こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

東京2020パラリンピックがARIGATOであり、未来

2021年09月09日 | 日本のこと、世界のこと
 日照不足による野菜の値上がりをテレビニュースで報じているのを視て、レタスが手に入りにくと妻が嘆いていたのを思い出した。今日も結構な降りで、雨のち曇りが、一日中の雨になるらしい。南洋では台風14号も発生しているとかで気が気ではない。

 昨晩、NHKのクローズアップ現代を見ていたら、新装なった国立競技場のバリアフリー対策について取材していた。”目指せ!世界標準のバリアフリー 東京2020大会の先へ”というタイトルで、各種団体の意見も取り入れてバリアフリー化に取り組んだという内容だった。新国立競技場については、安普請で税金の無駄遣いだ、などと文句をネット上に書いている人がいたが、こういう事業費を含めての建設費と考えたら仕方のないような気もする。もちろん、それらが適切に使われたかの精査は必要だが。

 昨日のエントリーで、私は”さよならオリパラの夏”などと書いてしまったが、じつは”さよなら”なんかではなかったと反省している。国立競技場の目指したバリアフリーは、老若男女、障害のあるなしにかかわらないものであり、誰もが折々に直面する多くの問題に対する挑戦だったといえよう。駅のバリアフリー化についても取材していて、一緒に見ていた妻と、

「これから年を取っていく僕らには助かる世の中になるね」

と話した。

 バリアフリー化といっても簡単ではなく、例として点字ブロックの高さが車椅子の人にとっては気になるものだという話が出ていた。障害者と一概にいっても、十把一絡げにして言い訳ではない。少なくとも誰もが”老いによる運動機能の低下”を前提として、誰もが障害者になるということをもっと真面目に考えなくてはなるまい。東京パラリンピックは終わってしまったが、私たちは”さよなら”ではなく、その記憶をとどめ、余韻が消えないうちに新たな共生社会へと一歩を踏み出さなくてはならない。そのことを教えてくれたパラリンピックにARIGATOと伝えたい。
みんな老いる

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。