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「火花」 又吉直樹

2015-08-25 | 読書

先月、わが地元での花火大会。


今期、芥川賞受賞作。面白かったです。芥川賞というのは芸術性に走るあまり、ふだん純文学を読まない人には???な作品もあるけれど、これは素直に書いたものを素直に読めばよくて、お笑い界の裏側や芸人さんたちが何を考えているかがよく分かり、自分の世界が一つ広がったような気持ちいい読後感です。

しかしテレビというのは力があると改めて思う。著者を知っている気になるもん。いえいえ、隣の挨拶以外あまりしない人よりは親しみがわく。文学賞というのも、結局は業界の販促のためのイベントでもあるわけで、過去にも別な業界での有名人が受賞した例はある。

それに比べても、そん色ないと思う。

熱海の花火大会の日、イベントの舞台に立った漫才コンビスパークの徳永は、先輩コンビあほんだらの神谷に出会う。神谷は、笑いとは何か、漫才師とはどうあるべきかを徳永に語るが、実生活は女性の収入と借金で生活する破滅型の人間だった。二人の付き合いは着いたり離れたりしながら、十年以上も続くが、徳永はその間にそこそこ売れるようになり、街で声を掛けられることも増えた。

神谷は相変わらず、笑いについてストイックな立場を崩さず、現実には女性と別れ、また別の女性とくっつき、借金から逃れるために行方不明になり、やがて再び徳永の前に現れる。

ありえんやろ…という結末は本を読んでいただくとして、芸に掛ける人間の執念、悲しさ、人を笑わすための血のにじむような努力など、知らなかったことばかりだった。

笑うって、人間にしかないと思う。快、不快の表情は動物にもあるけれど、笑いは言葉で構築されたその人なりの世界観を思わぬ方向から突き崩すときに生まれる、意外性だと思う。

言葉で記憶されたものにゆさぶりをかける行為とでも言えばいいのだろうか。

人を笑わせるというのはひょっとしたら、文化的な営みの最上位に置くべきことなのかもしれない。

漫才師になりたいものはとてもたくさんいて、世の中に出られるのはごくわずか。ネタつくりにネタ合わせ、血のにじむような努力の果てに幸運な者だけが世に出られる。大変厳しい世界だと知った。


知人の息子さんがお笑い芸人を目指している、と聞いたのはだいぶ前。彼女はいるけど結婚はまだ。その様子がこの小説で想像できた。無事、望みは果たせたのでしょうか。

我が家の某息子も生まれつきのひょうきんもの、何でもネタにしてしまう。長じては大学の落研に入り、落語に漫才、ピン芸に南京玉すだれまで、授業料を無駄にすることなく芸能全般を修めたが、卒業後は就職した。

今でも面白い男だけど、この小説読んだら、お笑いは遊びでたしなむのもで充分だと思った。

人を笑わせ、自分も幸せに。お笑いの効能これに尽くるはなし。小説の神谷のようになったら本当に悲惨。でも笑いの神の取り付かれた狂気を生きざるを得ない人もいるわけで、その人世は切ない。

なかなかに深い小説でした。

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