こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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読書の記憶

2014年04月28日 | 読書、映画、音楽、美術
先日本棚の整理をして出てきた本、どれも読んだことがないと思って喜んでいたら、何冊かは再読となった。
考えてみれば、こんなの妻やましてや娘が読むわけないという本があっておかしいとは思っていた。読書メーターに登録されていない本は積読本と短絡的に考えていた。読書メーターを始めて4年半になるが、それ以前に購入した本というのは当然あるのだが、読んだか読んでいないのかの思い出よりも、こういったものに記憶を頼ってしまっているというのが、残念というか、いわく言い難い感情に襲われる。

本を読んだ記憶、というのもいろいろある。
内容はもとより、ベストセラーであればその時代背景、作家の話題などだ。さらには、個人的にどんな時に読んだか、読んだ場所の風景、といったようなものもある。



読書の思い出としてどうしても残しておきたいものが一つある。
それは、「フランダースの犬」を読んだ時のことだ。

たしかあれは小学3年生の時だったと思う。
父が知人の家に行くというときに、一緒に車で連れられて出かけたことがあった。一緒にあがるか、車の中で待っているか、と父に尋ねられ、「読みたい本があるから、それを読んで待っているよ」と応えて、私は角川文庫版『フランダースの犬』を読みながら車の中で待っていることにしたのだった。

小一時間ほど待たされただろうか、父が車に戻ってきたときに当時10才のいたいけないコロ健少年、大泣きに泣いていた。
今でもその時の悲しい思いは忘れられない。父も、父と一緒に出てきた父の知人も一体どうしたことかと腰を抜かさんばかりに驚いていた。淋しくなって啼いたのだろうとでも思っていたのかもしれないが、そんなわけは無い。



『フランダースの犬』のあまりに悲しいお話に涙したにほかならない。
ネロ少年が村人に迫害され、忠犬パトラッシュとともに最期の時を迎えた悲話に、小学3年生当時のコロ健、ひとたまりも無かった。というか、この記事のため『フランダースの犬』のあらすじをネットで読んだら、またぐっとこみあげて来てしまった。40年経った今でも私はこの本に弱い。ちなみに、アニメ世界名作劇場に出てくるパトラッシュはかわいいが、アニメは私が本を読んだあと作られたものである。

『フランダースの犬』を読んだら、自分が泣いてしまうのがわかっているので、この先、読みたくない。
だが、こうして思い出していたら、自分が死期を悟るような時が来たら、読むことがあるかもしれないと、少し思った。

もちろん、ほかにも心に残っている本はたくさんあります
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