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KAREInaruロシア6日間

2015-08-16 | ロシア旅行

というツアーから本日夕方帰宅。名前は華麗でも体調絶不調、前半はヘロヘロの旅、後半、やっと旅に慣れた頃にはもう帰国というあわただしさでした。

10日夕方、前泊のため自宅発。広島駅までの電車の30分で冷房にあたり、ものすごく具合悪くなった。ふだんからほとんどエアコンなしの生活の身に、きつい冷房は辛い。

博多までの新幹線も寒風吹きすさび、夜のホテルもものすごく寒い。部屋のエアコン切っても部屋の前が廊下の冷房の吹き出し口、ドアの向こうから寒い。体感温度が違うので、夫とは別の部屋。

今回は夫に担当させたら、博多から空港までのアクセスがあいまい。夜中近く、気分悪いのに一人でバス停探しに行った。集合時刻に遅れたら洒落にならないもん。


 

翌日もまだ寒い。本当は家に帰りたい。でも帰れない。ああ、家でゆっくりしたいなあ。半分涙目。

風邪薬、解熱剤各種を呑み、福岡発ソウル乗継は5時間。サンクトペテルスブルクまでの長旅、本当に疲れた。ソウルの空港も冷房がめちゃくちゃ寒かった。

機内で体を温めるつもりもあって韓国風の唐辛子たっぷりのスープ付きご飯チョイスしたら、またまた具合悪くなった。今度は消化器系統が急を告げる。が、気流が悪いとかでシートベルト着用のサイン、席から立たせてもらえない。スッチーに何度頼んでもダメ。

でも最後は止めるのを振り切ってトイレに行き、geriouto、喉に指突っ込んで思い切り吐いてやっと気分良くなった。

すみません、汚い話で。団体ツアー、体調悪くても人さまに合わせないといけないのが辛いところです。


今回は13人のツアー、ロシアってどんなところと恐々参加しましたが、普通のヨーロッパツアーと同じでした。ホテルも便利で、快適、お店にものも豊富で、フランス、ドイツと同じ品物がたくさんありました。

現金はレストランの飲み物の支払いには必要だけど、スーパーや土産物店は普通にクレカが使えるし、空港の免税店はドルやユーロも使えます。ガイドさんが連れて行ってくれる土産物店もドルやユーロでも支払えます。で、そちらの方が割安なのでガックリです。

これから行く皆さんは、用心してルーブルたくさん持って行かなくても大丈夫ですよ。ミネラルウォーターもホテルで一本、昼夜のレストランで各一本、合計で、一日三本も無料で貰えます。そんなに水飲めないって。

レストランではデザートには必ずコーヒーか紅茶が付きます。こちらもサービス。食事の時にアルコール類頼みたい人だけ、別にお金かかりますが、飲まない人は強く勧められたりしません。このロシア的おおらかさがとても好きになりました。ロシア旅行は本当にお金がかかりません。

スーツケースのポーターサービスもありませんが、自分で持って行けば済むこと、早くに廊下に出しておくストレスとも無縁でした。

今回は往復2日半、観光3日半の強行軍。でも皆さんによくしていただいていい旅になりました。ロシアは各都市でスルーガイドが付くので、これもよかったです。

でも今回は夫が同行、お盆なので共働きのご夫婦が多かったです。九州の人は大らかで、お互いを比べたりしないので楽でしたが、広島というとみなさんのけぞってびっくりされる。関空でびっくりされ、福岡でびっくりされて、どうすりゃいいのよ。頼むから田舎もん扱いせんで欲しい。田舎者だけど。

旅行写真は追々整理しますが、今宵はこれだけ。

12日、サンクトペテルブルクのニコライ一世の像の前で。ものすごく暑い。

誰だあ、最高気温22度、合服なんて言ったのは。車のガラスに映った自分の姿を撮る。

 

12日、夜八時から、白鳥の湖全幕の鑑賞。3時間くらいかかった。ダンサーは全員、ものすごく小顔で姿勢かいい。跳躍後に着地するときに、ダアーンッという音がして臨場感いっぱい。オーケストラピットには楽団がいて、音もよかった。疲れて半分くらい寝てしまったのが残念。

夏の公演は観光客も多い。客席は満席でした。

13日、エカテリーナ宮殿は一番乗り、謁見の間も他に誰もいません。金ピカの豪華な宮殿はナチス空爆の後、復元されたそうです。戦争は人も殺すけど、ものも壊す。

ピョートル大帝の夏の宮殿。向こうはバルト海。海から直接宮殿に来られます。こちらもナチスが破壊したのを復元したとか。

こちらおなじみの。モスクワ赤の広場にあります。どこか東洋的なのはギリシア正教の流れをくむロシア正教だから?

明日以降、少しずつ追加しますが、いつになることやら。また時々覗いてください。おかげさまで帰りはよく寝ながら帰り、元気になりました。

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「母ふたり」 窪島誠一郎

2015-08-16 | 読書

2014年8月 京都で


信濃デッサン館、無言館館主、窪島誠一郎氏の自伝である。

水上勉と恋人との間に、結婚しないままに産まれた窪島氏は生母に水上凌として育てられるが、2歳になったばかりのころ、窪島夫妻に引き取られる。

窪島家は明治大学の門前で靴の修繕を生業とし、貧しい生活だった。長ずるに従い、自分の出生に疑念を抱き、親に聞いても言ってくれないので執念のように関係者を訪ね歩き、ついに仲立ちをしてくれた人の未亡人に本当のお父さんのことを知らされる。

この時のことは当時マスコミで話題になり、さすが親子、よく似ていると私も思った記憶がある。40年近く前のことだった。

この本では、実父母と養父母、その周りの人達との関係、自分の複雑な思いを余さず書いている。

昔は戦争や病気で人は今より簡単に死に、親子の生き別れもずっと多かったと思う。また子供の数も多かったので、相続に関係ない子はよその家の後継ぎとしてもらわれることもあった。

私は子供には小さい時から本当のことを話した方がいいと思うが、昔は自分たちが捨てられるのではないか、本当の親のことを知ってそちらへ行ってしまうのではないかと、言わないのが普通だったのではないか。

でも近所の子供と遊ぶうち、また周りの大人のふとした言動から子供は何かを感じ取ってしまうものでもある。

小さい時から「貰ってきたんだよ。あなたが大好きなので、私たちは育てているんだよ」とずっと言い続ければいいらしい。その年齢なりに自分の中で消化していると、他人に言われてもショックが最小限で済むと思う。

作者は養父母を相当追い詰めたらしい。どうしても話さないのでその仲が険悪になったらしい。でも仕事上の保証人になってくれたのは養父の弟、子供のころは親戚の家に行き来したりして可愛がってもらっている。よかったじゃないのと、私は思った。

養父母とは最後まで一緒に住み、妻任せとは言え、最期の世話もしている。小さな食べ物屋を明治大学の前に開き、繁盛して支店を広げ、成城に一軒家を構えて養父母と同居している。えらい!!

そして美術館も立ち上げ、無言館は全国で唯一、戦没画学生の美術館として、広く知られるようになった。自分で生きていかなければという思いが子供の時から強かった人なのだろう。

窪島氏は水上勉と親子付き合いをするが、一方、生母には冷たいなと思った。複雑な思いがあるのだろう。窪島氏の奥様は成城の自宅で子育てと介護に追われ、また生母ともたまにデパートへ付きあったりとなかなかできた人だと思う。奥様のサポートなしには今の仕事はなしえなかった。奥様も偉いなと思った。 

コメント (4)
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