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明日は豊田へ

2013-02-12 | 日記

息子とお嫁ちゃんに会いに行くことになりました。お正月に会えてないので嬉しい。仲良くやってるかしら。

写真は2010年7月。長久手町のトヨタ博物館で。さすがもの造りの東海地方。トヨタの脱穀機。

わずか三年前だけど、ものすごく時間がたった気がする。それからもいろんなところへ遊びに行きまくったからかしら。

最近特に泊りがけの旅行をするようになって、自分でも呆れている。11月はドイツまで出かけたし、12月は京都と下関、1月は九州と岡山。2月はまた岡山へ行くつもりだけど、その前に豊田へ行くことになろうとは。ニュースでもほとんど耳にいって来ないので地名の読み方が難しい。知立だとか、上挙母とか。

お嫁ちゃんが知立まで迎えに行きましょうかと言ってくれたけど、「大丈夫、一人で行けるから」と断った。悪かったかしら。

身内自慢になるけど、とても気の付くいい子で、私ががんばって息子を育てたからいい子に巡り合えたんだと最後は自画自賛。

息子のお嫁さんの優しい言葉にうるうるするなんて、東京物語みたい。

 

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「ホームレス歌人のいた冬」 三山喬

2013-02-12 | 読書

昨年二月、権現山に登ったら脱輪した車に遭遇。道路が凍結していたためと思われます。横を車で通るとき、引き込まれそうで怖かったです。


2008年から2009年にかけて、朝日新聞の短歌の投稿欄に公田耕一氏の短歌が掲載され話題になったそうである。そう言われてみれば私も記憶にある。公田氏はホームレスで住所を明かさないため、朝日新聞が投稿の謝礼を渡すために連絡が欲しいという記事まで掲載したそうな。名前はもちろんペンネームだろう。

2008年年末と言えば、リーマンショック後の派遣切りにあった人たちが街に放り出され、年末年越し村が作られた時期でもあった。ホームレスの自分の立場をもう一つの目で淡々と見つめる公田氏の歌は、人々の関心を引き、たいそう話題になったらしい。抑制された表現と、歌の背景に見えるご本人の教養の深さも共感の理由だった。

著者は東大卒業後、朝日新聞社に記者として入社。ここまでは超エリート。南米移民の訴訟問題に興味を持ち、退社してペルーに移住。2007年に帰国して、フリージャーナリストとなる。仕事はそういつもあるわけでもなく、どうやら結婚もされてないらしい。

公田氏の歌に共感して、ご本人に接触するべく、横浜のドヤ街で取材を続け、雑誌に連載したものを一冊にまとめたのが本書。取材は体当たりで、実際に路上で寝たり、ホームレスや安宿に暮らす人、ドヤ街で支援活動をする人などと次々接触して、現代社会の最底辺の人々の生き方に触れる。

公田耕一氏と名乗る人からの電話があった、という支援者を通じて再び接触を試みるが本人は姿を現さない。歌の内容から、生活保護が決まり、生活の再建に向かっているのでは・・・と推測するところで本書は終わる。

この中で興味深かったのは、昔、若き日の菅直人元首相と一緒に、市川房枝を参議院選挙に担ぎ出した田上等という人がホームレスになっているということ。結婚式の仲人が菅直人だというその人は、のちに自分も選挙に出て大借金をし、そのほかいろいろあって結局はホームレスになった。そのいきさつが心に残った。

人はどんな境遇にいても、言葉で自分を表現できる。それが自分というものの誇りを取り戻し、生きる支えになる。著者の言いたいことに私は大いに共感した。

でも、私が公田氏だったら、やっぱり名乗り出なかったと思う。昔の知り合い、縁を切った(であろう)身内に今の境遇を知られたくない。昔の、若くて元気で今より恵まれていた自分の姿を憶えていてほしいと思うから。ご本人が見つからなくて幸いだった。読者もまたいろいろな想像をし、それをきっかけに自分を見つめ直す、表現へと向かうことにもなろうから。

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いゃあ、疲れた

2013-02-11 | 日記

きょうは夫の仕事が臨時にあって、久しぶりに駆り出された。連休三日目、半端でない忙しさだった。

今の仕事を初めてもうすぐ26年。今日がいちばん人数が多かった。私は四時ころ少し休憩時間を貰って昼ご飯食べたけど、夫とスタッフ全員、朝9時から夜19時過ぎまで、全員、飲まず食わず、トイレ行くのがやっと。

私は普段してないし、歳とってるので、間違えないように、仕事の流れを邪魔しないようにとそれだけを考えていた。

でも一つ聞くと、その前のことをすぐ忘れる。なんでもメモ。

いゃあ、疲れた。

 

 

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尾道いろいろ

2013-02-10 | 旅行

きょうはいい天気で暖かく、観光日和でした。

尾道水道 冬の海

路地の向こうは海

山陽本線とお寺

コーヒーか紅茶の量り売り

アーケード

古い看板

毛糸の専門店。昔はよくあったけど、今は珍しい。

行列のできるラーメン店。尾道ラーメンはファン多数。

フェリーと尾道大橋

こちらもフェリー

誰も褒めないけど尾道城。昭和30年代、観光施設としてつくられる。私はこのインパクトが好きですけど。まあ、そう無視しなくても。ねぇ。

手前はJR尾道駅。

うんうん、なかなか頑張ってる。石垣からついover hung。右側の鯱が落てるけど。

 

これぞ尾道。線路は山陽本線。一枚の写真に尾道の全部が詰まっている。鯱はやっぱりない!!

再開発されたwater frontはヨーロッパの公園みたい。向こうが向島。間は海。


 

いい一日でした。

 

 

 

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尾道へ

2013-02-10 | 旅行

昨夜、急に尾道へ行きたくなったのできょうは出かけていました。

広島、尾道往復高速バスは2,900円。片道1,450円で一時間に一本程度の便数です。JRは直通列車が少なく、最近はバスで行くことが多いです。

11:05バスセンター発 尾道駅前着が12:33のはずが渋滞して12:48頃。連休中日、観光客の車がインターからずっと続いていました。

四年前の店、花あかりさんは健在でした。尾道駅前から海に向かって左、海沿いの道を数分歩くとあります。

箸置きと箸

潮待ち膳、1,050円。茶碗蒸しのふたが逆さになっているのは、運ぶ時の落下事故防止かも。店は狭いです。

お茶もたっぷり。たっぷりなのが嬉しい。

アツアツの天ぷらはあとから来ました。

お刺身、天ぷら、茶碗蒸し。これさえあれば和食は充分。それでこの値段。素晴らしい。ほかの店は知らないけど、これが尾道値段かも。

若い観光客が多かったです。商店街は、古い店舗が若いクリエーター系の店に様変わり。観光地としていい形で発展している印象でした。

明日以降も尾道続きます。


きのうの続きだけど、ABEさん、嘘つきだと言われっ放しで放置はいけませんね。一回嘘つく人は百回つきます。何を言っても信じてもらえません。汚名をそそぐためにもぜひとも著者のインタビューを受けたらどうでしょうか。

原発のことはあえて触れず、再稼働の雰囲気へ持っていく。そう考えてるんでしょうか。

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「官邸の100時間」 木村英昭

2013-02-09 | 読書

4年前の今頃、尾道で、義妹、夫、私の三人で食事しました。海の見える素敵な店でした。尾道・・・また行きいなあ。


著者は朝日新聞の記者。二年前の東日本大震災直後は二週間、東電本社に詰めて取材にあたり、のちに福島総局へ応援に出向く。

原発事故の報道については、大事なことを報道しない「大本営発表」との批判があり、一年以上も過ぎてから、多くの人に取材をし、地震直後からの政府の原発事故対策について、主観を排し、事実を積み重ねるという方法で一冊の本として著したもの。

いゃあ、大変に迫力のあるドキュメンタリーでした。突然の停電とそれが引き金となった原発事故、それが情報が何もない段階から手を打たなければならない混乱ぶりがこれでもか、これでもかと描かれています。

読みながら、本当にゾッとし、脱力し、怒りが沸々と沸き起こり、どんな屁理屈を持ってきても、二度と原子力発電などしてはいけないのだという確信を強くしました。

いったん事故が起き、原発が暴走を始めると誰にも制御できない。被害の大きさは天文学的で、石油や天然ガスが高いなどというレベルを超えている。人の健康、人命が大きく損なわれる。この本を読むとそういう結論しか出てこない。それでもまだ原発を動かしたいなんて、原発動かすことでよほどいいことがあるんだろうか。

ここのエピソードが、いちいち怖い。

事故直後、菅総理があちらから10台、こちらからいくつと、電源車の手配をしている光景。トップがこんなことしないといけないなんて、政府の危機管理、全然体を成してないと私は思った。

対策本部に詰めている東電の役員、政治家に何を聞かれても答えられない。じゃ、会社に聞いてくれと言われても全く動けない。パニックで、フリーズした状態。原発の前に社員がメルトダウンしているとここでは書かれている。

政府に情報がほとんど来ない。原発の爆発もテレビ報道で知るありさま。

保安院、東電、何も答えられない。何もできない。以前、朝日の記事で、福島原発の職員がホームセンターでバッテリーを買い集めるという話にずっこけてしまったけど、そんな話はここでもてんこ盛り。

対策室に来た東電社員が原発の内部の図面を持ってないとか、周辺の地図から放射能の拡散範囲を割り出そうとしても縮尺を知らないとか、コンセントが合わないので繋げなかったとか。いやあ、東京電力には原子力発電を管理する能力はないでしょう。その東電が原子力発電所なんて動かしてはいけないでしょう。他の電力会社も似たり寄ったりかも。怖い。

この中で許し難いことが三つ。一つは東電が途中で原子力発電所を放棄すると言ったこと。ありえんでしょ。後で、いや放棄とは言ってない、一部を遺して撤退なんて言い訳してたけど、さらには移動ですって。ものは言いようである。呆れた。複数の人間が確かにその言葉を聞いたと証言しているのに、あとから事実を捻じ曲げて言い訳をする東電の体質ってどうよ。

もう一つは今の総理ABEの当時のブログ。菅首相が海水注入をやめさせた55分で、原発の状態が一層悪くなったと書いてるそうな。そもそも官邸には海水注入の情報が上がって来てないのに、止めさせることなんてありえない。いつの間にかABEの話が一人歩きをし、週刊文春と読売新聞がリークした。記者たちは官邸に電話をかけて来て、「それは違う」というとがっかりしてたそうな。受けるためなら嘘だって書く一部マスコミ。党利党略の為なら、あんな大変な時に平然と事実と違うことを発信する政治家。著者はABEに取材を申し込んだけど、返事がないそうな。

人は生きている間はいろいろな立場にいる。しかし、亡くなって長い時間が経ったときにはそんなことはどうでもよくなる。その時代に生きた者の責任として、ただ事実を残すべきと私は思う。今からでも遅くありません。ソーリ、ひとつ情報源を明らかにしませんか。それとも妄想?

そして放射能の拡散予測データ、SPEEDⅠをアメリカの求めに応じて送り続けたのに、官邸にはそれが届かなかったという事実。私はこの本を読むまでは官邸は知ってて隠していたとばかり思っていたけど、そうじゃなかったんですね。官僚の誰一人として自分の仕事の範囲外だけど、データを上げようと思わなかった。この体質に、本当にどうしようもなさを感じる。

この本を読んで、まだ原発があった方がいいと思う人がいたら、頭がおかしくなっているとしか思えない。総理以下閣僚は本当によく働いたと思う。誰がこの立場にいても似たようなことしかできなかったと思う。

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あーーー鍵がない涙

2013-02-09 | 日記

先日食事行ったとき、孫娘が一人一人のお箸を巻いた紙を外してくれました。みんなに褒められて調子に乗っています。

何でもやってみたいお年ごろ~


一週間前から鍵がない。家、夫の仕事場、車三つのカギをキィーホルダーに通し、長いストラップまで付けていたのに見えなくなってしまった。

先週、旅行に行くとき、家に置いて行った。帰宅後、いつもの場所にないので、あちこち探したけど見つからない。車と家の裏口は予備のカギで代用。スペアキィを作るのも悔しくてそのまま放置していたら、夫が玄関のカギを作ってくれた。ますます悔しい。最近、忘れ物が多いので、えらそげに指摘されるのが悔しいのであります。

旅行前に出かけたところにもあちこち電話したけど、出てこない。

で、また考えた。いつもの場所に置いたはず。何でないの????最悪、私の留守中、夫もうっかり鍵かけ忘れて外出した時、誰かに持って行かれたとか。でもその話をしたら、「自分がなくして人のせいにするな」と腹立てそうなので、黙っている。大きなケンカも小さな一言から。用心、用心。

それに全然荒らされた形跡もなかったし。ものも取られてないし。ふ・・・し・・・ぎ・・・。そして釈然としない。のどに骨が引っ掛かったような違和感。

これからますますなくしもの、忘れ物が増えるんだろうなあ。こうやって歳とって行くんだろうなあ。なんか取り返しのつかないことをする前に仕事もやめたいなあ。でもそうすると退屈だし、仕事があるだけでもありがたいのかも。

若い頃、年寄りってなんでものを忘れるのか不思議だった。でもいつの間にか不思議がられる歳になっているらしい。情けない。

ああ、鍵よ。汝は今いずこに?

 

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「フリーター、家を買う」 有川浩 

2013-02-07 | 読書

家は家でも福岡県飯塚市、炭鉱王旧伊藤伝右衛門邸。左端二階が、大正天皇のいとこ、柳原白蓮の居室だった。贅を尽くした大邸宅は現在、飯塚市が所有管理。見学もできます。2011年10月撮影


私はほとんどテレビを見ないので、この小説がフジテレビでドラマになったのを知らなかった。全然関係ないけど、近所の長男の同級生、高校までは一緒だったQクン、スポーツもできるし、生徒会長か何かになって早稲田に推薦枠で進学、(もちろん成績もよかったと思う)、卒業後は千人以上が受験したフジテレビに一人か二人のディレクターとして入社、今はテレビ番組を作っているらしい。

一家はとうに引っ越して、その家には今は妹さん一家が住んでいるけど、ご挨拶するくらいで、立ち入ったことを聞くのは遠慮している。

同じ学校で学んでも人生は実にいろいろ。でも彼のことだから今は中堅になってますます活躍していることだろう。

うんうん、これはいかにもフジテレビのドラマ向きの小説。


すみません、関係ない話で。

フリーターが家を買うのではなく、正社員として採用された後、仕事を頑張ってお金を貯め、父親と一緒にローンを組んで社宅を引っ越すという話。

お母さんは近所のいじめに遭って精神に変調をきたし、うつ病そのほかの症状が現れる。主人公は卒業後会社を三か月で辞めた後はどのアルバイトも長続きせず、唯一続いた土木工事の会社に事務系の正社員として採用され、ためたお金を頭金として父親に差し出し、母親の健康のために家を買うところで話は終わる。

うつ病の発症と経過、自傷行為、薬を勝手に止めて初めからやり直すところなど、身近にそういう人がいないので参考になった。家族にうつ病患者がいると本当に大変である。アマゾンのレビューによると、まだまだ書き方が甘いそうだが、これだけでもストリーの展開上は充分だと思った。

真面目な人がストレスをため込むんですよね。人は理不尽なことをされたら怒ることが大切。正しく怒り、自分気持ちを言葉に出し、行動することが大切。最近特にそう思いますね。

小説の中での話だけど、就職活動時の履歴書の書き方、書き方一つで採用担当者には熱意まで分かるそうで、私はこの先もう履歴書を書くこともないだろうけど、参考になった。

それからまた土木工事の仕事の進め方、仕事をとって来て、材料を発注して、人の段取りをつけて、というようなことを主人公が入社するまでパソコンも使わずやっていたというのが、2007年に書かれた小説なのでちょっとリアリティに欠けるかなとも思ったけど、入社後の主人公の活躍を際立たせるための書き方だろうから、(うわっセンテンスが長くなった)これでいいと思う。

最後は東工大土木科出身、現場監督志望の女の子との恋愛の始まりもあり、まあ大団円というか通俗だけど、読者に頭を抱えさせ、首をひねらせ、不安に陥れる小説だけが小説ではあるまい。

読んでホンワカいい気持ちになる、自分も周りを大切にして仕事も頑張ろうと元気になれるそんな佳品です。


先日「御法度」を見た。誰も言ってないようなので言いますが、退屈でした。そう言えば、病気のあと復活して撮った最後の作品と言うばかりで、内容に踏み込んだ批評がなかったように思う。ああいう状況で撮った映画だから、批評しづらかったのかも。病気さえしなければ、まだまだいい映画を撮れていたと思います。謹んでご冥福をお祈りします。

地元映画館で「愛のコリーダ」上映中。映画館の近くまで行ったけど、変なおっさんが暗闇にまぎれて隣の席に来たら嫌なので断念。考え過ぎかしら。この歳だから考えすぎなんですけどね。ははは。


本日、NTTの引き落とし申込み書郵送。光の工事のあといつのまにか自分で振り込むことになっていて、先日のような事故もあるわけです。ああ、もう複雑なことしたくない。ポイントカードなんてもう作らないぞ。

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IT時代

2013-02-06 | 日記

先日、孫娘が来ました。サラダを作るお手伝いをしてくれました。置いているのは自分専用の低いテーブル。

薄着できたので、私のセーターを着せました。最近よくしゃべるのですが、コテコテの広島弁。

さらにポテトフライのことをペトトと言います。「ポテトよ、言ってごらん」「ペトト」「ポテト」「ペトト」とエンドレスに繰り返す孫とおばあちゃんでした。


 

昨夜のNHKクロ現によると、職場で学校ではたまた家庭でこっそり録音するのが広く行われているんだとか。

相手の同意を得ずに録音するのは違法だとばかり私は思っていたが、実は明確な法律の規定はなく、録音データが裁判で有力な証拠として取り上げられることも増えたらしい。

夫の暴言、暴力なんて言うのも録音していると調停では取り上げるのかしら。なんか嫌な光景だけど、女性が泣き寝入りしないためにはこれから増えてくるのかも。

強引な退職勧奨、これも録音していると違法かどうかの証拠になるとか。もう一つは電話による通信販売。これもすべて録音してサーバーに蓄積、クレームがあった時にはすぐにその時のやり取りが再現できるらしい。

金融商品の販売、必ず儲かりますと言った、言わないは昔からよくトラブルになっていた。今は証券会社はすべて録音しているらしい。そればかりか、今朝、とある証券会社に電話して持っている投信がいくらになるか聞いたところ、私の名前も確認せずにすぐに値段を教えてくれたのにはびっくりした。

「エッ、何で私ってわかるんですか」「電話番号を登録していますので」というようなやり取り。いやあ、世の中進んだ。

30年以上前、家庭用PCがまだ出初めのころ、将来は家庭の主婦がコンピュータで家計簿付けるという記事にヘェ~と思ったものですが、とうに実現しましたね。もちろんどんなに機器が進もうと付ける人は付ける。やらない人はやらない。はっきり分かれてますけどね。

これからさきどんなに世の中が進むのか、恐ろしいようでもあり、楽しみでもあり。


 

備忘として、カメラのメディア購入。2000枚以上撮れるので安心。純正でないので794円。まあこれでえんでないの。 

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「紫式部の欲望」 酒井順子

2013-02-05 | 読書

大津市、石山寺。2005年5月。

紫式部が源氏物語の構想を練ったという伝説がある。寺は琵琶湖を望む岩塊帯(と私が勝手に造語)の上下にあり、琵琶湖の成り立ちを地勢学的に考えるにもなかなか興味深い場所でありました。


あの名著「負け犬の遠吠え」を顕した著者が、源氏物語を読み解くとどうなるか。はい、こうなるのであります。

物語には作者紫式部の欲望が隠されている。人には言えない醜い心も、作中の人物の言動に仮託して表現すれば心すっきり。読者も自分の中の思いに気が付き、なるほどと膝を打つ。そういう構造。

それを今の時代の感覚、言葉で表すのでとても読みやすい。元は何かの雑誌に連載されていたもの。巻末の登場人物と系図、夢浮橋までの各章の粗筋も親切。

教室で習う源氏物語はまどろこしくって退屈だったりするわけですが、日本最古の小説、不朽の名作などと構えず、お話として読めば楽しめる。そう気づかせてくれる本です。

源氏物語は日本人の基本的素養。「源氏」以後の文学作品は、少なからず影響を受け、それ知らずには意味に届かないものもある。当地の戦国大名毛利元就だって、京都から先生を呼んで広島の奥、吉田の地で源氏物語を読んでたんだから、これからも連綿と読み継がれていくことでしょう。解説本に至ってはそれこそ星の数。

わけてもこの本はとびっきりにcasual、入門書としてお勧めです。

 

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春の海

2013-02-03 | 日記

きょうは暖かくていいお天気でした。郊外のお店で、家族で食事しました。

海は春の光に満ち溢れています。それもそう、きょうは節分。右端の濃い島影が厳島(宮島)です。

反対側は入り江に。カキいかだの向こうは地御前神社。宮島の管弦祭では御座船が対岸のこの神社まで渡御します。

37年前の20歳台、この近くに住んでいて、この付近は妊婦だった私の散歩コース。時は流れ、人は変わっても、緑濃い社叢と穏やかな海はあの時のまま。

お店はこちらです。http://www.hinanoryotei-jigozen.com/この付近はスピード違反の取り締まりpointだそうで、捕まった車は店の前の行き止まりの道に誘導されます。

前八寸 器でなますとイクラ 伊達巻 黒豆松葉刺し 田作り 車海老艶煮 裏白を敷いてこれってお正月?

雑煮椀 亀甲大根 一文字京人参 鰤 柚子 芹 白いのは薄く平たいお餅。やっぱりお正月。

造り 鯛 松笠烏賊 紅白色紙 こちらもまだまだお正月。氷大量。氷を喜んで食べる孫娘。大丈夫?

焼き物、炊き合わせ省略

 

油物 海老真丈紅白新挽き粉 穴子黄身揚げ アスパラ 富士卸し 美味出汁 

食事、留椀、香の物、甘味省略。集まりの趣旨を話しておいたら、お赤飯がサービスで付いてきました。ありがとうございました。

器がとても凝っていて、接客も洗練されていて、そう高くないコースでしたが、気持ちよく食事できました。

入り口はこちら。庭の木はまだ大きくなくて、疎林の趣。向こうはもう海。

天気よし、景色よし、味よし、笑顔よし、いい一日でした。

 

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自分が自分でいられる場所

2013-02-01 | 読書

って、どこなんだろう。というようなことさえ、ずっと考えずにきた。考えることを忘れていた。

結婚後三年、夫の親きょうだいと同居していた。みんなによくして貰ったけど、変なことしないよう背伸びしていたと思う。

それからの長い日々、その時々で自分のしたいようにしてきたつもりだったけど、自分がいちばん自分らしかったのは学校時代だと昨日気が付いた。

女の友達、男の友達、何年、何十年会わなくてもきのうの続きのように話のできる間柄って本当にありがたいなあと思った。

昨日の友人、お父様は鉄道会社勤務、お母様はお寿司屋さんを市の中心部で経営されていた。

友人は大阪の新聞社を辞めて帰郷、事業を起こし、亡くなられた奥様もスナックをしていた時期があったことを他の人から聞いた。

今は息子さんが駅前でイタリアンの店を経営されているとか。やはりその家の雰囲気というか、ご商売のお宅は業種は変わってもご商売をされるらしい。

友人の昨日の服装、黒地に白い縦のストライプのスーツ、茶色とこげ茶のコンビの靴、毛皮の裏付きの短い皮コート、セカンドバッグ。一昔前の不動産屋みたいなと突っ込みたくなって、けれん味たっぷりなその姿に彼らしいなあと思った。昔から学生服を崩して着ていましたよね。もしかしたら、昨日の集まりのためにスーツ新調したのかも。ありがとね。

毎日毎日、みんなで笑って、なんであんなに楽しいことが続いたのか今になったら不思議。

そして先生はツィードのジャケツトにニットのvネックのベスト。学校の先生、役場の職員の方のユニフォームみたいなニットのベスト。学校は今でも教室は暖房なしではないでしょうか。

そして私の服装は、泥大島の着物に同じ柄の羽織。絞り染めの名古屋帯。半襟も絞り。その心は私も人妻として歳を取りました。すらりとした美人ならあたりを払う女振りだったかもしれないが、この顔、この体型、ほとんどギャグの世界。着ぶくれて転がった方が早い。

先生が私のことを「美人だった」と過去形で語られるので、「だった、ですか」と笑う私。すみません、こんなこと持ち出して図々しいです。帰宅して夫にそのことを話したら「いい先生だ」と笑っていた。

「あんたは私の若い頃を知っている人間として、息子たちに私の美しさを伝えていく語り部にならんといけんでしょうが」と強制。夫無反応。

すみません、家の中のことをクドクドと。結局、今の私が一番我儘でいられるのは自分の家というありふれた結論。

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