プラス思考とマイナス思考について考えてみたいと思います。
ブログを読めばすぐわかりますが、私は典型的なプラス思考といいますかポジティブシンキングで、何事においても積極的・肯定的に考える性格であることは自他ともに認めているところです。
しかし私の人生の前半は、劣等感の塊で典型的なマイナス思考、つまらないことにこだわり、いつもくよくよし、全体を通してネガティブシンキングそのものでした。
その根底に「自分は劣っている」とか、「のけ者にされ、差別されている」とかの愛情不足の意識があり、相当暗~い青春時代を過ごしてきました。
しかし、ある時期からプラス思考になってしまいました。
それは仕事の面白さを発見したことが足掛かりでした。
マイナス思考の私でも取り柄といえば真面目で忍耐強いことで、仕事をすればそれなりに評価を受け、徐々に認められるようになってきました。
そしてある時、子会社設立の責任を任され、引き続きその後の経営の任を負わされることになりました。
青天のへきれきのように一挙に重大な責任と、膨大な業務をこなさなければならないことになり、まさに寝食を忘れて仕事に取組みました。
その仕事は誰の助けもなく、孤独な仕事でもありました。
・・・そして気が付くと、私はすっかりプラス思考の人間に変身していました。
それとともに、これまでのマイナス思考の時代は、人から注目されたい、認められたいなどの依存心の塊=甘えの構造にどっぷり浸っていたことに気づかされました。
それではマイナスからプラスへの思考の変革の原因は何だったのでしょう?
マイナス思考の背景に、誰かに助けてほしいという「甘えの構造」があり、その逆に、プラス思考には、やせ我慢であっても開き直りであっても、「独立心」を持つことがあるようです。
甘えといいますかマイナス思考を象徴的に表現したものとして、(ちょっと古いのですが)西田佐知子さんの「アカシヤの雨がやむとき」を思い出しました。
アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる 朝の光のその中で
冷たくなった私を見つけて
あの人は 涙を流してくれるでしょか
この歌が爆発的にヒットした時と期を同じくして、日米安保条約の批准がありました。
多くの若者たち(私と同年代)が日米安保闘争に立ち上がり、暴力抗争にまで発展しましたが、「アカシヤの雨がやむ」ように、その成果がゼロという結果となって終結しました。
そのやり場のない挫折感を歌ったもので、挫折感の中に甘美な恍惚感さえ感じられるところがヒットの原因だと思います。
そのようにマイナス思考には、人間の弱さに寄り添うい慰めあう心があるようです。
私はプラス思考が良くて、マイナス思考は劣っているとは思っていません。
そしてマイナス思考は、言葉通りに悲観的で自虐的、不幸を招く悲しい思考ではなく、実は連帯意識や同情の絆で結ばれた、人との和や居心地の良さを求めた思考だとも思っています。
現役時代はまだしも悠悠自適者が人生を快適に過ごすには、プラス思考だけと強がりを言わず、プラス思考とマイナス思考の上手な使い分けが必要なのかもしれません。
しかし私はどう見てもプラス思考に偏り過ぎているようで、これから年を積み重ねるにしたがって、もっと「甘えの構造」を取り入れることも必用かもしれません。