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45年前の文集を見る

2013-03-21 | 日記

当時私は19歳、某大学の某学部に学び、サークルは美術部でした。みんなが短文を寄稿した文集です。

私のページはこれ、タイトルは「疎外された者への想像力」。うわおうっ、思いっきり恥ずかしい。のけぞり、身を悶えつつ、しばし心行くまで恥ずかしがる。内容は拾い読みしただけだけど、タイトルから推して知るべし。ああ、恥ずかしい。

当時、新潮社から大江健三郎全作品というシリーズが、確か10巻で出ていて、それを読んだ感想を書き連ねているらしい。ガリ版刷りで、字もところどころかすれて読みにくいので、確かに自分が書いたものだけど、とても読み返す気にならない。

19歳、いったい何を書いているのやら。しかしまあ、未熟とは若さの謂い、二度と帰らない、帰りたくない青春の墓標としてしばらくコタツ周りに置いておき、退屈したらあちこちめくってみよう。冷汗かいて少しは痩せるかも。

この編集係は同学年。男の子には人気があったけど、女の子には嫌われていた。仲のいいカップルを見ると、必ず男の方にちょっかいを出し、自分をアピールするから。つまりはいつも自分が中心でないと耐えられない人。それは性格だから仕方ないと今なら思えるけど、当時は女の子全員で共同戦線を張り、彼女を遠ざけていた。合宿の部屋割では誰も一緒になってあげなくて、彼女は一人だけ上級生と同じ部屋になっていた。

それでもめげなかった彼女は、今になればしっかりものだったと思う。私達は、何時も自慢モードの彼女に対して心が狭くなっていた。何時もかぶっていたベレー帽さえかげで笑っていた。何かぶろうと本人の自由なのに悪いことをした。このときの編集後記にはきついことを縷々書いている。彼女なりの反撃のつもりだったのだろう。今でも私のこと恨んでいるかも。

わーーー、もうとうに縁の切れた人なのに、こんなものが出てくるから、思い出したじゃないの!!

なんでこんなものと今頃再会する羽目になったかというと、私の5ページ前に「サークルの政治参加について」という一文を書いた人が、昨日、お姑さまから子供時代の作文から成績表、その他もろもろ貰ってきたから。

兼ねて、物持ちのいい家とは知っていたけど、当時の夫実家はすでになく、今は同じ場所に建て替えたもの。それでも残っているのが素晴らしい。

成績表もたくさん出てきた。息子たちは約30年後に相次いで、同じ中高一貫の男子校へ通ったが、成績表の体裁が全く同じなのにびっくりした。私にとっては見慣れた成績表、見方も通暁している。

ふむふむ、案外地味な成績。勉強と相性の悪かった次男は別として、ほかの二人の方が成績良かったぞ。かねてから息子達が何かいいことになると「**の血筋」ということになってたけど、ここらあたりも揺るぎかねない今回の新資料の発見。いやいや、大学入試直前で成績のびたのだろうと一応のfollow。

昔は大学へ行くのも大変、ましてや6年間も行くなんて成績ではないほかの条件に左右されていたという証拠と思う。よくできる人は東大とか京大とかへ行ってたんじゃないでしょうか。

いやあ、すみません、だんだん話がくどくなって。

「こんな成績だったなんて知らなかった。今までへりくだって損したあ~」と言うと「あんた今まで一度だってへりくだったという歴史があるんか」と言われてしまった。すみません、ありません。ないと思います。

息子の成績いいと母親は強気。昔、息子たちの学校の父兄会ではおのずと上下関係ができていましたよね。今となれば懐かしいけど。

来年度から古文書購読、退会するので今日は最後の講義。皆さんにお礼のお菓子を買ったついでに自分のおやつも買う。シュークリームがそうです。ゆめタウン北、電車通りに面した公園のまだ先のビルの地階、おいしいです。

帰宅後食べる。手前は春季限定、白粒あんのお餅。あわしま堂製。近所のセブンイレブンで四個で108円。おやつがあればこの世はパラダイス~~

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