秋の風景が思い浮かぶ、
大好きで 大事に思う曲でもあります。
けれども、この歌の 成り立ちにはこもごもあり、
初めて知った時には驚いたものでした。 (詳細は一番下に記載)
『 里の秋 』
作詞 斎藤信夫
作曲 海沼 実
1
しずかな しずかな 里の秋
お背戸に 木の実の 落ちる夜は
ああ かあさんと ただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
<最初に書かれた歌詞> <書き換えられた歌詞>
2 2
あかるい あかるい 星の夜 あかるい あかるい 星の空
鳴き鳴き 夜鴨の 渡る夜は 鳴き鳴き 夜鴨の 渡る夜は
ああ とうさんの あの笑顔 ああ とうさんの あの笑顔
栗の実 食べては おもいだす 栗の実 食べては 思い出す
3 3
きれいな きれいな 椰子の島 さよなら さよなら 椰子の島
しっかり 護って くださいと お船 に 揺られて 帰られる
ああ とうさんの ご武運を ああ とうさんよ ご無事でと
今夜も ひとりで いのります 今夜も かあさんと いのります
4
おおきく おおきく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 護ります
※ 千葉や長野に歌碑があるようですが、統一性がなく、
漢字だったり ひらがなだったり …! 本来はどちら
なのかがわからないままとなってしまいました。
疎開先である 田舎(里)は 戦闘機も飛んで来ない静かなところ。
けれども 囲炉裏の火が恋 しくなる 寒々とした秋の夜 には
大黒柱のいない 母親とふたりだけの暮らしは きっと寂 しかったに違いない。
当時の男の子は 兵隊さんになることに憧れを抱いていたといいます。
きっと 強くてカッコよくて 絶対に負けない と思っていたのでしょう。
それでも、戦地に赴いている父親の無事は 祈っていた。
ここに出て来る 鴨の渡り は、
シベリア方面から 日本を越冬地として飛んで来たものとも思えますが
晩秋と考えれば 日本を中継地とし、もっと南へと飛び立つところともとれます。
いずれにしても、
父もこうやって無事帰還 してくれることを願っている という思いは伝わってくる。
切なくなるような歌です。
13日にパリで起きた同時多発テロ。
先月31日に起きたロシア機墜落もテロだったと断定されました。
残念なことに昨日もまた 西アフリカのマリでもホテルが襲撃され
たくさんの死者が出てしまったようです。
まだまだ安心できないテロ攻撃。
巻き込まれて亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、
誰も得をしないこんな争いが早く終結されることを願います。
日本でも集団的自衛権、沖縄普天間基地 辺野古移設問題など
国民が疑問や不安を掲げている大きな事案が
ごり押しのように勧められていってしまって、
また 戦争に関わりをもつようなことがあったら ... と心中穏やかではない人も多い。
近年 弱いものを無差別に狙い 殺傷する人間が増えてきていることも不安に輪を掛け
世界に平和を公言したはずの国自体が なんだか怪しい。
兵隊さんになりたい なんて言葉が今の子ども達から出るとは思わないけれど、
戦争に加担するようなことなど 二度と起きてはいけないと思う気持ちは
日本人なら誰でも 強く持っている と信じたい。
そもそも、
この地球は 人間だけのものではないはずなのに、
我がもの顔の人間たち。
それこそが横暴だとも思えます。
争いごとのないように、みんなが穏やかに暮らせるように、
家族がバラバラになることのないように、
『 里の秋 』 を聞いて歌って 考えてみてほしい。
大正の中頃から 1933(S.8)年頃まで、
<赤い鳥><金の船>などの童謡童話雑誌が全盛を極め、
何千曲もの童謡が発表されました。
が、戦機の高まりとともにブームは急速に衰え、児童雑誌は次々に廃刊。
童謡詩人たちは 筆を置いたり 軍歌方面に転身していきました。
児童合唱団 <音羽ゆりかご会> の創設者でもある 海部実氏が
童謡の世界に乗り出そうとしたのは、そんな時代。
戦中戦後の童謡氷河期を支えることとなりました。
小さいころから 同郷の作曲家 草川信氏に憧れていた 海部氏は
独学で ヴァイオリンを覚え 演奏家になろうと 1932(S. 7)年に上京。
東京音楽学校(現東京音楽大学)に入学 したものの 独学が災いして
挫折感を味わい、草川氏のように 童謡の作曲家 として生きる道を選択。
そんな海部氏の元に、自身が作詩 した数編の童謡を送ったのが 斎藤信夫氏。
その中に 『星月夜』 という詩がありました。
けれど、これを見た海部氏は 3, 4番が気に入らない と無視。
理由は 当時 軍国教師であった 斉藤氏の 戦意高揚の意気に燃えて書かれた
歌詞にあったようでした。 ただ ふたりの交流は その後も続いたといいます。
1941(S.16)年12月8日、
日本は英米に宣戦布告し、日米は太平洋戦争に突入し、
1945(S.20)年 8月15日、
日本国民へ向けて玉音放送が流れ 終戦を迎えました。
4か月も過ぎると、戦地からはゾクゾクと復員兵が戻って来るようになり、
国営放送であるNHKも、音楽に乗せて 復員兵たちに故郷の香りを伝え、
歓迎の意を示そうと番組を計画。 戦争突入以前に童謡と子供の合唱を
通じて国民の心を癒 していた 海沼氏に白羽の矢が立ちました。
しかし 明日の方向すら定まらない 荒廃 した国土や国民に歓迎ムードを盛り
上げさせ、復員兵たちに一刻も早く帰りたいと思わせる歌を作るのは至難の業。
その時思い出したのが 『星月夜』。
1番は、すべての日本人が想い描く故郷の風景。
2番は、家族が まだ現地に留まっている父親の安否を気遣っている。
また 子供が呼び掛けている … と受け取れるものと考え、
そんな歌詞なら 日本に、そして家族の元に辿り着いたのだ という実感を贈る
ことができる と。 しかし 3番以降は変える必要がありました。
この頃には 皇国史観教育を反省し 学校を止めようと思うほど意気軒昂 して
いた 斉藤氏。 3, 4番が今のご時勢にそぐわないと認め、改作を快諾。
海部氏のバイオリン演奏で歌唱する川田正子さんの歌声を聞いて 静かで胸を
締め付けるような望郷のメロディーに 3番以降は <復員兵を歓迎する心>を
表現する歌詞にしようと決意。 けれども、改作は難航を極め …
もう 『星月夜』 とは訣別 したい という気持ちになったそうです。
さよなら 3, 4番! さよなら戦争! そんな思いで書きなぐった <さよなら>が
ちょうど3番の歌詞の冒頭にあるのを見つけ、ひらめいての誕生となりました。
題名を 1番の歌詞から取って 『里の秋』 とし、2番の<星の夜>を<星の空>
と変えて完成。 1945(S.20)年12月14日午後1時45分、番組が放送される前日
の夜のことだったそうです。
海外の方が聞いた時 果たして こういったメロディーに癒し感を感じるのだろうか?
こういう詩を理解することはできるんだろうか?
そう思う気持ちがあります。
けれども 今の子ども達にも同じことがいえるような気がします。
確かに 歌詞からだけではわからないんだろうな~ とも思えます。
私だって この歌を知った頃 こんなに深くはわかっていなかったと思います。
それでも 心に残る 心に響く歌だった。
今 日本も世界も 穏やかではない状況かにあります。
だから なおさらに 感慨深く思う気持ちが湧いてきて、
この歌の奥を この歌が作られた頃のことを思い返し
戦争は 争いは いけないことだと 強く認識 しなおしてほしいと思っています。
まだまだ恐ろしいことが起きそうな不安を抱えている。
地球が泣いて どんどんおかしくなってきている時に
争っている場合じゃないんじゃないの!?
みんなで保護していかなくちゃ 手遅れになっちゃいます。
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