爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

さいたま市見沼散策 ~浦和くらしの博物館民家園・大崎園芸植物園~

2017-09-06 21:22:34 | 日記

前回、見沼通船堀を中心に散策し、民家園まで足をのばそうと思ったが、体力を考え取りやめて帰ったが、今回、民家園界隈を中心に散策をした。
前回と同じ武蔵野線東浦和駅で降り、通船堀は右の方に進んだが今回は左手から進んだ。県道235号線を右折し「明の星学園」の方に歩いていく。途中、「大間木氷川神社」と「清泰寺」に立ち寄る。
「大間木氷川神社」は、道路が分岐する所にある左が赤山街道、右が見沼台通りである。赤山街道は、江戸時代の関東郡代の伊奈氏が関東地方の開発の中、赤山陣屋(川口市)と現地と結ぶ道であり、大宮道・越谷道・千住道の3つに伸びている。
「大間木氷川神社」は、高木(シラカシ・スタジイ)や竹の緑に囲まれている、本殿は寛文7年(1667年)に大宮氷川神社本殿の再建に伴い旧社を買い受けたと伝えられています。現在の本殿は、平成5年の不審火により解体修理されたものです。
さらに少し歩くと清泰寺がある。本堂や墓石が新しく古寺とは感じさせないが平安時代の高僧慈覚大師円仁によって開かれたと説明書きにあった。境内には鐘楼、十三重塔があり、十三重塔の周りに庚申塔が垣根のように並べられている、このお寺には300基以上あるとの事である。こんなに一カ所にまとまってあるのも珍しい、整然と並べられている所を見ると庚申塔には規格があったことがわかる。
墓地の中には、「見性院」の墓の矢印がありました。「見性院」は、武田信玄の娘で、夫が殺害された後この地を拝領しました。徳川秀忠の子である「幸松丸」を養育したと言われています。

見沼台通りを歩いて行くと国道463号線(通称:浦越線)に出る、右折し「クリンセンター大崎」の方に歩き「浅間橋」を渡るが下を流れる川が「見沼代用水西縁」である。さらに歩くと「念仏橋」があり下を流れる川が「一級河川芝川」である。

 ここまで来ると民家園が見えてくる、正式名称は、「浦和くらしの博物館民家園」と言い、さいたま市内に残された古民家他を移築復元したもので、正面には石造りの建物があるが「旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫」である。右手には商家が2棟並んでいる、中山道で営業していた旧高野住宅と旧綿貫住宅であり、江戸時代後期から明治時代である。さらに奥には、茅葺き屋根の民家が4棟展示されている。旧蓮見家住宅(江戸時代中期)は農家の母屋、旧野口家住宅は寺の庫裏で住宅として使用、旧武笠家表門は農家の門で納屋や作業場として使われていたもの。
「旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫」は、国の登録文化財の指定を受けており、内部では企画展示が行われていた。
民家園内は、広場や池があり池には古代蓮が行田市から移植され市内の子ども達にとって社会科見学場所となっています。

近隣には、「さいたま市大崎園芸植物園」があり、花卉、見本庭園、大中小の温室があります。隣がごみ焼却場で熱を利用した循環型の温室で熱帯植物、熱帯果樹、洋ランが栽培されています。

温室の中は、初めて見る植物でジェラシック・パークの世界に入ったようで恐竜でも出そうな感じです。

前回、今回と見沼地区を散策したが、まだ耕作地が多く残り、農道には軽トラが止まって作業している姿はのどかさが伝わってくる、緑あふれる大空間で自然、歴史の奥深い地域である。

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