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金沢街歩き

2013-05-08 | 旅行

5/3 午後は再び金沢市内に。車を返却して市内はバスで移動します。

金沢三茶街の一つ、ひがし茶街に行く。昔風の建物が並びます。二階は、窓の半間ほど外に明かりとりのついた戸を巡らせています。京都のお茶屋には見られない構造です。雪国の寒さを防ぐ工夫でしょうか。

お茶屋、志摩は営業当時のままに保存して内部を公開中。建物は国指定の重要文化財だそうです。

洗練された和風空間、坪庭も京都的。石灯籠が複数あるのが金沢?

このあと浅野川を渡って主計町茶屋街へ。だいぶ日も傾いてきました。

歩いて兼六園へ行くつもりが、もう薄暗くなったので断念、香林坊までバスで行って、夕食に行くことにしました。

私は食事にはお金なんか掛けない人、一人で旅行するときは、朝はホテルでしっかり食べて、家から持参した空きペットボトルに作ったお茶を詰め、昼はそれを飲みつつ、コンビニのおにぎりを公園で食べるなど。夜はたいてい中華や和定食など暖かいもの。居酒屋はお酒飲まないものには居心地悪い。

夫の好物は握りずしに海鮮丼、エスニック料理、お酒は必須と、旅先では店がなかなか決まりません。いつも、お互いが妥協してストレスが溜まります。すったもんだの挙句に入った和食の店がこれまた最悪で、ちょっとだけ食べて逃げるように店を後にしました。

この日は駅裏のR&B・・・というホテルに宿泊。お値段庶民的、部屋も狭くてなんでもすぐ手が届いて便利。その上朝食のパンは自家製。とってもいい匂いが上の階まで漂ってきます。うーーーん、ヨーロッパのホテルみたい~、とまた気を取り直し5/4も金沢市内観光です。


5/4 兼六園は朝7時開園、素晴らしい。朝4時から7時までは無料開放。こちらはもっと素晴らしい。夏の朝に散歩したら気持ちいいことでしょう。

カメラを使いこなせず、うまく撮れない。今度のカメラは、朝など、コントラストの強い場面では暗い方に合わせる印象。

いちいち露出を手動で換えて、きわめて面倒。

逆光でないとまあ何とか。

花は小さく上品、でも豪華。大名文化と京風雅のmixした金沢風の桜だと思った。

園芸の盛んだった江戸時代は桜も様々な品種が作り出されたという。絶滅したのも多いが、庭園にあって今に伝わってきたのだろう。貴重な園芸遺産。

こんなのもありました。

触ってみると確かに硬い岩石。不思議。

土産物店街。懐かしい眺め。

向かい側にある金沢城。42年前には城の敷地の中に金沢大学があったけれど、どこかへ移転したらしい。

 

このあと夫は21世紀美術館、私は金沢能楽美術館へ。能衣装の着付け体験に、能面、能装束の見学。

この歳で初めて、テイカカズラの謂れを知った。藤原定家の思いがつる草になって、式子内親王の墓に絡みついたからだそうで。いゃあ、一つ偉くなった。じゃあ定家以前は、テイカカズラってなかったのかと言えばそうではなくて・・・なんと言ってたのかしらん????

昼ごはんでもめるのが嫌なので、夫と別れて一人で食事。この解放感。やれやれ。

こんな感じで。

これも。ドリンク飲み放題。


 

長町武家屋敷跡、土塀の色も統一、中には実際に人が住んでいるので、住みながら公開している家はない模様。

立派なお屋敷が続きます。

武家屋敷跡野村家。元は千坪あまりの広大な屋敷だったが、今はその一部が保存公開されている。

一部だが、当時の豪華な造りがよく残っている。これは展示品の古九谷の鉢。男女や風景がが伸び伸びと描かれている。

このあと前田土佐家資料館見学、金沢駅から山代温泉へ向かいます。

温泉街は連休なのにほとんど人通りはありません。すべての娯楽が温泉旅館の中で済んでしまうのもどうでしょうか。

街に、浴衣姿のお客さんがそぞろ歩きしている眺めはなかなかいいもの、ロビーの土産物をやめ、外へ店を持って行くだけでだいぶ違うと思います。歩いて楽しくないと温泉街ではない。なんて、私が街の活性化を考えても仕様がないんだけど。旅行会社の言いなりに宿を選んだのもまずかった。でも、ハイシーズンはまず旅行会社に卸すんじゃないかしら。ネットでいくら探してもないのに、カウンターへ行くとあるんですもの。

泉質はさらりとして普通でした。今度から温泉旅館はやめようと固く誓った加賀の夜。


 

金沢の印象。豪華で雅。名古屋をベースに京都を上からtopingした感じ。京都人はよそ者に冷たく、いけずとよく言われますが、言い方が洗練されているので、私のようにぽーーーとした田舎者は気が付かず(たぶん)、高級なところへ近寄らない限り嫌な感じはほぼ受けませんが、金沢の場合、出会った皆さんはどなたも気位が高く、それをはっきり出されるので、初めは本当にびっくりしました。

バスのdriverさん、和食屋のmasterさん、和菓子屋のご主人、観光ボランティアの方、果ては旅館の仲居さんまで。小京都というのが各地にありますが、金沢はその筆頭格、小よりは中京都くらい、価値のあるものの周辺部にあるものの方が、より強烈にそれらしく振舞うという好例ではないでしょうか。

とにかく説明がぶっきらぼうで、こちらが聞いても詳しく教えてくれないので困りました。一日乗り放題バス500円券は京都でも名古屋でもバスの車内の売っているのに、金沢では売ってません。慌てて飛び乗ったものには不便です。

「車内では売ってません!!」と客に怒らず、「すみませんが**で買ってください」くらい言ってもいいのでは。「どこに売ってるんですか」と客に聞かせないでほしい。

車内放送も全くやる気なし。わざとマイクを外して、最小限のエネルギーしか使うまいと固く誓っているらしく、ぼそぼそとしかしゃべらず、すぐそばにいる客にしか聞こえない。朝から気が滅入る。よほど職場環境が悪いのでしょうか。

某和食屋、高級な店構えで、高い、量少ない、出てくるのが遅い。洋服掛けの場所を指定して他へ掛けると店主不機嫌。無愛想。Why?なんか気に障ることしました?

和菓子屋のご主人は「これは何ですか」「なんというか、そんなお菓子です」「おまんじゅうですか」「いゃあ、おまんじゅうじゃないです」「お煎餅ですか」「いや、お煎餅でもないです」と、初めから説明する気が一切なし。この私にケンカ売ってるとしか思えない。それでもちょっとだけ買ったけど、今に悔しい。

他にもいろいろあるけど、いちいち書いてたらこちらの気が滅入るし時間もかかるのであとは省略。私は人に特におべんちゃらいう人間ではないけど、横柄ではないつもりです。ごく普通のおばさん。ごく普通だからなめられるのかも。


 

でもきょう、磯田道史氏の「殿様の通信簿」を読んで腑に落ちた。

ここからは私の考え。加賀藩は外様とはいえ、百万石の大大名、秀吉亡き後天下も狙える位置にいたのに、家康の策略狡知に敗けた、敗けたけど、日本一の雄藩、その誇りは藩内の隅々まで行きわたり、今に至る気風を作っていることだろう。

北陸一、二の都市なのに、日本海側にあるだけで近代以降も何かと冷遇されてきた。その思いが複雑に屈折して、よそ者にたいしてあんな態度取るのかも。私の狭い見聞の範囲だけですが、今まで行った日本の観光地でも、ほかに思い当たらないくらい感じ悪かった。

金沢の人はいまだに、先祖の前田家との距離の遠近で、お互いの立ち位置を決めるということをしているのかも。よそ者なんて、見下すだけの存在なのかも、と拗ねる。

磯田氏の著書でも、金沢出身の大学の同窓生が、利家公と呼ぶのに驚いたと正直に書いている。


金沢に対してちょっと辛口になってしましましたが、ひがし茶街で骨董の古九谷の膾皿、一枚千円とお手頃値段なのに買わなかった。それだけが心残り。もう金沢へ行くこともないだろうけど、もしかしたら、買い物しなかったのはまだご縁が残っているということなのかも。

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