物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ゲルファントの死去

2009-10-30 17:24:00 | 数学

つい先日数学者のポントリャーギンとゲルファントのことを書いたら、今朝の新聞にゲルファントが10月5日に死去していたというニュースを見た。ロシアの数学者と思っていたが、最晩年にはアメリカに住んでいたとのことである。

このことは岩波書店のゲルファントの「学校に行かないでもわかる数学」にも出ていた。高校にも行けなかったとかで、だから独学の人のためのテクストを書いたということだった。

いまの高校に行けないでも数学者になる道が開けているだろうか。日本でそういうことが可能か。大いに疑問である。親が貧困なら、子どもも十分な教育を受けるチャンスがもてないという風に、このところなってきつつある。

だから、政権交代で民主党の政権ができたということだろう。これでもまだ同じようなことが続くなら、市民はどうしたらいいのだろうか。


親馬鹿ちゃんりん

2009-10-30 11:41:28 | 日記・エッセイ・コラム

野原三郎という英語の先生が居られて、旺文社の学生雑誌にいろいろ書かれていた。その中に「親馬鹿ちゃんりん、蕎麦屋の風鈴」ということわざがあった。これを英語では It is a wise father that knows his son. というとあった。これは中学生の頃その雑誌を取っていた級友のO君の指摘で知った。

もちろんこの英語のことわざは反語であって、自分の子どものことをよく分かっているような父親は滅多にいないということである。その野原先生は「医家の不養生」ということもいわれていた。もっともこちらに対応する英語のことわざは知らない。

これはもちろんことわざであるが、このことわざには幾分かの真理が含まれているようだ。もう何十年も前に岩波書店のPR雑誌の「図書」で、文豪として有名な森鴎外はもちろん医者であったが、自分の体を養生しないで仕事の方を優先して亡くなったとか書いてあるのを見たように思う。

今週の日曜の同期会でも医者は不養生だということをやはり聞いた。これはやはりその職業のせいがあるのかもしれない。そういえば、Heisenberg が晩年にガンにかかっていたが、その治療を断って(痛み止め以外は)75歳か76歳に亡くなったと彼のもとに長くいた山崎和夫さんが書かれていた。そして私がドイツ留学のためにフランクフルトに到着した1976年2月1日だったかに亡くなったことを後で知った。

生きるということに関して、ある種の考えをHeisenbergはもっていたのに違いない。生きるとは主体的な営為だと思う。