午前中は梅雨明けを思わせるような青空。そよ風も心地よかったのだが、昼過ぎから暗雲に覆われ、雨は降ったり止んだり、それも降れば土砂降。夕方になってようやく止んだが、もう蚊が出てくる時間で、庭の草むしりはできず仕舞い。結局今日もほぼ巣篭もりだった。ただ、昨日、おとといはヒゲも剃らないでいたが、四連休も今日で終わり、最後はちゃんとヒゲを剃った顔で過ごした。
相模原の障害者施設での殺傷事件から今日で4年(福祉というもの - 2016年7月26日)。月日が経つのは早い。座間で自殺志願者を募って9人を殺害した事件が発覚したのは2017年10月のことだった(死者の日(Day of the dead)に思う - 2017年11月2日)。いずれも、死ぬこと生きること、それぞれにどのような意味があるのかを深く考えなくてはいけない事件だった。
先日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っていた女性に対し、薬物を投与して殺害したとして医師二人が殺人の容疑で逮捕された。医師であれば人の死をコントロールしていいということはなく、手を下した医師は罪に問われることになるだろう。医師が行なったということはまた別の機会に考えるとして、再び命の意味について考えさせられる事件だった。
このような事件が起こるたび、残された人間である私たちは大騒ぎするが、死は毎日誰かに訪れ、誰かが死者を送っている。死の原因はそれぞれ様々で、残されたものはそれぞれの死を通して命について考えることとなる。
命について考える、とはどういうことか。
それぞれの人の命に価値があるのかないのか。誰の命には価値があり、価値のない生を生きている人の命は要らないのか。生きたくない生を生きている人は生きていなくてはいけないのか。一方で、生きたくなくても、生きなくてはならない人もいる。もちろん、これが一番多いだろうが生きたくても生きることのできない人もいる。
私たちは生きたいから、生きているのか、それとも生かされているから生きているのか。それは誰にもわからない。
続きはまた別の機会に