◆【経営コンサルタントのひとり言】”真”のプロとセミプロの違いは何?
「プロ」といいますと、大半の人が、プロ野球やサッカーJリーグを連想するかもしれません。
私の場合には、自分が40余年にもわたり経営コンサルタントという仕事をしてきました。ここ十年以上にわたり、若手経営コンサルタントの育成ということをライフワークとしてやってきています。
ただし、「若手」というのは、年齢的に若いというのではなく、経営コンサルタント歴が若いという意味です。経営コンサルタントというのはプロフェッショナルな職業です。年齢や学歴は関係ありません。経験に基づく実力や実績がモノを言う世界です。
近年、テレビ番組にプロと言われる人が出演し、お話をしてくれます。それが歴史や時事問題であることもあれば、経済に関する解説など、内容は様々です。私の場合には、自分が経営コンサルタントという仕事バカですので、この種の解説をしている人に、今回は話を限定したいと思います。
多くの場合、頭でっかちな、理屈っぽさが目立つように感じます。難しいことを、さらに難しく話しているように思えるのです。
一方で、難しいことをやさしく、わかりやすく話してくれる人もいます。
両者の違いは、「”真”のプロと”セミ”プロ」の違いなのではないかと考えます。
おそらく能力的には、両者は大差がないのではないでしょうか。しかし、自分の役割をキチンと理解しているかどうかが、その分水嶺でしょう。では、その分水嶺は何か、と考えたときに、「やさしく、わかりやすく伝える」ことに対する必死さの違いではないかと思います。
難しい事項をやさしく、わかりやすく話をすることの重要性が解らない出演者は、スタートの時点でプロではないと判断できます。
「どの様な言葉を、どの様に使うとわかりやすいですか」「どの様に表現したら理解してもらえるでしょうか」等々を相手の立場に立って追求する度合い、すなわち、それに対する必死な取り組み姿勢が、結果として差に繋がっているように思えます。
吉田松陰の言葉に、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」という名言があります。松蔭は「取り組みの不充分さ」を指摘していると、多くの人は言葉として、抽象性をもった、観念的な指摘と解釈しているように思えます。
しかし、松蔭は、それだけではなく、取り組むための方法論の選択のあり方や取り組みの質の問題等々、視点を変えていろいろな角度から思考したり、方法論を替えてみたり、と、徹底的な追求をしなければいけないう指摘しているのです。
すなわち、工夫というようなテクニックな欠陥だけではなく、必死さが不足しているという指摘と考えます。私は、これを「必死差」という造語を用いて、若手経営コンサルタントの育成に今後も励んで行きたいと考えています。