わが家の愛犬、フラットコーテッドレトリバーのナイトが私の腕の中で静かに息を引き取ってから早いもので今日で2年。ブロ友さんからいただいたメッセージの一つにあった、
ナイトくん、死んでしまっても、心の中に生き続けてくれていますよ
の通り、いまにもソファーの向こうからひょいっと顔を出してくるような気配を漂わせて私たちと共にいる。
命というものを考える時、生きるということにいかなる価値があるのかということを定義することは難しい。人間といえども最後には死んでしまう存在であるのに、そこに何らかの価値を見出そうと周りに迷惑をかけながらも必死に生きる。必要以上の富を求め、そのためには同じ人間を抑圧し、破滅させることも厭わない。
ミャンマーのアウンサンスーチーさんに禁固刑が言い渡され、地球温暖化に警鐘を鳴らしてきた真鍋俊朗博士にノーベル賞のメダルが授与され、メルケル首相が引退し、アメリカが中国に対して北京オリンピックへの政治的ボイコットを表明した。そして、明日は真珠湾攻撃の日。
時間というものを1日24時間、1年365日という単位で区切っているために、ややもすると思考パターンがその枠内にしまいこまれてしまうが、実際のところ現世は無限の過去から無限の未来へと繋がっていて、切れ目はなく、そこで起こるそれぞれの事象、出来事は密接に関連している。相互の関連を断ち切ることは不可能だし、それぞれの良悪・適否・善悪・軽重を評価することもできない。人間の立ち位置なんてものはすなわちそんなもので、絶対的かつ客観的な価値観など誰も持っておらず、神に代わって何かを決めるなどということなどできない。そのことを自覚た上で、心の”体幹"とでもいうべきものを鍛えていかなくてはいけない。
コロはまだまだ元気(15さい)