右を今回読みました。左は20年以上前の本。今回出してみました。
著者は1943年生まれ、京都大学卒、民俗学、民族植物学などを専攻。
この本ではジャガイモの起源、栽培化、原産地から世界へ伝搬した道筋、ヒマラヤとアンデスの高地での伝統的な農業と暮らし、今後の食糧問題と、内容は多岐にわたりながらも分かりやすくまとまっている。
先達の著作に刺激されて栽培植物、ジャガイモの起源、伝搬に興味を持ち、学生時代から海外でフィールドワークをしたワクワク感が前半の読みどころ。
ペルーからボリビアにまたがるティティカカ湖のそばを車で走っていて、とても小さな、ジャガイモによく似た花をつけた植物を見つける。大きさは煙草の箱よりまだ小さい。掘ってみると小指の先くらいのイモを付けている。それが原種との出会い。
野生のジャガイモは毒があって食べられない。しかし、アンデス高地では起源500年頃には栽培が始まる。それに先立つ数千年、大きな毒の少ない品種を選び、気候を利用した独自の毒抜き方法を考え、食料として利用するようになるのである。昔の人、偉いなあと思った。
内陸の高山、一日の温度差が大きい。イモは夜間に凍り、昼間は融ける。それを繰り返すと水分の多いジャガイモは押すだけで水分と有毒物質が抜け、乾燥して食べる。乾燥したものは何年も持つので、人口が増え、社会に余剰が生まれる。文明の始まりである。
スペイン人が南アフリカに現われたときには高度なインカ文明があり、低地でのトウモロコシのほかにジャガイモが現地の人たちの暮らしを支えていた。
ヨーロッパ社会へは16世紀、そこからユーラシア大陸を東へ、北アメリカへ、アフリカへ。
日本へは東南アジア経由で17世紀に。ジャガイモの語源はジャガライモ。でも定着せず、寛政年間にロシア人が伝えた。本格的な栽培は明治になって北海道、東北を中心に。男爵イモというのは北海道の自分の小作地に植えさせた何とか男爵から来ているそうで。知らんかった。
ジャガイモは寒さに強く、やせた土地でも栽培できて、今や世界中に分布している。
自分の生活に引き付けてみても、あまりにもありふれていて、その起源を深く考えることがないけれど、大昔のアンデス山中の長い工夫の結果、そして有用な作物として人々が工夫を重ねて今日がある。ちょっと感動した。
食糧危機に備えて、ジャガイモの有用性を改めて見直し、もっと活用すればいいという著者の提言はうなずくところ大でした。
出版は2008年、それから12年経ち、最近では地球温暖化が心配されているけれど、気候変動に適応した新たな品種なども多分研究されていると思いますが。
我が実家ではジャガイモは「ニドイモ」と言っていた。
博物図譜に見る讃岐の野菜~ジャガイモ~|ビジネス香川 (bk-web.jp)
出荷するのではなく自家用、家の前の菜園で田植え前に収穫していた記憶がある。
語源の分からない祖母はニロイモと訛っていた。
ニロイモ?ニロイモ? ニドイモなら納得。
ドイツ、ローテンブルクで。2012年。
ドイツ人はジャガイモをよく食べる。元々、夏に日が長くなる土地には向かない作物ですが、長い間にヨーロッパに合うように品種改良されたことでしょう。
素晴らしきドイツ感動紀行10・・・ネルトリンゲン、ディンケルスビュール - ブログ (goo.ne.jp)
ジャガイモが付け合わせ、と思っていたらパンが出ないので主食の扱い?それとも安いツアーなので省略されたのかも。
イモという言葉は、あか抜けないとか田舎くさい代名詞のように言われて著者は大いに憤慨されていました。
地味だけどなくてはならない縁の下の力持ち。
この本では知らなかったこともいろいろ教えてもらいました。アイルランドではジャガイモの収穫には小作料が掛からなかったので、よく食べられたとか。
これは香川県のうどんと似た構造。戦前の地主制度の下、冬の麦類はすべて小作人のものになったので、米を食べ伸ばすためにまずうどんの工夫があったのでした。気候風土だけではなくて、食べ物は社会構造にも規定される。でも今、そのことはほとんど忘れられているようです。
讃岐うどんが全国区になったのは万博で店を出したから、とさる製麺業の社長さんが言っていました。その頃から人が旅行をよくするようになったのとも関係しているかも。
まだまだ書きたいことはありますがいずれまた。
大変に面白い本でした。