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日本一長い高松のアーケード街を歩く

2019-02-03 | 旅行

1/29 快晴。琴電栗林公園駅に向かう途中から左折、市中心部へと歩きます。

この道は高校時代の通学路の一つ。わがホームグラウンド。そして、チャリ通なので、その日の気分でいろいろな道を通った。

道はたぶん古い琴平街道たと思う。

香川県ではすべての道はこんぴらさんに通ず。ローマ街道みたいなものですね。

途中で分岐して塩江方面へも行けるはず。その先は徳島県の穴吹。日本一小さな県は隣の県も近いのでした。

古い商店。昔は文具も扱っていた気がする。いや、それは別の店だったのかも。記憶あいまい。

人生初めてのクレパスはどこで買ってもらったのだろう~???

M書店。学校帰りによく寄って、文庫本など買った。

志賀直哉、川端康成・・・薄いと50円、厚いと100円くらい。月千円のお小遣いで間に合った。

徳島へ行く高徳線の高架。昔は平面交差で踏切があった。

アーケード街南端。昔は田もあったので田町、と習った気がする。

ここから延々アーケードが続きます。総延長2.7kmは日本一だそうです。

ほっぽろは方言。

ほっぽろ焼きは、具なしのお好み焼き。

小麦粉を水に溶いてフライパンで焼き、ネギと削りガツオ、ウスターソースをかけ、巻いて食べるおやつ。

たくさん作って、三時のおやつに農繁期の田んぼへ持って行く。作るのは高校生だった叔母の仕事。

近所にお菓子屋ができたり、おやつの出回る昭和30年代後半にはもう作らなくなった。

今、この言葉の意味を知る人も少なくなったと思う。

R11と商店街の交差するところにあるスーパーマルナカ。

60年くらい前はバナナなどの卸売業者。だったかな。

青物市場に勤めていた近所のお姉さんが、こちらの御子息と結婚して、わが家の近所では初めてホテルで結婚式を挙げたのでした。

その頃は自宅婚が普通、折詰のお土産どっさり、それを近所におすそ分けするのが習わしだったけど、その時はお土産一切なしの新式、時代が少しずつ変わっていくのでした。

こちら正面。

学校出て故郷で勤めていたころ、やっぱりチャリンコで通勤していたので、こちらは通勤ルートの一つ。

帰りにときどき買い物していた。と言っても親かかりなので、おやつなどを少々。校区なのでたまに生徒と遭遇。やばい!!

一級国道11号線は中新町交差点で南下するルートに変わったらしい。

あの先が勤めていた学校。学校の前が国道だった。

アーケード下は自転車通行自由。

雨の日は助かった。急な雨でも濡れずに帰る。アーケードなくなると思い切り濡れたけど。

あちこちの店によって、楽しい通学路でした。

右、琴電瓦町駅への分岐。トキワ街。向こう、南新町。これも南へ伸びて行った商店街の名残りの名前。

この辺りも校区だったかな。たまに商店の二階に住んでる子がいて、店の中通って家庭訪問したことも。

店は閉じていました。トキワ街はとてもさびれているのは郊外に大型店がたくさんできたから。

昔はトキワ街からずっとアーケード街を歩いて買い物するのが楽しみでした。

14時ころ、さか枝南店で昼ご飯。しっぽくうどんあるのを知らなくてこんなチョイス。残念、そして後悔。残りの寿命考えたら、一食ずつ好きなもの食べたい。

うどんその他で310円。激安。

まだ南新町。まだまだ歩きます。北へ行くほど商店街の格が高く、昔は老舗が多かった。

丸亀町商店街。

生駒氏が城下町を作る時、丸亀から商人を呼び寄せた町。ということは丸亀の方が古い町ということでしょうね。

アーケードの屋根が高い。

丸亀町グリーングリーンという広場。再開発した場所だと思う。

店の一部を後ろに引き、広場を作って、二階部分も回遊できる仕組み。

視点がいろいろ交わり、楽しい気分に。

お菓子屋さん。おんまいは、お菓子の幼児語で方言。

おんまい、食べまい(お菓子、たべなさい)という風に使う。

あんたあ、おんまい、いるんなあとか。

わが故郷は関西文化圏の最西端、言葉もアクセントも関西風であります。

さらに歩いて行きます。

解放的なアーケード。

ユトリロ的、パリの裏町的建物。

反対側。

階段は公道ではなく、ビルの一部。

本来は建物の中にある階段を外付けにして、しかもカーブを付け、二、、三階に何があるか興味を持たせつつ誘導する。

この階段なら上がって見たくなるでしょう。いわば建築の持つ力。

以前、安藤忠雄設計の(うろ覚え)、似た構造のステップというビルがこの付近にあった。同じものかどうか。

ステップは片側だけだった気もする。その精神を生かしつつ、建て替えたのかも。

何しろ帰省しても長い間、ここへは来ることなかったので浦島太郎的気分です。

続いて宮脇書店本店。昔のスポーツ用品店はもうなくなっていた。

宮脇書店は特別な場所。人とよく待ち合わせた。もう私を待つ誰かがいるはずはないけど、おばあちゃんもしばし、昔を思い出す。

故郷に残る人と、出ていくものと。出て行った者同士は、よほどのことがないと疎遠になるばかり。

さて有名なドームのところまで来ました。

ブランド店各種。

天蓋。

二階の回廊から今歩いてきた街を見下ろす。

アーケードの屋根はビルの三階の高さ。そして明るい。木も本物らしい。おしゃれ。

でも、この付近は初めの頃より元気がない感じ。せっかくのいいアーケードだけど、人は理念では動かず。イオンやゆめタウン、はたまた郊外型の店へ行くのかなあと愚考した。

店もだいぶ変わり、英会話学校やクリニックなど。

人は集まり、人は去る。一瞬のすれ違いの繰り返し。

自転車で通れる商店街。便利。

兵庫町商店街を西へ。広い道路の向こうもアーケード街。

両側、ホテル。

兵庫町は兵庫(神戸)から商人を呼び寄せたとか。あと鍛冶屋町、大工町、紺屋町などあります。地名に残る城下町の面影。

昔からある書店。嫁入り前に料理の本を買った。まだ持ってる。

地元の証券会社。もうすぐJRの駅です。

今回は個人的センチメンタルジャーニー。長話深謝。

 


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2 コメント

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なつかしく拝見させていただきました (びこ)
2019-02-03 13:40:01
高松には、父の転勤で、小学校4年の途中から中学2年の初めくらいまで住みました。

三越とか丸亀通とかによく連れて行ってもらったものでした。

もう60年くらい昔のことです。

主婦の店とかいう名前のスーパーもあったように記憶しています。

見せていただいても、もう昔の街の面影はありませんが、でも懐かしかったです。
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びこ様へ (frozenrose)
2019-02-03 17:22:01
はじめまして。コメントありがとうございます。
主婦の店と言えば花ノ宮町でしょうか。今はもうありませんが、スーパーの走りのような店でした。
私はS町中学だったので、もしかしたら同じ学校かもしれませんね。

私もめったに商店街歩くことがないので懐かしかったです。浦島太郎の気分でした。
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