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「昭和歳時記」吉村昭

2021-06-11 | 読書

25年前の文庫本。エッセイ集。それまでに雑誌か何かに連載されていたらしい。

昭和2年、東京の日暮里生まれの著者が、戦前戦中の世相、家族のことなどを各回のテーマごとに思い出している。

思い出していると言っても、膨大な資料を駆使して歴史小説をたくさん書いてきた人なので、内容は正確、筆致は冷静、家族の悲劇も次々起きるけれど、死が今よりもずっと身近だった時代、感傷に走らずに過不足なく書いていると思った。

特に戦争中の空襲の話などは迫真の描写で、自分の家が建っていた辺りにできたホテルで講演会して落ち着かないというくだり、エッセィでしか書けない切ない話である。

私は著者の子供の世代で、昭和三十年代に日本のあらゆるものが変わったという、その三十年代を憶えている最後の世代でもある。

東京と地方の違いはあっても「蚊帳」は普通にあったし、冬になると手編みのセーターを着ていた。我が家の場合は羊毛も自家生産、羊を飼っていて、今の時期、業者さんが毛を刈って持ち帰り、毛糸や紳士服の生地に加工して持って来ていた。

東京の人は戦後の買い出しに殺人的な混雑の列車に乗っていたけれど、県庁のある地方都市に隣接する我が実家の付近では、「町から買い出しに人が来よった」そうで、ちょっと目を出したホウレンソウでも分けてほしいと言われたこともあったとか。

おやまあ、本の感想から離れて自分のふるさと自慢になってしまいました。

著者は、昭和は古きよき時代ではなかったと言っています。貧しく、不潔で、戦争もあり。しかし、そんな時代にも、人は助け合ってけなげに生きてきた、その息遣いが聞こえるような本だと思いました。

目の前にあって当たり前すぎることも、長い年月が経てば忘れ去られてしまう。作家の達意の文章で、郷愁も刺激されつつ、楽しく読みました。

これは姑様の本。ヤフオクに出すつもりらしいけど、アマゾンでは1円です。送料込みだと300円くらいになるのでしょうか。いずれにせよ、コスパのいい読書体験でした。


追加として、この本の中で、空襲で亡くなった人を火葬にする場合、棺桶は自前で調達、火葬場へも燃料持ち込みだったそうです。燃料ない人は火葬してもらえなかったのでしょうか。

広島の被爆体験の中にも、家具職人の父親がどうしても子供の棺桶が作れず、「無理もない」と仲間の人が作ってくれた話がありました。燃料集めて、自分で身内の遺体を河原で焼く。。。。

そんな時代が再び来ないように、今生きる人間としての務めがあると私は思いました。

コメント (2)
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