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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

2023-06-29 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

黄檗山萬福寺には、枯山水や池泉廻遊式の複数の庭園があります。

その中から4つの庭園をご紹介します。

 

 石 條 

 

石條(せきじょう)
境内に縦横に走っている参道は、

正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ

特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。

中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、

黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、

菱形の石の上立てるのは住持のみです。

私達参拝者は、菱形石の上も歩いてよいと

受付でいわれました。

石條は、境内処々にあります。

重要文化財「通玄門」は、

開山堂にはいるための正門ですが、

ここも、やはり中央に

 

 放生池 

 

放生池 (ほうじょういけ)
 

 寛文4年(1664年)の造営です。萬福寺の造立が1661年ですので、その3年後に造られたことになります。
 総門を入ってすぐ右手に半月型をした池があります。放生池で、風水上の機能があります。
 ここでは、「放生会(ほうじょうえ)」という儀式が行われます。隠元禅師の放生思想は、明代の雲棲祩宏などの放生運動を受けたもので、「雲棲大師戒殺放生文」の跋文ほか放生を勧める法語が多いのが特徴です。
 放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教的な儀式です。
 放生会は古代インドに起源をもつ行事で中国や日本にも伝えられてきました。また、インド由来の六道輪廻説と中国の孝道が一体化したものともいいます。

 

放生池(ほうじょういけ)南側

放生池 北側

 

 庭園「中和園」枯山水庭園 

 

  1972年(昭和47年)、隠元の300年大遠諱に合わせて整備されました。

名称は、当地にあった大和田御殿に後水尾天皇の生母である中和門院が、

そこに住われていたことにちなんで「中和園」と命名されました。
枯山水庭園と池泉廻遊式日本庭園とがあります。

 

天王殿の方向に行く回廊右手に中和園はあります。

中和園 枯山水庭園

中和園は中和門院の屋敷である大和田御殿跡にあります。

  中和門院が日常的に使用されていた

中和井(ちゅうわせい)という井戸が

上記写真のほぼ中央にあります。

 

中和井も見えます。

 

 庭園「中和園」池泉廻遊式庭園 

 

上述「中和園」枯山水庭園に続いて

池泉廻遊式庭園があります。

 

 

 

 

 

 天王殿庭園 

 

天王殿を背にして右手に中和園の枯山水・池泉廻遊式日本庭園があります。

左前に睡蓮池があります。

 

天王殿テラスから池を見下ろす

奥の建物は天王殿

4~5月にかけて睡蓮が素晴らしいでしょう。

天王殿横の回廊を見ながら睡蓮の池を見る

 

 売茶堂庭園 

 

 1928年(昭和3年)に創建された、

煎茶の祖であり、黄檗僧である

月海元昭禅師が祀られています。

月海は、京都の鴨川畔に茶屋を開き、

各地に煎茶筵を設け、茶を売り、

売茶翁や高遊外と称されました。

禅師像は、加納鉄哉の作です。
庭園の手入れ作業中で、

庭園を見ることができませんでした。

 

売茶堂

庭園作業中をお邪魔しました。

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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■【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 京都宇治 源氏物語ミュージアム 「源氏物語」に関する資料の収集・保管等がなさる公立博物館

2023-06-20 14:43:30 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】    京都宇治    源氏物語ミュージアム

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】    京都宇治    源氏物語ミュージアム

   「源氏物語」に関する資料の収集・保管等がなさる公立博物館

 ネット上で注目を浴びようといろいろな工夫をした映像や写真を見ることができます。しかし、ここでは、何も飾らない、ひとり旅の旅先で見て、感じて、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています。
 今回は、「源氏物語」に関する資料の収集・保管等がなさる公立博物館「源氏物語ミュージアム」を紹介します。

 紫式部が書いた源氏物語五十四帖の中で、最後の十帖の舞台となったのが、この地・宇治です。源氏物語ミュージアムは、京都府宇治市にある公立の博物館で、幻の写本をはじめとする「源氏物語」に関する資料の収集・保管等がなされています。実物大に復元された牛車や調度品、源氏物語紹介映像などのサービスがあります。
 写真  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/adb766fb1fe9a1f55ae6969cb9816d6c
 映像  https://youtu.be/Y83848q8lXk

 *

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 


ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都御苑 閑院宮邸跡庭園 現皇族直系に繋がる四親王家の廻遊式日本庭園

2023-06-20 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都御苑 閑院宮邸跡庭園 現皇族直系に繋がる四親王家の廻遊式日本庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 京都御苑 閑院宮邸跡(かんいんのみやていあと)庭園

 

 「閑院宮邸跡」は、広大な京都御苑の南西部に位置します。

 地下鉄丸太町駅から徒歩でも数分のところにあります。かつての皇族・閑院宮家の屋敷跡であり、その庭園の遺構であります閑院宮は、東山天皇の皇子直仁親王を始祖としています。

 創立は、宝永7年(1710年)です。閑院宮は、伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ江戸時代の四親王家のひとつで、現在の皇室の流れとなっています。
 創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失し、現在の建物との関係など詳しいことはわかっていません。

 閑院宮家が東京に移る明治10年まで邸宅として使用されていました。そののち、華族会館、裁判所となったりと、いろいろな変遷を経て、現在に至ります。平成15年度から3ヶ年をかけて全面的な改修と周辺整備が行われました。また、平成26年3月に、旧宮内省所長官舎跡の庭園が復元整備され、現在の庭園となっています。

 この部屋は、唯一天井に虹梁(化粧ばり)を渡し、墓股を置き、化粧屋根裏天井となっています。南棟の中でも最も立派な造りです。

 ここの庭園は、池泉回遊式庭園で、江戸時代中期の作庭といわれています。京都御所・仙洞御所など皇室の庭園でも見られる洲浜があります。ここの池泉はつては、今よりも大きかったそうです。江戸時代の洲浜の遺構は、地中に残って居るそうで、その上に同じ形で復元されました。

 奥には、二つ目の庭園があります。1892年(明治25年)に元・閑院宮邸の敷地内に宮内庁京都所長官舎が建造されました。その遺構が「宮内省所長官舎跡」として残されています。建物の基礎と沓脱石・手水鉢・庭園などを見ることができます。
 明治から大正時代にかけて作庭されたこの池泉回遊式庭園は、九條池や閑院宮家の苑池とはまた異なり、琵琶湖疏水から京都の市街地まで引かれた水路から伸びているそうです。こじんまりながら、きれいな水の流れが楽しめる庭園です。秋には紅葉が美しいそうです。

 

■アクセス
 〒602-0881 京都市上京区京都御苑3 

 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩3分
 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩15分
 最寄りバス停は「烏丸丸太町」バス停下車 徒歩2分

 

 

 

閑院宮邸跡

上記京都御苑看板地図の左下(南西)

 

 

 閑院宮邸跡 

 

正面玄関

 

 

天井に虹梁(化粧ばり)を渡し、

墓股(かえるまた)を置き、化粧屋根裏天井となっています。

南棟の中でも最も立派な造りの部屋で

虹梁は、ここだけです。

展示室

池泉前から築山越しに見た御殿

御殿裏側

中庭

 

 東池庭園 

 

茶室前から見る東池庭園池泉の東半分

ここには2つの庭園があり、その一つです。

東池庭園池泉の西半分

かつてはL字型の大きな庭園であったそうです。

東池庭園の池泉

東池庭園の畔の立つあづまや

 

 旧宮内省所長官舎跡 

 

一時期、旧宮内省署長官舎がこの地に置かれていました。

 

 

 

 

 

 

 西池庭園(旧宮内省所長官舎庭園) 

 

 

 

最上流が流れ出す築山

最上流

右手が最上流、奥が官舎跡地

上記踏み石から見た池方向(感謝園側間近)

 

 

ナレーションつき映像で視る

閑院宮邸跡庭園

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編

2023-06-18 13:05:34 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!ひとり旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編 

 

 京都仙洞御所(せんとうごしょ)は、御所公園の南東部に位置し、京都迎賓館と並んでいます。

 後水尾上皇の御所として、1630年(寛永7)に完成しました。残念ながら当初の御殿は1854年(嘉永7)に焼失してしまい、今日まで再建されることはありませんでした。現在では庭園のみが残っています。現存するのは、醒花亭と又新亭の2つの茶屋と雄大な庭園が往時の面影を残しているのみです。

 仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇のための御所のことを指します。それに対して、皇太后・太皇太后(崩御した天皇の皇后)の御所(女院御所)を大宮御所(おおみやごしょ)と呼びます。

 1854年の火災後、建築群は再建されず、現在では庭園のみが残っています。1867年以降、隣の御常御殿が残る大宮御所に組みいれられ、皇室の京都における邸宅として整備されました。現在では大宮御所と仙洞御所を合わせた邸宅を単に「大宮御所」と呼び、天皇・皇后の行幸啓(帰京)の際の滞在施設として使用されています。
 仙洞御所(大宮御所ふくむ)の地は、かつて太閤秀吉が築いた豊臣家の本邸「京都新城」のあった地であり、寛永4年に後水尾天皇が譲位の意向を示しますと、幕府はこの地を仙洞御所と大宮御所の地として選び御所建設工事に着手しました。
 2019年4月30日、第125代天皇明仁が退位し、上皇となりました。その上皇の御所として「仙洞御所」が東京(東京都内)にも整備されることから、区別の為に従来の仙洞御所は「京都仙洞御所」と改称されました。

庭園
 現代も天皇・皇后や上皇・上皇后(皇太后)両陛下の御宿泊所となる『京都大宮御所』に連なる池泉廻遊式日本庭園は、江戸時代初期に、後水尾上皇と仙洞御所の作事奉行だった小堀遠州により作庭されました。
 北池と南池という大きな2つの池泉が配されています。
 「北池」は、正面に見える東山の借景がとりわけ美しく見えます。
 北池を右回りに進みますと「六枚橋」に出ます。池のこの周辺は「阿古瀬淵」と呼ばれます。平安時代の歌人・紀貫之の邸宅がかつてこの辺りにあったと伝わり、そのことから名付けられました。また豊臣秀吉が『聚楽第』の後に築いた本邸『京都新城』の庭園の遺構とも伝わります。
水の流れを眺めながら大きな池を回遊しますと、モミジが美しいエリア〜苔の美しい園路…といった風景の変化を楽しめます。(おいけさんサイト参照作成)

 鷺島を通ってさらに進みますと「八ツ橋」にでて、南池エリアに入ります。八ツ橋は、かつては屋根のついた橋であったそうで、今では藤棚に覆われています。その先は直線的な護岸で当時の遺構です。
 南池のほとりにある茶室「醒花亭」の前の堤に、12万戸の丸石が敷き詰められています。丸石を集めるために、東京の『旧芝離宮恩賜庭園』で知られる小田原藩主・大久保忠真が、丸石一つにつき米一升といって集めたのです。そのことから、この丸石を「一升石」と呼ぶそうです。

 園内には二つの茶室があります。
 園内に入りますと右手にあるのが「又新亭(ゆうしんてい)」です。明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上された茶室です。海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。造りも、いわゆる「茶室」といえる造りで、
 他の一つは、南池の南端ほとりにある茶室が「醒花亭(せいかてい)」です。前述の「又新亭」が、茶室茶室しているのに対して、こちらは開放的で、煎茶を楽しむためにしつらえています。前庭の苔が美しいと評判です。

 

■ アクセス

 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩10~15分
 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩約15分
 市バス「府立医大病院前」下車、徒歩約10分
  最寄バス停は「荒神口」「烏丸下長者町」バス停 徒歩約10分
 〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑2番地
 定休日    月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)、行事等が行われる日
 TEL    075-211-1215(宮内庁京都事務所参観係)
 ホームページ    http://sankan.kunaicho.go.jp/
 料金:無料(入場人数制限あり)
 予約方法:事前申込が好ましく、午前11時より当日申込の整理券が門前で発行
 

 御常御殿 

 

大宮御所・仙洞御所とも焼失し、再建されず、

その代替を務めるのが御常御殿です。

大宮御所・仙洞御所の勅使門

御所への大通りに直交する道から見た勅使門

左手は有栖川宮旧邸後

勅使門

「京都大宮御所」の御常御殿

後水尾上皇の御所として、1630年(寛永7)に完成しましたが

1854年(嘉永7)に焼失し、再建されていません。

大宮御所・仙洞御所の代わりに、

ここ御常御殿が、皇族の皆さんの宿泊所

車寄せ

皇族の皆さんが来られたときに

お出迎えの人が少なければ車寄せから下車

たくさんのお出迎えがいる時には、

勅使門を入られたところで下車し

徒歩で御常御殿に入られるそうです。

御常御殿車寄せの天井

大宮御所・仙洞御所庭園への入り口

御常御殿を南側から見る

建物は和風ですが、室内は洋風になっているそうです。

中央にシャンデリアが一つ点灯しているのが見えます。

 

 お茶室 

 

 園内には二つの茶室があります。
 園内に入りますと右手にあるのが「又新亭(ゆうしんてい)」です。明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上された茶室です。海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。造りも、いわゆる「茶室」といえる造りで、
 他の一つは、南池の南端ほとりにある茶室が「醒花亭(せいかてい)」です。前述の「又新亭」が、茶室茶室しているのに対して、こちらは開放的で、煎茶を楽しむためにしつらえています。前庭の苔が美しいと評判です。
 

お茶室への門

植木職人さん達がお手入れの最中でした。

「又新亭(ゆうしんてい)」

明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上

伝統的なお茶室らしいお茶室です。

海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに

日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。

中を見られないのが残念です。

 

醒花亭(せいかてい)

南池の南端ほとりに立っています。

洲浜には12万戸の丸石が敷き詰められています。

丸石を集めるために、丸石一つにつき米一升といって集めたので、

そのことから、この丸石を「一升石」と呼ぶそうです。

「又新亭(ゆうしんてい)」が、いかにも「茶室」という設えなのに対して

こちらは開放的です。

煎茶を楽しむためにしつらえています。

前庭の苔が美しいと評判です。

入口側

 

仙洞御所跡

柿本社

大宮御所・仙洞御所をお守りする神社

 

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園2 北池 

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園3 南池 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園

2023-06-18 13:02:51 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都迎賓館6 日本の匠の技術の粋を集めた国賓級の人を迎える館 庭屋一如の3つの庭園

 京都迎賓館(きょうとげいひんかん、Kyoto State Guest House)は、京都市内の京都御苑内東北部にあり、元赤坂の迎賓館赤坂離宮とともに、日本の迎賓館として国の体面を保つ施設です。
 迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れた時に、会食や宿泊等の接遇を行う施設です。

 京都迎賓館は、2005年(平成17年)4月17日に開館しました。「日本の伝統技能の粋を集めた最高のおもてなしの場」と評され、日本の歴史、文化を象徴する京都で、賓客を迎えいれ、日本への理解と友好を深める施設といえます。
 建物は、洋風の赤坂迎賓館とは対照的な和風建築として設計されています。南側を「表」(公の場)、北を「奥」(私的施設)と位置付け、建物の南半分には会議・会談、晩餐、和風会食、管理等の施設が、北半分には賓客の居住・宿泊のための施設が配置されています。
 歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋(いりもや)屋根と数寄屋(すきや)造りの外観です。
 「行の庭」と命名された池の周囲に、聚楽の間、夕映えの間、藤の間、桐の間、滝の澗、貴船の間、水明の間や宿泊エリアがあります。
  所在地    京都府京都市上京区京都御苑23
  敷地面積    約2万140平方メートル
  本館構造    鉄筋コンクリート造、地上1階(地下1階)
  延床面積    約1万6000平方メートル


 庭園は、仁和寺・御室御所の御用庭師だった佐野藤右衛門氏が携わっています。庭園の大滝を手掛けたのは、イサム・ノグチ氏の共同制作者でもあった石彫家・和泉正敏氏です。

 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)

 長年希望していたものの、なかなか予約が取れませんでした京都迎賓館を訪れるチャンスが偶然のタイミングでやってきました。
 一名の予約キャンセルがあると、迎賓館横の休憩所で、係の人から声をかけられたのです。
 日本の匠の技の結集である京都迎賓館は、想定以上に感動しました。

 建物や調度品には、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)、西陣織や蒔絵(まきえ)、漆など、数多くの京都を代表する伝統技能が活かされ、それを処々で感じ取れます。

■ 日本庭園
 玄関前の「真の庭」、館内の中央「行の庭」、賓客宿泊室に面する「草の庭」の3面で構成されています。
 「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の現代和風の庭園として、尼崎博正氏の監修により、佐野藤右衛門氏を棟梁とする京都の庭師らにより作られました。
 庭屋一如とは、「庭と建物は一つの如し」という意味です。庭と建物が融合し、自然と調和する境地、庭と建物の調和がとれた生活空間、引いては環境と共生する建物を指します。
 古くから日本の住まいには庭園や坪庭があり、「自然と人は分かち難く、つながっている」という日本人の心情があらわれています。(「庭屋一如」の説明はhttps://shichusankyo.com/theme/garden/をもとに作成)
 ただし、一般ツアーでは、宿泊室に面し、滝を有する「草の庭」を拝見することはできませんでした。

■ アクセス

 京都市営地下鉄今出川駅より徒歩10分

 見学料: 2,000円
 事前予約制
 空きがあると当日受付もあります

 

 玄関前の「真の庭」 

 

京都迎賓館前庭

「新の庭」は京都迎賓館正面玄関前に位置しています

前庭には御影石が敷き詰められ重厚さを感じました


敷石となっている御影石

「新の庭」の二大立役者

玄関越しに見る正面門

 

 館内の中央「行の庭」 

 

建物に囲まれ、中庭のようになっているのが「行の庭」です

エントランスホールから見た「行の庭」の池

最初に入った「聚楽の間」からは庭園・池は見えません

 

 夕映えの間から見た「行の庭」 

 

「比叡月映」、「愛宕夕照」の綴れ織りのある

夕映えの間から「行の庭」を見ました

夕映えの間から見た「行の庭」南池

 

 

 

 

 

 

 藤の間から見た「行の庭」 

 

大広間の晩餐室である藤の間は、

人間国宝の江里佐代子氏による截金で飾られています。

 

雪見障子越しに見る「行の庭」

 

 

水面の揺らぎ

 

 桐の間から見た「行の庭」 

 

和の晩餐室「桐の間」からも「行の庭」が見えます

桐の間の廊下の外には庭園も見えます

 

 

 

 

 舟形天井の廊下から見た「行の庭」 

 

池を渡る屋根付き廊下

橋の南東たもとに立つやなぎ

「行の庭」南半分

正面は夕映えの間

「行の庭」南東部

「行の庭」南西部

「行の庭」南西部

「行の庭」北側、建物は宿泊室

 

宿泊室横にある船泊

 

船泊から見た桐の間(正面)と舟形天井橋(右)

宿泊室

舟形天井橋中央からは北正面に位置

舟形天井橋からみる北東の浜

橋のたもとに咲くコウホネ

 

京都迎賓館1 アプローチ         

京都迎賓館2 エントランスホールと聚楽の間

京都迎賓館3 綴れ織による日月の夕映え景色 

京都迎賓館4 晩餐会場「藤の間」     

京都迎賓館5 和の晩餐室「桐の間」    

京都迎賓館6 庭屋一如の3つの庭園    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

2023-05-28 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 北上市は、岩手県南西部に位置し、北上盆地の中央にあります。人口は約9万2千人で、岩手県では4番目に多く、県南広域振興圏に位置し、花巻市と共に北上都市圏を形成しています。
 江戸時代には、花巻市と水沢市の間にある農業地域でしたが、工業振興を町づくりに掲げ、企業誘致に取り組みました。
 人口が増加し、マンションやホテルが相次いで建設され、教育機関が多いため、学園都市としての姿もあります。また、豊かな自然に恵まれ、交通の要衝として国道4号、JR東北本線、国道107号、JR北上線が交差し、東北新幹線、東北縦貫自動車道、東北横断自動車道釜石秋田線などの高速交通体系も整備されています。
 北上市は、農業産出額・製造品出荷額とも県下有数で、注目を集めています。また、観光地としても、展勝地、北上・みちのく芸能まつり、スキー場、キャンプ場などのアウトドア施設があります。

 

 北上市の観光名所である北上展勝地は、桜の名所として知られ、令和3年に開園100周年を迎えました。
 毎年、桜の季節に開催される「北上展勝地さくらまつり」では、多くの花見客が集まります。期間中は、川上空をこいのぼりが泳ぎ、満開の桜並木をノスタルジックな雰囲気たっぷりの観光馬車が走ります。
 また、夜にはライトアップされた桜並木が美しく川面に映し出されます。
 展勝地公園内には、約150種類の桜があり、4月中旬から5月上旬まで咲き誇ります。レストハウスでは、地元の新鮮な野菜や山菜を使用した季節料理、手打ちそば、臼杵つき餅などの郷土料理を味わうことができます。
 

 

 

 北上展勝地の桜 

 

 

陣が丘から見た北上展勝地全景

ソメイヨシノの満開の時期(案内看板より)

ライトアップされたソメイヨシノ(案内看板より)

桜トンネルは、葉桜が見事でした<笑い>

 

陣が丘から見た北上展勝地のしだれ桜

ソメイヨシノには間に合いませんでしたが、

枝垂れ桜は満開でした。

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜の並木

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜並木にそうせせらぎ

八重紅枝垂れは、東北ではよく見られます。

ピンクがやや濃いのが特徴です。

観客のいないお猿さんの芸

 

 北上展勝地と音楽 

 

サトウ ハチロー
 1903年〈明治36年〉5月23日-1973年〈昭和48年〉11月13日 
 日本の詩人、童謡作詞家、作家
  多くの別名を用いています。
 作家の佐藤愛子氏は、異母妹にあたるのだそうです。
 「うれしいひなまつり」、「リンゴの唄」の作詞者として知られています。

 

北上夜曲(きたかみやきょく)
 1940年に、当時水沢農学校の生徒だった菊池規(1923年 - 1990年)が作詞を担当、

翌年2月に当時旧制八戸中学校の生徒だった安藤睦夫(1924年 - 2007年)が、

作曲しました。


 別名、「北上川の初恋」といいます。

蘇州や曲の知名度にちなみ

「北上夜曲」と改名されたといわれています。
 北上展勝地のある北上川の畔に歌碑が建っています。

北上夜曲化碑横に立つ「おいらん松」

 

宮城県北上市 桜の名所「展勝地」1 陣が丘

宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県弘前市 桜の名所「弘前公園」3 弘前城二の丸庭園と桜いろいろ 12201

2023-05-25 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県弘前市 桜の名所「弘前公園」3 弘前城二の丸庭園と桜いろいろ 12201

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 青森県弘前市 桜の名所「弘前公園」1 弘前城と桜

 弘前公園は、青森県弘前市にある日本の代表的な公園の一つです。弘前城(ひろさきじょう、ひろさきじょう)は、1611年に築城された平山様式の、弘前藩47,000石の戸間大名である津軽氏の本拠地でした。総面積約49万2000平方メートル(約14万9000坪)にもおよぶ広大な敷地を持ちます。高岡城(鷹岡城または高岡城、高岡城)とも呼ばれていました。
 弘前城は、現存十二天守の一つであり国指定史跡で、日本100名城にも選ばれています。

 城郭は、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城です。創建当初の規模は東西612メートル、南北947メートル、総面積38万5200平方メートルに及びました。
 創建当初の天守閣は、落雷で焼失しました。再建を目論みましたが、当時の徳川幕府の厳しい監視のために、櫓を建てるという名目で再建し、それを現在の場所に移動して天守としたと伝えられています。
 堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめています。現存する建築は、いずれも国の重要文化財に指定されています。司馬遼太郎は、紀行文集『街道をゆく - 北のまほろば』で、弘前城を「日本七名城の一つ」と紹介しています。

 弘前公園は、日本さくら名所100選に選ばれるほどの桜の名所としても知られています。毎年4月には「弘前さくらまつり」が開催され、約50種、約2,600本の桜が咲き誇ります。日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選、美しい日本の歴史的風土100選、人と自然が織りなす日本の風景百選、平成百景に選定されています。

 

アクセス
 JR奥羽本線 弘前駅より約2km(徒歩25分)
 路線バス多数

 弘前市内に複数箇所のレンタサイクルがあります
 〒036-8356 青森県弘前市下白銀町1
 

 

 弘前城 二の丸庭園 

 

二の丸庭園は、北口門からまっすぐ進み、

内濠を越えてまもなくのところ

右に来た郭の入り口を見ながら進むと

左手にあります。

 

右: 北の郭 左前方: 二の丸庭園

二の丸庭園

 

二宮金次郎の青銅像が立っています

近年、金次郎像をあまり見かけなくなりました。

戦前は、どの学校にも金次郎像が立っていたと聞きます。

第二次大戦中、金属供出のあおりで

私が通っていた小学校には、

二宮金次郎像の台座だけが残っていました。

 

 弘前公園 桜いろいろ 

 

弘前公園は、日本さくら名所100選に選ばれるほどの桜の名所としても知られています。

毎年4月には「弘前さくらまつり」が開催されます。

約50種、約2,600本樹齢の桜が植えられています。

日本で最古のソメイヨシノや日本最大の幹回りのソメイヨシノを含む

100年を超えるソメイヨシノが園内に400本以上もあります。

 

ピクニック広場の南側には、いろいろな種類の桜が植えられ、

また、植物園内には「桜見本園」もあります。

 

ピクニック広場南の桜園

ファーストレディ種

朱色の桜

横浜緋桜種

ピンク色が濃いのが特徴

桜に紛れた御山霧島

白妙種

 

奥には東門が見えます

大島桜種?

お車返し

千里香種

香りが強い品種

八重紅枝垂れ種

苑内に最も数の多い品種

紅枝垂れは色が濃く、園内でも目立ちます

鬱金(うこん)は、まだつぼみが堅く見落とされがち

左の桜は日本一幹の太いソメイヨシノ

それに負けじと

椿が絨毯の上に咲き競っていました。

ネズコ (別名クロベ )
 ヒノキ科
 幹周       5.73メートル
 樹高       約20メートル
 推定樹齢  500年以上
 青森県天然記念物
 青森県が自生の北限であり、

築城以前から自生しているものと思われるヒノキ科の樹種です。
 この樹の皮は、昔、火縄銃の火縄として利用されていたということから、

築城後も、たいせつにされていたようです。

成木になると、上部でたくさん枝分かれをするのが特徴の樹です。

あたりは薄暗くなり始め

ライトアップが始まりました。

 

弘前公園1 弘前城と桜
弘前公園2 弘前公園の桜 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/3da21d17f47e87949b6781e30ee3b99f
弘前公園3 弘前城二の丸庭園と桜いろいろ https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b23577240f96e0a8691af3fc1a6a6290

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園3 南池

2023-05-19 16:56:41 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!ひとり旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園3 南池 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園3 南池 

 

 京都仙洞御所(せんとうごしょ)は、御所公園の南東部に位置し、京都迎賓館と並んでいます。

 後水尾上皇の御所として、1630年(寛永7)に完成しました。残念ながら当初の御殿は1854年(嘉永7)に焼失してしまい、今日まで再建されることはありませんでした。現在では庭園のみが残っています。現存するのは、醒花亭と又新亭の2つの茶屋と雄大な庭園が往時の面影を残しているのみです。

 仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇のための御所のことを指します。それに対して、皇太后・太皇太后(崩御した天皇の皇后)の御所(女院御所)を大宮御所(おおみやごしょ)と呼びます。

 1854年の火災後、建築群は再建されず、現在では庭園のみが残っています。1867年以降、隣の御常御殿が残る大宮御所に組みいれられ、皇室の京都における邸宅として整備されました。現在では大宮御所と仙洞御所を合わせた邸宅を単に「大宮御所」と呼び、天皇・皇后の行幸啓(帰京)の際の滞在施設として使用されています。
 仙洞御所(大宮御所ふくむ)の地は、かつて太閤秀吉が築いた豊臣家の本邸「京都新城」のあった地であり、寛永4年に後水尾天皇が譲位の意向を示しますと、幕府はこの地を仙洞御所と大宮御所の地として選び御所建設工事に着手しました。
 2019年4月30日、第125代天皇明仁が退位し、上皇となりました。その上皇の御所として「仙洞御所」が東京(東京都内)にも整備されることから、区別の為に従来の仙洞御所は「京都仙洞御所」と改称されました。

庭園
 現代も天皇・皇后や上皇・上皇后(皇太后)両陛下の御宿泊所となる『京都大宮御所』に連なる池泉廻遊式日本庭園は、江戸時代初期に、後水尾上皇と仙洞御所の作事奉行だった小堀遠州により作庭されました。
 北池と南池という大きな2つの池泉が配されています。
 「北池」は、正面に見える東山の借景がとりわけ美しく見えます。
 北池を右回りに進みますと「六枚橋」に出ます。池のこの周辺は「阿古瀬淵」と呼ばれます。平安時代の歌人・紀貫之の邸宅がかつてこの辺りにあったと伝わり、そのことから名付けられました。また豊臣秀吉が『聚楽第』の後に築いた本邸『京都新城』の庭園の遺構とも伝わります。
水の流れを眺めながら大きな池を回遊しますと、モミジが美しいエリア〜苔の美しい園路…といった風景の変化を楽しめます。(おいけさんサイト参照作成)

 鷺島を通ってさらに進みますと「八ツ橋」にでて、南池エリアに入ります。八ツ橋は、かつては屋根のついた橋であったそうで、今では藤棚に覆われています。その先は直線的な護岸で当時の遺構です。
 南池のほとりにある茶室「醒花亭」の前の堤に、12万戸の丸石が敷き詰められています。丸石を集めるために、東京の『旧芝離宮恩賜庭園』で知られる小田原藩主・大久保忠真が、丸石一つにつき米一升といって集めたのです。そのことから、この丸石を「一升石」と呼ぶそうです。

 園内には二つの茶室があります。
 園内に入りますと右手にあるのが「又新亭(ゆうしんてい)」です。明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上された茶室です。海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。造りも、いわゆる「茶室」といえる造りで、
 他の一つは、南池の南端ほとりにある茶室が「醒花亭(せいかてい)」です。前述の「又新亭」が、茶室茶室しているのに対して、こちらは開放的で、煎茶を楽しむためにしつらえています。前庭の苔が美しいと評判です。

 

■ アクセス

 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩10~15分
 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩約15分
 市バス「府立医大病院前」下車、徒歩約10分
  最寄バス停は「荒神口」「烏丸下長者町」バス停 徒歩約10分
 〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑2番地
 定休日    月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)、行事等が行われる日
 TEL    075-211-1215(宮内庁京都事務所参観係)
 ホームページ    http://sankan.kunaicho.go.jp/
 料金:無料(入場人数制限あり)
 予約方法:事前申込が好ましく、午前11時より当日申込の整理券が門前で発行
 

 南池 

 

 園内には、北池と南池という大きな2つの池泉が配されています。
 「南池」は、玉石の堤などもあり変換に飛んでいます。

南池北側

鷺の森と紅葉山を結ぶ紅葉橋から南池を見る。

紅葉橋は、土橋で北池と南池の境界となっています。

池の向こう側に見えるのが八ツ橋で、

橋の上の緑は藤棚です。

紅葉山のふもとを南池に沿って進みますと

藤棚のかかった八ツ橋が見えます。

南池に沿って更に進みますと八ツ橋が近づき

藤棚が買っていることが解るようになってきました。

八ツ橋は、かつては屋根のついた橋であったそうで、

今では藤棚に覆われています。

八ツ橋のたもとから右手(南方向)を見ますと

南池の南半分が見えます。

仙洞御所の遺構として玉石の幾何学的な護岸が見えます。

八ツ橋から見た直線的な玉石の護岸

八ツ橋

八ツ橋独特のジグザクになっています。

かつては木橋でしたが、今は石橋になっています。

八ツ橋のジグザグはやや変形の八ツ橋です。

八ツ橋からは対岸がよく見えます。

鷺の森と紅葉山を結ぶ紅葉橋も見えます。

鷺の森にある男滝が八ツ橋から見えます。

紅葉橋や男滝など、この庭園で最も変化に富んだ形式といえます。

八ツ橋から中島を見たところですが、

この庭園でも最も美しいところといえます。

中島の日本庭園らしさと、

対岸の玉石を敷き詰めた幾何学的造形の

護岸との対比が面白い

中島を彩る菖蒲

八ツ橋を渡りきったところ

後ろを振り返ると土橋の紅葉橋が

木の間から見え、中島とは違った美しさを伝えてくれます。

ここからは男滝が間近によく見えます。

鷺の森の美しさがよく見えます。

吉島越しに見え醒花亭です。

茶室「醒花亭」の前の堤に、

12万個の丸石が敷き詰められています。

丸石一つ米一升の「一升石」

中島方向

 

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園2 北池 

京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園3 南池 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園2 北池

2023-05-18 16:50:27 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 


  【カシャリ!ひとり旅】 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園2 北池 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。


 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 


■■ 京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園2 北池 


 


 京都仙洞御所(せんとうごしょ)は、御所公園の南東部に位置し、京都迎賓館と並んでいます。


 後水尾上皇の御所として、1630年(寛永7)に完成しました。残念ながら当初の御殿は1854年(嘉永7)に焼失してしまい、今日まで再建されることはありませんでした。現在では庭園のみが残っています。現存するのは、醒花亭と又新亭の2つの茶屋と雄大な庭園が往時の面影を残しているのみです。

 仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇のための御所のことを指します。それに対して、皇太后・太皇太后(崩御した天皇の皇后)の御所(女院御所)を大宮御所(おおみやごしょ)と呼びます。

 1854年の火災後、建築群は再建されず、現在では庭園のみが残っています。1867年以降、隣の御常御殿が残る大宮御所に組みいれられ、皇室の京都における邸宅として整備されました。現在では大宮御所と仙洞御所を合わせた邸宅を単に「大宮御所」と呼び、天皇・皇后の行幸啓(帰京)の際の滞在施設として使用されています。
 仙洞御所(大宮御所ふくむ)の地は、かつて太閤秀吉が築いた豊臣家の本邸「京都新城」のあった地であり、寛永4年に後水尾天皇が譲位の意向を示しますと、幕府はこの地を仙洞御所と大宮御所の地として選び御所建設工事に着手しました。
 2019年4月30日、第125代天皇明仁が退位し、上皇となりました。その上皇の御所として「仙洞御所」が東京(東京都内)にも整備されることから、区別の為に従来の仙洞御所は「京都仙洞御所」と改称されました。

庭園
 現代も天皇・皇后や上皇・上皇后(皇太后)両陛下の御宿泊所となる『京都大宮御所』に連なる池泉廻遊式日本庭園は、江戸時代初期に、後水尾上皇と仙洞御所の作事奉行だった小堀遠州により作庭されました。
 北池と南池という大きな2つの池泉が配されています。
 「北池」は、正面に見える東山の借景がとりわけ美しく見えます。
 北池を右回りに進みますと「六枚橋」に出ます。池のこの周辺は「阿古瀬淵」と呼ばれます。平安時代の歌人・紀貫之の邸宅がかつてこの辺りにあったと伝わり、そのことから名付けられました。また豊臣秀吉が『聚楽第』の後に築いた本邸『京都新城』の庭園の遺構とも伝わります。
水の流れを眺めながら大きな池を回遊しますと、モミジが美しいエリア〜苔の美しい園路…といった風景の変化を楽しめます。(おいけさんサイト参照作成)

 鷺島を通ってさらに進みますと「八ツ橋」にでて、南池エリアに入ります。八ツ橋は、かつては屋根のついた橋であったそうで、今では藤棚に覆われています。その先は直線的な護岸で当時の遺構です。
 南池のほとりにある茶室「醒花亭」の前の堤に、12万戸の丸石が敷き詰められています。丸石を集めるために、東京の『旧芝離宮恩賜庭園』で知られる小田原藩主・大久保忠真が、丸石一つにつき米一升といって集めたのです。そのことから、この丸石を「一升石」と呼ぶそうです。

 園内には二つの茶室があります。
 園内に入りますと右手にあるのが「又新亭(ゆうしんてい)」です。明治時代に五摂家のひとつ近衛家から献上された茶室です。海外からの賓客が大宮御所に泊まられた際などに日本の文化を代表する茶道をここで体験していただきます。造りも、いわゆる「茶室」といえる造りで、
 他の一つは、南池の南端ほとりにある茶室が「醒花亭(せいかてい)」です。前述の「又新亭」が、茶室茶室しているのに対して、こちらは開放的で、煎茶を楽しむためにしつらえています。前庭の苔が美しいと評判です。


 


■ アクセス


 京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅より徒歩10~15分
 京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩約15分
 市バス「府立医大病院前」下車、徒歩約10分
  最寄バス停は「荒神口」「烏丸下長者町」バス停 徒歩約10分
 〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑2番地
 定休日    月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/28~1/4)、行事等が行われる日
 TEL    075-211-1215(宮内庁京都事務所参観係)
 ホームページ    http://sankan.kunaicho.go.jp/
 料金:無料(入場人数制限あり)
 予約方法:事前申込が好ましく、午前11時より当日申込の整理券が門前で発行
 


 北池 


 


 園内には、北池と南池という大きな2つの池泉が配されています。
 「北池」は、正面に見える東山の借景がとりわけ美しく見えます。


 



大宮御所・仙洞御所庭園への入り口



池奥に見える遠景が東山です。


庭園内処々から東山を借景にして


庭園の良さが引き立てられています。



北池を右回りに進みますと「六枚橋」に出ます。


上写真の左手は「阿古瀬淵」と呼ばれます。



阿古瀬淵


橋でくびれた小さな池ですが、


大仰に「淵」と名付けられています。



平安時代の歌人・紀貫之の邸宅がかつてこの辺りにあったと伝わり、


そのことから「阿古瀬淵」と名付けられました。


 


紀貫之(きのつらゆき)は、平安時代前期の歌人であり、


『古今和歌集』の撰者の一人であることは知られています。


紀貫之が『土佐日記』において、


阿古瀬淵を訪れたことを記しています。


ただし、具体的な関係については不明です。


 



北池


左の島は鷺島(さぎしま)


鷺が、島内に多いことからこのように呼ばれています。



鷺島に渡る土橋



鷺島の名に恥じず、橋から鷺を見つけました。



別の鷺が北池上空に飛び立ちました。



鷺島から対岸に渡る石橋



北池を振り返る


右手奥に六枚橋が見えます。


赤い花はつつじです。


時期的に少々遅く、珍しくここに残っていました。



北池の最も奥



最も奥まったところに女滝があります。


落差30cm程ですので、滝といえるかどうか。



北池のん最も奥の部分を対岸の岬(鷺の森)方向から見る


 


 


京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園1 建物編


京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園2 北池 


京都御苑 大宮御所・仙洞御所と広大な庭園3 南池 


 


 


 



  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm



  ■ カシャリ! ひとり旅




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【カシャリ!庭園めぐりの旅】2301 東京 新宿御苑 江戸武家屋敷庭園の面影を残す都会の庭園

2023-04-29 18:06:11 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】2301 東京 新宿御苑 江戸武家屋敷庭園の面影を残す都会の庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 概要
 「新宿御苑」(しんじゅくぎょえん)は、環境省管轄の国民公園です。大木戸門から入ったあたりの玉藻池が、江戸時代に武家屋敷の庭園「玉川園」でした。
 広さ58.3ヘクタール、周囲3.5kmの園内に、ヨーロッパ式の風景式庭園と整形式庭園、日本庭園を巧みに組み合わせています。
 日本における近代西洋庭園の名園といわれ、特色あふれる様式の庭園が楽しめます。

 新宿御苑は、東京都新宿区にある広大な庭園であり、かつては明治天皇の御料庭園として使われていました。明治時代には、西洋式の庭園が流行していましたが、明治天皇は日本伝統の庭園に興味を持ち、庭師の渡辺嘉助に命じて日本庭園を作らせました。
 渡辺嘉助は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した庭師で、新宿御苑をはじめ、多くの日本庭園を手掛けました。彼は、自然を生かすことを大切にし、庭園の中に池や石組み、橋などを配置することで、自然の風景を表現しました。
 新宿御苑の作庭の意図は、日本庭園の代表的な要素である「自然美」を表現することにあります。庭園内には、池や石組み、橋、枯山水など、日本庭園に欠かせない要素が配置されています。また、庭園の中には、植物園もあり、多くの樹木や草花が植えられています。
 近代の造園家・原煕も携わった広い園内には「玉川園」以外の日本庭園やフランス式洋風庭園があり、園内にある茶室「楽羽亭」の設計は茶室研究家・中村昌生さんの手掛けたものです。

 新宿御苑は、庭園分類では複合型庭園といえます。風景式庭園、整形式庭園、日本庭園、玉藻池や家族連れで楽しめる母と子の森、植物を楽しめる温室があります。
 中でも「池泉回遊式庭園」部分におきましては、池や小川を中心に回遊路を配置し、庭園内の風景を楽しむことができます。また、新宿御苑は、日本庭園の中でも比較的広い庭園であり、自然と調和した景観が広がっています。
 歴史建造物も配されています。旧洋館御休所、旧御凉亭、旧温室の遺構、旧門衛所(旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所)、擬木橋(ぎぼくばし)など、歴史的な価値を見出せます。
 新宿御苑の特徴は、日本庭園の伝統的な要素が多く取り入れられていることです。庭園内には、自然石を使用した石組みや、枯山水、落ち葉を敷いた小道などがあります。また、池には、色とりどりの鯉や亀が泳いでおり、季節によっては桜や紅葉も楽しめます。新宿御苑は、都心にありながら、日本の自然美を楽しむことができる貴重な場所です。

■ 歴史
 新宿御苑の起源は、江戸時代に内藤家がその地に屋敷地を与えられたことに遡ります。内藤家は代々新宿に居を構え、玉川園や甲州街道の宿駅である内藤新宿など、その土地に名を残しました。明治時代には、内藤家の邸宅地と周辺地が大蔵省によって購入され、「内藤新宿試験場」として牧畜園芸の改良が行われました。この試験場は、欧米や中国から種子や苗を輸入し、農業技術の研究や改良を行い、広く民間にもその成果を伝えていました。
 明治10年に農事修学場が開校され、ヨーロッパから講師を招き、農業の近代化が進められました。この時期には洋式の花卉園芸はほとんど発展していませんでしたが、宮内省では菊栽培の技術の発展に力を注ぎ、植物御苑として改称されました。福羽逸人は、新宿御苑の発展に欠くことのできない人物であり、植物御苑で無加温室での温室ブドウの栽培などを手がけ、後の国民公園としての御苑の発足に大きく貢献しました。
 福羽逸人卿は、新宿植物御苑の総指揮者として、ヨーロッパの建築や庭園様式を取り入れた庭園改造計画を実施しました。彼は、ヴェルサイユ園芸学校の造園教授アンリ・マルチネーに改造計画を依頼し、明治39年に日本で初めての大庭園「新宿御苑」が完成しました。庭園は、ビスタラインなどの様式で特徴があり、皇室の園遊の場としても使用されました。また、温室植物の収集、研究、改良も進められ、桜や菊などの日本の代表的な花卉栽培にも力を注ぎました。
 戦後の厳しい状況下で、新宿御苑は庭園を維持することができず、芝生は開墾されて農耕地になりました。しかし、東京都からの依頼を受け、都立農業科学講習所用地として借用され、昭和22年の閣議決定によって国民公園として運営されることになりました。その後、財団法人新宿御苑保存会が設立され、入園者数も増加し、菊や桜の観賞会も再開されました。昭和33年にはドーム型の大温室が完成し、平成24年には環境配慮型温室としてリニューアルされました。現在は国民公園協会によって運営され、国民の憩いの場として親しまれています。
 

■ 特色あふれる庭園様式
 広さ58.3ヘクタール、周囲3.5kmの園内に、ヨーロッパ式の風景式庭園と整形式庭園、日本庭園を巧みに組み合わせています。
 日本における近代西洋庭園の名園といわれ、特色あふれる様式の庭園が楽しめます。風景式庭園、整形式庭園、日本庭園、玉藻池や家族連れで楽しめる母と子の森、植物を楽しめる温室があります。

風景式庭園
 ゆったりと広がる芝生と、自然のままにのびのび育った巨樹が特徴の庭園です。新宿門から整形式庭園へまっすぐのびた、見通し線(ビスタライン)の中央には、御苑のシンボルツリー・高さ30mをこえるユリノキが高くそびえています。

整形式庭園
 110種類約500株の特色あふれる花々が咲き誇るバラ花壇を中央に、左右対称に計約160本のプラタナスを4列の並木にデザインした庭園です。

日本庭園
 ゆるやかな池の流れに沿った、池泉回遊式の庭園です。
 古くは鴨場として作られ、昭和のはじめに日本庭園として改装されました。
 11月には皇室ゆかりの菊花壇展が開催されます。

玉藻池
 江戸時代の内藤家の屋敷跡の面影をとどめる庭園です。
 現在の大木戸休憩所には、御殿が建てられ、池、谷、築山をしつらえた景勝地「玉川園」が造られたといわれています。

母と子の森
 都会に住む子どもたちが自然とのふれあいを楽しみ、豊かな感性と自然への関心を育むために、昭和60年(1985)に造られた自然観察フィールドです。
身近な木々や草花、昆虫などとのふれあいが楽しめます。

温室
 明治8年(1875)に建てられたガラス張りの温室がルーツで、平成24年(2012)に絶滅危惧種の保存・展示を行う環境配慮型の温室となりました。
熱帯・亜熱帯の植物を中心に約2700種を栽培しています。
11月には洋ラン展が開催されます。

■ 歴史建造物
 明治時代に創建された旧洋館御休所や日本庭園の旧御凉亭など、皇室庭園の歴史を今に遺す歴史建造物があります。

旧洋館御休所(きゅうようかんごきゅうしょ)
 天皇や皇族が新宿御苑内の温室を鑑賞する際の休憩所として明治29年(1896)に創建されました。大正13年(1924)に現在の規模になり、クラブハウスとして使用されました。
建物は宮内省匠寮により設計され、アメリカの建築様式スティック・スタイルを基調としています。(平成13年(2001)重要文化財(建築)指定)

旧御凉亭(きゅうごりょうてい)
 皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として昭和2年(1927)に献上された建物です。中国ビンナン建築様式の特徴を取り入れた、日本にある数少ない本格的中国風建築です。
設計者の建築家・森山松之助は「水の上に立つ御休息所」「夏の御散策の際に涼をとる建物」と設計意図を語っています。

旧温室の遺構
 明治26年(1893)から大正3年(1914)にかけて建てられた初期の温室の遺構で、平成22年(2010)の埋蔵物発掘調査で出土しました。
温室の一番東側の基礎部分で、基礎石部分の上に切石、さらに煉瓦が積まれた構造をしていました。

旧門衛所(旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所)
 昭和2年(1927)に建てられた門衛所です。
当時の独特のデザイン性や、御苑の歴史的・景観的価値が評価されている建造物です。

擬木橋(ぎぼくばし)
 明治37年(1904)のセントルイス万博で展示されていたものを輸入し、フランス人技師が設営工事を行い、明治38年に完成しました。日本初の木を模した欄干といわれています。


■ アクセス
 各線 新宿駅より徒歩10分
 丸ノ内線 新宿御苑前駅より徒歩5分
 JR千駄ヶ谷駅より千駄ヶ谷門まで徒歩5分
 

 

インデックス

< 今後追加して参ります >

 

風景式庭園

整形式庭園

日本庭園

玉藻池

旧御凉亭

春の新宿御苑

夏の新宿御苑

秋の新宿御苑

冬の新宿御苑

御苑の桜

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県鶴田町 鶴の舞橋 岩木山の雄大な山影を湖面に映し三連太鼓橋がはえる

2023-04-23 14:01:35 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 青森県鶴田町 鶴の舞橋 岩木山の雄大な山影を湖面に映し三連太鼓橋がはえる

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。
 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 青森県鶴田町 鶴の舞橋 岩木山の雄大な山影を湖面に映し三連太鼓橋がはえる 
  http://www.town.tsuruta.lg.jp/kankou/kankou-kankou/tsurumaihashi.html
 青森県五所川原の西に位置し、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に、ヒバ材だけで造られた、三連の太鼓橋を持っています。春は桜、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪景色の四季を通じた景勝地です。
 その伝説に満ちた優美な湖面に美しい姿を映す鶴の舞橋は、吉永小百合のJR東日本のCMでも知られています。しかし、この湖は、ため池として造られた人造湖です。この地域には、岩木山からの涌水・雪解け水を利用して、100以上のため池があります。
 全長300mのこの橋は、三連太鼓橋では日本一長い木橋であり、そのぬくもりたっぷりの優しいアーチは、鶴と国際交流の里・鶴田町の新しい魅力となっています。
 長さ・幅    長さ:300m  幅:3m
 橋脚の径    直径30cm(樹齢150年以上を700本)
 使用材料    青森県産「ひば」1等材
 使用量        丸太3千本、板材3千枚(4LDKだと約30棟)
 設備         休憩所(中間2カ所) 大ステージ:10m×21m 小ステージ:9m×9m
 総工事費    2億6千万円(木橋部及び休憩所)
 ため池名称「廻堰大溜池(まわりぜきおおためいけ)」
 通称        「津軽富士見湖(つがるふじみこ)」
廻堰大溜池の沿革
 古記に、このため池は岩木山を水源とする白狐沢からの自然流水による貯水池でした。万治3年3月(西暦1660年)に、四代藩主津軽信政が、樋口権右衛門を廻堰大堤奉行に任命し、柏村地方の用水補給のための堤防を築き用水池にしたものと記録されています。
 その後、豪雨、融雪と自然災害により元禄、寛政、文政、明治、大正と堤防が決壊し、そのたびに大修理が加えられました。これに関係者が知恵を絞って対応しようとしたのがこのため池の契機です。長期にわたる努力と地域住民の献身的な働きかけにより、昭和16年から県営事業として築堤工事に着手し、その後国営工事に切替られ、総工事費約4億円を投じて昭和35年に現在の堤防が完成されました。
 春の増水期には1,100万トン(かんがい面積393ヘクタール)の貯水量を有します。このうち木造新田地方の補給用水として566万トン(補給面積5,500ヘクタール)をかかえ、水深約7m、満水面積281.28ヘクタールと県内でも人造湖としては最も大きな貯水湖です。西津軽一円の農業にとって欠くことのできない重要な役割を果たしています。
 また、このため池の特徴として周囲11kmのうち堤の延長4,178.44m、堤高7.08mは他に例がなく、ことに堤長に関しては日本一です。そのうえ大溜池の中に壮大な岩木山を映すさまはまさに『津軽富士見湖』の愛称どおり"美"そのものといわれています。


アクセス
 最寄りの陸奥鶴田駅からは、車で10分ほどのところにありますが、路線バスは通っていません。駅からは、車の到着時刻にあわせて待機しているタクシーを利用するのが良いでしょう。
(有)能率タクシー    TEL:0173-22-2002
(有)鶴田タクシー    TEL:0173-22-3515
 介護タクシーつがる(要予約)    TEL:090-4563-8972
近隣観光地
① トドロッポ ② 鶴の里ふるさと館 ③ 丹頂鶴自然公園 ④ 富士見湖パーク
⑤ 鶴の舞橋 ⑥ 津軽富士見湖 ⑦ 鶴田町歴史文化伝承館 ⑧ 大性神明宮のイチョウ(巨木) ⑨ 道の駅つるた 鶴の里あるじゃ
 

 

駐車場から鶴の舞橋への道

桜吹雪で路面がピンクに染まっています

サクラの木の間から、ヒバ材による三連太鼓橋として知られる

鶴の舞橋が見えてきました

      長さ・幅    長さ:300m  幅:3m
      橋脚の径    直径30cm(樹齢150年以上を700本)
      使用材料    青森県産「ひば」1等材
      使用量        丸太3千本、板材3千枚(4LDKだと約30棟)
      設備         休憩所(中間2カ所) 大ステージ:10m×21m 小ステージ:9m×9m
      総工事費    2億6千万円(木橋部及び休憩所)

100mの太鼓橋が三連、300mのヒバ材の木橋です

太鼓橋ですので、中間に立つ休憩所の三角屋根のみが見えます

振り返ると桜林の上に岩木山が顔を出しています

歌に謳われる「おいわき山」です

三連の継ぎ目には休憩所があります

休憩所から見た橋桁

3000本の丸太を使っています

顔を隠した岩木山

青森県人の誇り、津軽富士

鶴の舞橋の対岸の一部「へら岬」が見えてきました

へら岬の柵とユニークな形状の「へら岬公園」の標識板

へら岬公園から見た鶴の舞橋と岩木山

ようやく人姿が消えた鶴の舞橋

丹頂鶴自然公園から見た鶴の舞橋と岩木山

丹頂鶴育成館

 

 弘前公園など東北三大桜を追いかける、一泊の駆け足旅行でしたが、無事に帰京できました。

 ユーチューブで動画とともにアップロードしましたので、そちらでもお楽しみいただけます。

 桜舞う鶴の舞橋公園

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園11 庭園7 本堂裏白砂枯山水庭園 141101

2023-04-19 10:33:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園11 庭園7 本堂裏白砂枯山水庭園 141101

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県仙台市 輪王寺庭園11 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 庭園7 本堂裏白砂枯山水庭園 141101

 

 輪王寺は、仙台の寺町であります北町地区にある、室町時代からの歴史のある伊達家ゆかりの寺院で、「北山五山」の一つと数えられています。

 輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。

 その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年、現在の地に移りました。

 明治維新後、輪王寺は伊達家の庇護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼してしまいました。

 曹洞宗大本山、永平寺と總持寺の意を受けて、明治三十六年(1903)、福定無外和尚により、復興に着手し、現在の本堂と庫裡を完成しました。無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎました。次の五峰和尚により、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が完成し、七堂伽藍の全てが整いました。

 庭園には、茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。

 昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至りました。

 

アクセス

 

 JR仙山線北山駅から徒歩15分ほどのところにあります。

 仙台駅から路線バスで、近くまで行くこともできます。

 

 

庭園
 無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ、その晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がり、今日の輪王禅苑の基礎が整えられました。

 無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は次の日置五峰和尚(1893-1972)に受け継がれ、梵鐘・位牌堂・坐禅堂・開山堂が次々と完成して七堂伽藍のすべてが整い、庭園も茶室半杓庵が建設され東北有数の名園となりました。

 さらに昭和五十六年(1981)日置道閑和尚(1926-2009)の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、輪王寺は昔日の偉容を回復するほどに至りました。

 

境内と庭園

 

本堂裏白砂枯山水庭園

 

輪王寺庭園は、西池と東池を核とする池泉廻遊式庭園だけではなく

東池エリアにある白砂枯山水庭園と、

本堂裏(西池側)の白砂枯山水庭園とがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂からの渡り廊下から見える坪庭

 




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写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 聖寿寺・榊山稲荷神社・緑風苑庭園(築山池泉廻遊式日本庭園)

2023-04-12 16:45:33 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 聖寿寺・榊山稲荷神社・緑風苑庭園(築山池泉廻遊式日本庭園)

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 岩手県盛岡市 聖寿寺・榊山稲荷神社・緑風苑庭園 

 

 「聖寿寺」(しょうじゅじ)と「榊山稲荷神社」(さかきやまいなりじんじゃ)は隣接する、盛岡市の北山一帯は、盛岡藩主・南部家の歴代の菩提所がある所です。この一帯は、市の高松風致地区に指定されています。榊山稲荷神社境内には、日本庭園「緑風苑」があります。

 「聖寿寺」は、建長六年(1254)、南部家第二代南部実光が、初代光行の菩提を弔うために、現在の青森県三戸郡南部町に創建されたことに始まります。開山は、三光国師(孤峰覚妙 1271~1361)で、ご本尊は、釈迦如来です。

 かつて、その一帯は、南部氏の居城になっていて、本三戸城(もとさんのへじょう)と呼ばれていました。後世になって聖寿寺館(しょうじゅじだて)とも呼ばれるようになりました。

 南部氏は、桃山時代の終わりから江戸時代はじめに、慶長3年(1598)第二十六代南部信直が、盛岡に築城を開始し、寛永10年(1633)に盛岡城が竣工しました。築城にともなって、諸寺院が北山周辺に集められ、聖寿寺もこの地に移転され、山号を『大光山』寺号を『聖壽萬年禅寺』と改めました。

 南部氏代々の菩提所として、七堂伽藍を供え、当時、盛岡城下でも有数の大寺院でした。戊辰戦争で幕府方の奥羽越列藩同盟に加わったことから、戦後に衰退してしまいました。

 更には廃仏毀釈によって、明治八年(1875)に、聖寿寺の広い境内地に、幕末まで盛岡城内に祀られていた桜山神社(榊山稲荷神社の前進)が移転してきました。当時呼称されていた『もりおか開運神社』という名も用いられています。

 そのため聖寿寺は境内の片隅で如意庵という仮本堂に移され、正規の住職もいない被兼務寺院となってしまったのです。正寿寺に江戸時代のたたずまいを残しているのは、かつて五重の塔であった千体地蔵堂だけとなってしまいました。

 昭和五年に、この地の正面に神明鳥居が配され、南部家の霊廟が建立されました。同年第四十三代利淳の遺骨が納められて以後、当主の遺骨はここに納められるようになりました。

 聖寿寺も1959年(昭和34年)に、東京女子医大学長をつとめた医学者・久慈直太朗の寄
昭和五十一年には山梨南部町の南部ライオンズクラブと盛岡中津川ライオンズクラブによる南部家墓所の石段の大改修が行われた。また、平成十一年には庫裡が完成している。
進で近代建築風の本堂が再建されました。

 1976(昭和51)年に、山梨南部町の南部ライオンズクラブと盛岡中津川ライオンズクラブによる南部家墓所の石段の大改修が行われ、また、平成十一年には庫裡が完成するなどして今日に至っています。
 

アクセス
 JR山田線 上盛岡駅より徒歩20分弱
 JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(※駅周辺にレンタサイクルあり)
 盛岡駅より路線バス「坂の下」バス停下車 徒歩5分
 〒020-0061 岩手県盛岡市北山2丁目12-12
 

池を挟んで左下が聖寿寺境内、右上が榊山稲荷神社

聖寿寺には、山門はありません。

この地のメインは、榊山稲荷神社です。

昭和五年に、この地の正面に神明鳥居が、

南部家の霊廟とともに建立されました。

聖寿寺本堂

寂れていた聖寿寺も、篤志家のおかげで

平成十一年には庫裡が完成し、

近代建築風の本堂も再建されました。

本堂内陣

開山は、三光国師(孤峰覚妙 1271~1361)で、

ご本尊は、釈迦如来です。

千体地蔵堂

かつて、五重塔があり、廃仏毀釈で

解体されることが決まりました。

その時に有志が立ち上がり、

五重塔の一階部分を残し、改造して

千体地蔵堂にしたそうです。

よくみますと、五重塔の第一層であることが

うかがえます。

扁額

 

南部家納骨堂

緑風苑庭園の心字の池

方長老の作庭の池泉

池泉に立つ観音像

この中に経文が収められています。

榊山稲荷神社社殿

社殿への鳥居と旭橋(朱色の橋)

榊山稲荷神社社殿

枯山水庭園

山門

 

 映像で視る聖寿寺・榊山稲荷神社・緑風苑庭園(5分)

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 1465

2023-04-09 17:31:40 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 1465

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。



■ 宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園 

 「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した、家臣の子弟を教育する郷学(学問所)です。開校は十代邦直が当主の嘉永3(1850)年頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設されました。

 現存する有備館の「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5(1677)年に建てられた可能性が高い建物で、下屋敷としても利用され「対影楼」と呼ばれました。

 明治維新後の明治2(1869)年には,有備館の御改所と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきました。

 昭和8(1933)年2月28日、居宅と庭園は「旧有備館および庭園」として国の史跡及び名勝に指定され、昭和45(1970)年に岩出山伊達家の厚意により岩出山町(現大崎市)に移管され、一般に公開されるようになりました。

 池を取り囲む庭園は、四季折々の景色を楽しむことができ、特に、晴れた日に見える、水に映える庭園と御改所は荘重で優美なたたずまいを見せてくれます。
 

アクセス
 宮城県大崎市岩出山字上川原町6 0229-72-1344
 営業時間 9:00-17:00(最終入館は16:30まで)
 定休日  月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
 料金
 【個人】 大人350円、高校生260円、小・中学生180円
 最寄駅
  JR陸羽東線有備館駅 最寄駅から徒歩1分

  東北新幹線古川駅で陸羽東線新庄方向行きの列車
 駐車場  あり
 公式サイト https://yubikan.jp/top.html

 

【コメント】

 新幹線古川駅でJR陸羽東線の山形県新庄駅方向に向かう列車に乗ります。1時間に一本ほどの本数で、時間帯によっては増減がありますので、時刻表の確認は不可欠です。

 古川駅周辺も、時間を過ごせるような喫茶店などはあまり期待できません。

 旧有備館庭園は、伊達家の関わり代表的な庭園のひとつです。交通の便はあまり良いところにあるわけではないのですが、訪れる価値はある庭園といえます。

 少々、ロケーションが悪いことから、知名度は今ひとつですが(関係者には失礼ながら)、手入れも悪くなく、池泉も大きく、古木や古式ゆかしい建物などもそろい、名園といえます。

 欲を言いますと、せせらぎの部分が、少々弱い感じです。

 周囲にも散策すべきところがありますので、スケジュールさえ、キチンと立てれば、竹林や竹細工もいろいろとあり、とても素晴らしい街です。

 

 

 

右下方向が北

 

古川方向 ◀ 有備館駅▶ 新庄方向

 

 

 

 

無人駅

 

待合室がありますが、コンビニはありません。

 

 

 

 

旧有備館庭園は、道を挟んで駅の真ん前

 

 

 

 

 

 

 

駅改札外に正宗の騎馬像があります。

 

 

 

 

 

 

 

駅正面は旧有備館庭園入り口ですが、

 

その北隣が有備館の森公園があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩出山町と当別町合併記念碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内川(川下方向、左手が旧有備館庭園)

 庭園の南東側に川が流れていて、内川と呼ばれています。

 天正19(1591)年奥州再仕置により、

 

伊達政宗が岩出山に居城を移す際に、

 

岩出山城の防備と灌漑用水や城下町の生活用水確保のため整備

 

 

 

 

 

 

内川の名称は、

 

城下に築いた一ノ構の内側を流れていることから

 

名付けられたと伝えられています。

 平成28年に世界灌漑遺産に登録されました。
 

< 旧有備館2へ続く >

 

宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園   

宮城県大崎市 旧有備館および庭園2 周囲から覗く有備館庭園    

宮城県大崎市 旧有備館および庭園3 有備館庭園エントランスと付属屋




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園6 出先・西苑 1465

2023-04-09 17:11:30 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および庭園6 出先・西苑 1465

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県大崎市 旧有備館および庭園6 出先・築山・西苑 1465 

 

 「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した、家臣の子弟を教育する郷学(学問所)です。開校は十代邦直が当主の嘉永3(1850)年頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設されました。

 現存する有備館の「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5(1677)年に建てられた可能性が高い建物で、下屋敷としても利用され「対影楼」と呼ばれました。

 明治維新後の明治2(1869)年には,有備館の御改所と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきました。

 昭和8(1933)年2月28日、居宅と庭園は「旧有備館および庭園」として国の史跡及び名勝に指定され、昭和45(1970)年に岩出山伊達家の厚意により岩出山町(現大崎市)に移管され、一般に公開されるようになりました。

 池を取り囲む庭園は、四季折々の景色を楽しむことができ、特に、晴れた日に見える、水に映える庭園と御改所は荘重で優美なたたずまいを見せてくれます。
 

アクセス
 宮城県大崎市岩出山字上川原町6 0229-72-1344
 営業時間 9:00-17:00(最終入館は16:30まで)
 定休日  月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
 料金
 【個人】 大人350円、高校生260円、小・中学生180円
 最寄駅
  JR陸羽東線有備館駅 最寄駅から徒歩1分

  東北新幹線古川駅で陸羽東線新庄方向行きの列車
 駐車場  あり
 公式サイト https://yubikan.jp/top.html

 

【コメント】

 新幹線古川駅でJR陸羽東線の山形県新庄駅方向に向かう列車に乗ります。1時間に一本ほどの本数で、時間帯によっては増減がありますので、時刻表の確認は不可欠です。

 古川駅周辺も、時間を過ごせるような喫茶店などはあまり期待できません。

 

 旧有備館庭園は、伊達家の関わり代表的な庭園のひとつです。交通の便はあまり良いところにあるわけではないのですが、訪れる価値はある庭園といえます。

 

 

右下方向が北

 

古川方向 ◀ 有備館駅▶ 新庄方向

 

 

 

 

 

 

北: 左上方向

 

 

 旧有備館庭園 出先・築山・西苑 

 

ここでご紹介する「出先・築山・西苑」は、旧有備館庭園の西側で、

内川に近いところです。

「出先」は、池に突き出した岬のようなところです。

「西出先」もあります。

内川側は築山になっていますが、それほど高さはありません。

内川からの水の取り入れがなされ、小さなせせらぎがあります。

せせらぎから池に流れ込むところに明神社がありますが、

庭園整備中で、望遠レンズで撮ってきました。

有備館公園側(北西側)に沿って西苑があります。

 

御中島からみた「出先」

右に「西出先」も見えます。

 

兜島前から左に竹並木を見ながら

正面奥に築山の竹藪が見えます。

竹藪側から見た出先

奥左が旧有備館、右奥の建物が御中島の茶亭

小径を進むと、真ん中に石灯籠が立ち

出先の向こうに旧有備館付属屋が見えます。

左の小高いところが築山です。

出先から見た旧有備館付属屋

出先から西出先に続く小径

奥の出っ張っているところが西出先

左が築山

築山と竹藪

築山横から旧有備館付属屋を見る。

水源(奥)から池(左下)に続くせせらぎ

せせらぎに懸かる小橋

奥の生け垣の外が内川

小橋前から見た旧有備館付属屋

小橋前から見た西苑

つつじの頃は西苑全体が赤く染まるそうです。

右が明神社

西苑を入り口寺務所側から見る

左奥が明神社

西苑の池側の小径(明神社に通じる)から

明神社を見る。

手前が、源泉からのせせらぎの池への注ぎ口

旧有備館付属屋を明神社に繋がる小径側から見る

奥が御中島

旧有備館付属屋の過度から出先・築山方向を見る

 

これで池の周囲をぐるりと回ったことになります。

普通の人なら30~45分で廻るところを

3時間近くもかけて逍遙しました。

最後まで、お付き合い下さりありがとうございます。

 

宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園   

宮城県大崎市 旧有備館および庭園2 周囲から覗く有備館庭園    

宮城県大崎市 旧有備館および庭園3 有備館庭園エントランスと付属屋




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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