経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

◆【経営コンサルタントの独り言】  二月堂のお水取りの日に偶然奈良に 自慢の写真紹介 312

2024-03-12 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言03月

 

  【経営コンサルタントの独り言】  二月堂のお水取りの日に偶然奈良に 自慢の写真紹介 312

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 二月堂のお水取りの日に偶然奈良に 312

「お水取り」の「おたいまつ」は、写真でご覧になられた方も多いと思います。

 偶然にもお水取りの日に奈良を訪れました。

 雨が降る中、2時間ほど待ちましたが、おたいまつを見ることができました。

 何と幸運なことでしょう。

 しかし、二月堂は、東大寺にある古い建物ですので、火をたくさん使って大丈夫なのかとハラハラしました。 

 

 

 お水取り(おみずとり)は、東大寺二月堂で行われる、修二会という法会の中の行事のひとつです。3月12日深夜に、二月堂前に立つ閼加井屋(あかいや)に、お水を汲みに行くことからこの通称で呼ばれるようになりました。

 仏様の前で罪過を懺悔すること(悔過)であり、キリスト教の「懺悔」に似たところがあるのでしょうか。

 

 修二会は、3月1日から14日までおこなわれます。その間、心身を清めた僧(練行衆)が、二月堂の本尊・十一面観音の前で宝号を唱え、荒行(あらぎょう)によって懺悔し、あわせて天下安穏などを祈願してくれます。

 

 「お水取り」は、修二会の行中の一部に過ぎませんが、印象的ですので「修二会=お水取り」と誤解している人も多いのではないでしょうか。ちなみに「修二会」の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」というそうです。

   カシャリ!一人旅 奈良 東大寺 二月堂 写真 今井信行 旅 旅行 写真 ぶらり旅 (glomaconj.com)

   http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/nara/nara-toudaiji4.htm

(ドアノブ)

 

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見る

 

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

【経営コンサルタント(志望者)へのお勧めブログ】

 ◇ 経営コンサルタントになろう  ◇ 経営コンサルタントQ&A  ◇ 独立・起業/転職

 ◇ 心 de 経営  ◇ 経営マガジン  ◇ 経営コンサルタントの独り言  ◇ 経営四字熟語

 ◇ 杉浦日向子の江戸塾  ◇ ニュース・時代の読み方  ◇ 時代の読み方・総集編  ◇ 経営コンサルタントの本棚  ◇ 写真・旅行・趣味  ◇ お節介焼き情報  ◇ 知り得情報  ◇ 健康・環境  ◇ セミナー情報  ◇ カシャリ!一人旅

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■杉浦日向子の江戸塾03 江戸情緒に学ぶ 「一合野郎」とは?

2024-03-12 12:00:00 | 杉浦日向子の江戸塾

■■杉浦日向子の江戸塾03 江戸情緒に学ぶ 「一合野郎」とは?

 江戸のエコや風俗習慣などから、現代人は、エコという観点に絞っても学ぶところが多いと思っています。杉浦日向子の江戸塾から学ぶところは多く、話のネタとなります。エッセイ風というと大げさになりますが、独断と偏見で紹介してみたいと思います。

 

 私がはじめて杉浦日向子女史を知ったのは、「お江戸でござる」というNHKの番組でした。お酒が好きで、飾らない人柄、江戸時代に生きていたかのような話しぶり、そこから江戸のことを知ると、われわれ現代人に反省の機会が増えるような気がします。

 

■「一合野郎」とは? 3

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」では、「一日に玄米四合と味噌と醤油と少しの野菜を食べ・・・」とありますが、江戸っ子は、どのくらいお米を食べていたのでしょうか?

 江戸っ子は、一日にお米を五合食べるのが一般的でした。これは、一日二食であろうが三食であろうが、一日のお米消費量は一定でした。すなわち一日二食の家庭では、一回に二合半を食べていたことになります。

 そのために、どの家庭にも二合半の升があり、一人前のお米を食べられない人のことを「この一合野郎」と言って罵ったそうです。すなわち、半人前以下と言うことです。

 因みに、旧日本陸軍では、一日三食、麦飯2合と定められていた。それだけの米飯を食べないと肉体労働に必要なエネルギーを確保できなかったのでしょう。それからすると賢治の食事は質素であったと言えます。

 

<続く> 次回掲載をお楽しみに

 

 

■■ 歴史に学ぶ経営 ←クリック

 

 歴史は経営に大きなヒントを提供します

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 3月11日 徒然なるままに日暮パソコンに向ひて

2024-03-12 08:03:00 | 【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 3月11日 徒然なるままに日暮パソコンに向ひて

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 終日、3.11に関する報道が続きました。

 改めて当寺の映像を見たり、経験者の話を聞きますと、当時のことが思い出されます。

 東京にいても大きな揺れでしたので、さぞ、経験された方々は怖かったのではないでしょうか。

 改めてご冥福を申し上げます。

 

 当ブログの【心 de 経営】シリーズの一環として「心づかい」をコンセプトとしたシリーズは、先週終了しました。

 このシリーズは、「ほのぼのとした気持ちになり、『生き方』を考えさせられることが多いです」というようなコメントをいただいています。

 しばらく、このシリーズを見直し、時期が来ましたら再開したいと考えています。

 その代替としてかつての新シリーズをお届けします。

 このシリーズは、数年前に部分的に当ブログに投稿しました。

 その内容を追補したり、新規に加えたりして参ります。

 

 

 「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。

 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。

 高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。

 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。

 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。

 

■ 吉田兼好 三代随筆「徒然草」の作者


 よしだけんこう
 弘安6年(1283年)頃?-文和元年/正平7年(1352年)以後?


 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての官人・遁世者・歌人・随筆家です。卜部氏は、神職の家柄で、父治部少輔・卜部兼顕も吉田神社の神職でした。本名は「卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)」といいます。江戸時代以降は、吉田兼好と通称されるようになりました。

 出家しましたので「兼好法師(けんこうほうし)」とも呼ばれ、単に「兼好」と呼ばれることも多いです。

 清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび、日本三大随筆の一つとされる「徒然草」の作者であることはよく知られています。


 後二条天皇の生母である西華門院が、兼好が仕える堀川家の娘であったことから、兼好も六位蔵人という役人に任じられました。すなわち、兼好は、30歳前後で出家遁世するまでは、お役人だったのです。

 出家した後、修学院や比叡山横川などに籠って仏道修行に励んだり、和歌に精進したりしました。鎌倉にも二度ほど訪れたという記述もあります。

 軍記物『太平記』巻二十一の中で、艶書(ラブレター)を代筆したという逸話はよく知られています。

 

 

【Wikipedia】より

 

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

  ■【今日は何の日】 3月12日 奈良東大寺二月堂お水取りと詩仙堂の写真  一年365日、毎日が何かの日

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

◆ 宝永大地震は関東から九州まで 311

 江戸中期、約300年前の宝永4年(1707年)に宝永大地震が発生しました。
 阪神淡路大震災、東日本大震災や能登半島地震までは、日本史上最大の地震といわれていました。
 M8.7の津波は関東から九州まで及び、太平洋側はもちろん、瀬戸内海沿岸まで大きな被害が出ました。
 また、大地震の49日後には富士山が噴火。江戸まで火山灰が降り積もりました。
 江戸時代は、それまで土地をどんどん増やし、収穫を得る成長社会でしたが、それが転換され、品種改良や新しい肥料の開発で、限られた土地から多くの収穫を得るようになりました。
 日本は、いろいろな自然災害を経験してきています。
 しかし、災害にも負けず、復興を果たしてきています。
 一方で、その陰でいまだに苦しんでいる方も多数いらっしゃいます。
 宝永大地震では瀬戸内海まで津波に襲われたと言われていますので、もし東南海地震などが発生したら、現代の日本の被害は宝永大地震のそれとは比較にならない大きさではないでしょうか。

 

(ドアノブ)

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。


 明細リストからだけではなく、下記の総合URLからもご覧いただけます。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

>> もっと見る

■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■【今日は何の日】 3月12日 奈良東大寺二月堂お水取りと詩仙堂の写真  一年365日、毎日が何かの日

2024-03-12 00:03:00 | 【今日は何の日03月】

 

  【今日は何の日】 3月12日 奈良東大寺二月堂お水取りと詩仙堂の写真

 

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。

   詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

 

 ■ 【今日の写真】 早春の京都 詩仙堂

 史跡「詩仙堂 丈山寺」 石川丈山は、隷書、漢詩の大家であり、わが国における煎茶(文人茶)の開祖と言われている。
 丈山は、三十三歳で隠退後は藤原惺窩について朱子学をおさめ、駿河清見寺の説心和尚に禅を学び、五十九歳で詩仙堂を造営し、没するまでの三十余年を、清貧の中に聖賢の教えを自分の勤めとし、詩や書や作庭に寝食を忘れてこれを楽しんだ風雅な文化人でもありました。(詩仙堂ウェブサイトより)


  私が撮影した詩仙堂の写真 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_shisendou.htm

 

■ お水取り

 奈良東大寺の二月堂で修二会が開かれます。修二会は「お水取り」「おたいまつ」でご存知の方も多いと思いますが、二月堂の行事がなぜ三月に開催されるのでしょうか?

 旧暦二月に行われたからで、それが新暦でたまたま三月になったというのは誰しもが思い当たります。しかし、修二会そのものの起源というのは、日本では定かではないようです。二月堂の修二会が最も有名ですが、薬師寺や法隆寺など、他のお寺でも修二会は開催されています。

 修二会というのは「本尊に対する悔過(けか=罪の懺悔告白)(Wikipedia)」のことで、日本における修二会の始まりは「二月堂縁起」に記載されているそうです。

 それにしても「悔過」を「けか」と読むことは私にはできませんでした。因みに広辞苑を引いてみると「己が罪を懺悔し、罪報を免れることを求めるために、薬師・阿弥陀・吉祥天などを本尊として一定の作法によって行う儀式」と書かれていました。

 

 

■ サンデーホリデーの日,半ドンの日

 昨今では、「週休二日制」があたり前で、死語になりつつあると言う人もいます。

 私がサラリーマンをしている頃は、土曜日は正午まで仕事をしていました。入社後、しばらくして、「週休二日制」が導入されましたが、はじめは、隔週でお休みでした。

 土曜日の半日出勤を「半ドン」といいました。

 半ドンとは、「半分ドンタク(休業)」を略したものです。江戸時代末期に、オランダ語で、日曜日を意味する「zondag」という言葉が訛って、休日や休業を意味するようになったのだそうです。

 1876年(明治9年)に、公官庁で土曜半休となり、「半分のドンタク」を略して「半ドン」というようになったと言われています。

 これには、異説もあります。

 明治時代から第二次大戦・太平洋戦争の時期にかけ、皇居において正午に大砲の空砲を撃って知らせたことから、この名称が使われるようになったとも言われています。

 「半分休みの土曜日」を略して、「半土」から「半ドン」となったという節もあるそうです。

 1876(明治9)年のこの日に、官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施され始めました。

 それまでのやり方では、欧米とのやりとりに不便があり、欧米のやり方に近づけたそうです。


■ その他
◇ 豊川稲荷祭
◇ 佛恵禅師寂

 

 Gooブログ

 アメブロ

 FC2ブログ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする