信頼する作家さんの一人「高田 郁」氏の「みをつくし料理帖シリーズ」第五弾「小夜しぐれ」のなかのお話「嘉祥(かじょう)- ひとくち宝珠」の文中、
「富士吉原の栗の粉餅が抜けておる」
という一行。
一瞬、えっ?と思いながらもお話の先が気になって読み進めてしまいました。
仲良しのIちゃんもこのシリーズが大好きなので、貸してあげたのですが、返してもらう時、
「○○ちゃん、(私のこと)、栗の粉餅って知ってる? 」
と興味深々の様子で聞いてきました。
皆さんもご存じのように私は、富士市生まれの富士市育ち、途中、学生時代とだんなさんの転勤で何年間か離れたことはあったものの、これまでの人生の大半を富士市で過ごしてきました。Iちゃんもずっと富士市に住んでいます。
この時は、二人で
「う~ん・・・? 聞いたことないね~。」
と首をかしげました。しかし大好きな作家さんの本の中に登場する「富士吉原の栗の粉餅」、私の頭の中では、「絵に描いた餅」ならぬ「栗の粉餅」は、お正月の鏡餅ほどの大きさに膨らんでいきました。なんてったって、富士吉原よ。
現在の富士市は、1966年(昭和41年)に、旧富士市と旧吉原市と旧鷹岡町が一緒になり、2008年(平成20年)、川向うの旧富士川町が一緒になりました。Iちゃんと私が生まれたのは、旧吉原市、東海道の「吉原宿」の雰囲気の残る吉原商店街近くなのです。
「二人とも知らないなんて・・・。昔は名物だったのかなあ~。」
となんとなく悔しい感じです。この本の中で、この時登場していたお菓子は、
『川崎の饅頭、大磯の粟餅、小田原のういろう、府中の砂糖餅・・・』でした。
小田原では、今でも小田原城の南側に大きなういろう屋さん(お店を建替えた時にお城と間違えてしまった・・・。)がありますし、だんだん西に下ってきているので、府中の砂糖餅は、静岡の安倍川餅ではないかと思われます。
気になる、気になる・・・。図書館でお借りした東海道の宿場町を歩くみたいな本の中で、ちょこっと美味しいものが載っていてその中に「岩淵の栗粉餅」というのを見つけました。
こんなに面白い 江戸の旅
『岩淵の栗粉餅(いわぶちのくりのこもち)
岩淵は富士川西岸の立場。ここの名物は、栗粉餅、甲州龍王煙草、ふじの芝海苔。栗粉餅は、栗を茹でて皮を剥き、実を潰して裏漉しにかけ、その粉を餅にまぶしたもの。室町時代からその名が見られる。1個12文(264円)』 (こんなに面白い 江戸の旅 蒲原宿より)
調べてみると、大正時代までは存在していたようです。
「岩淵」というのは、富士川を挟んで西にあり、東海道では、「吉原宿」(現富士市)と「蒲原宿」(現静岡市清水区)の間にあり、「間の宿」と呼ばれたところです。
どうもその岩淵に「栗の粉餅」を復活させたお店があるらしい・・・、という情報は得ていたものの運転に自信がないので、なかなか伺うことができなかったのですが、GW中、××さん(夫)と公園巡りをした帰り道、ちょこっと寄ってもらうことになりました。
和洋菓子 ツル家さん
ツル家さんのツルの印
栗の粉餅
岩淵の一里塚の木が描かれた?「栗の粉餅」の化粧箱
この木がモデルかな? (立ち姿が綺麗だったので、たまたま撮った写真ですが・・・。)
『栗の粉餅の由来
●栗の粉餅の起源は、江戸時代東海道の交通が盛んになった頃(江戸時代中頃)に遡ります。そのころの富士川町(岩淵村)は東西を東海道、南北を富士川の水運によって結ぶ、交通の要所として、旅人や舟運の人々で非常に栄えておりました。
●ここを行き交う人々から名代の銘菓として賞味されたのが、「栗の粉餅」で、当時は江戸から三十七里目の一里塚付近の茶店で売られておりました。あばれ富士川を舟で渡る人や荷役で甲州と上り下りする人達に栗の粉餅はお菓子というより、力を与えてくれる、お守りの様なものであったかもしれません。
●はじめは、餅に栗の粉をかけていたと伝えられ、後には黄な粉を用いたといわれ、大正時代まで売られていましたが、東海道の推移や水運の衰退と共に消えてしまったのです。
●この名代の銘菓「栗の粉餅」を再現するため、各地の栗の粉を吟味、精選して、現代風にアレンジし、ようやく当時を髣髴させ、現代に生きる「栗の粉餅」として、ここに蘇らせることができました。
今後は、多くの皆様にご賞味いただき、江戸時代からの名代を復活すべく一層の努力をいたしてまいります。』(頂いたパンフレットより)
栗の粉餅、焼きドーナツ、どら焼き、錦雲
栗の粉餅は、柔らかい大福餅に栗の粉がまぶしてある感じで、一口食べると餡子の甘さがドンときて、最後にふわっと栗の風味が広がります。かなり甘いです。でもね、大きな川をやっと渡った人、これから大きな川を渡らなければいけない人、長い間舟に乗って下ってきた人、そんな旅人には、この甘さ、たまらなく美味しく感じられたのではないかと・・・。そんなことを思いながら、ペロっと頂きました。美味しかったです。ご馳走様でした。ツル家さんには、和菓子だけでなく、洋菓子(ケーキ)などもあり、子供たちがちょこっと買うような箱や袋のお菓子、アイスなどもありました。
さて前出の「みをつくし料理帖シリーズ」の主人公「澪ちゃん」が切り盛りするお店の名前が、「つる家」さんです。ひらがなとカタカナの違いはありますが、なにかとても深いところで結びついているように思えました。
お店紹介 ツル家菓子司店 静岡県富士市(旧庵原郡富士川町)中之郷 3251
☎ 0545-81-0237
ナビに電話番号を入れて行こうとしたら、途中、橋が落ちていて行けそうになかったのに、歩いてまで行ってくれようとし××さん(夫)、ありがとう~! 結局ぐる~と遠回り(こちらは普通の道)をして行けたのですが・・・。
妙な根性を見せてくれた××さん(夫)に感謝です。
「富士吉原の栗の粉餅が抜けておる」
という一行。
一瞬、えっ?と思いながらもお話の先が気になって読み進めてしまいました。
仲良しのIちゃんもこのシリーズが大好きなので、貸してあげたのですが、返してもらう時、
「○○ちゃん、(私のこと)、栗の粉餅って知ってる? 」
と興味深々の様子で聞いてきました。
皆さんもご存じのように私は、富士市生まれの富士市育ち、途中、学生時代とだんなさんの転勤で何年間か離れたことはあったものの、これまでの人生の大半を富士市で過ごしてきました。Iちゃんもずっと富士市に住んでいます。
この時は、二人で
「う~ん・・・? 聞いたことないね~。」
と首をかしげました。しかし大好きな作家さんの本の中に登場する「富士吉原の栗の粉餅」、私の頭の中では、「絵に描いた餅」ならぬ「栗の粉餅」は、お正月の鏡餅ほどの大きさに膨らんでいきました。なんてったって、富士吉原よ。
現在の富士市は、1966年(昭和41年)に、旧富士市と旧吉原市と旧鷹岡町が一緒になり、2008年(平成20年)、川向うの旧富士川町が一緒になりました。Iちゃんと私が生まれたのは、旧吉原市、東海道の「吉原宿」の雰囲気の残る吉原商店街近くなのです。
「二人とも知らないなんて・・・。昔は名物だったのかなあ~。」
となんとなく悔しい感じです。この本の中で、この時登場していたお菓子は、
『川崎の饅頭、大磯の粟餅、小田原のういろう、府中の砂糖餅・・・』でした。
小田原では、今でも小田原城の南側に大きなういろう屋さん(お店を建替えた時にお城と間違えてしまった・・・。)がありますし、だんだん西に下ってきているので、府中の砂糖餅は、静岡の安倍川餅ではないかと思われます。
気になる、気になる・・・。図書館でお借りした東海道の宿場町を歩くみたいな本の中で、ちょこっと美味しいものが載っていてその中に「岩淵の栗粉餅」というのを見つけました。
こんなに面白い 江戸の旅
『岩淵の栗粉餅(いわぶちのくりのこもち)
岩淵は富士川西岸の立場。ここの名物は、栗粉餅、甲州龍王煙草、ふじの芝海苔。栗粉餅は、栗を茹でて皮を剥き、実を潰して裏漉しにかけ、その粉を餅にまぶしたもの。室町時代からその名が見られる。1個12文(264円)』 (こんなに面白い 江戸の旅 蒲原宿より)
調べてみると、大正時代までは存在していたようです。
「岩淵」というのは、富士川を挟んで西にあり、東海道では、「吉原宿」(現富士市)と「蒲原宿」(現静岡市清水区)の間にあり、「間の宿」と呼ばれたところです。
どうもその岩淵に「栗の粉餅」を復活させたお店があるらしい・・・、という情報は得ていたものの運転に自信がないので、なかなか伺うことができなかったのですが、GW中、××さん(夫)と公園巡りをした帰り道、ちょこっと寄ってもらうことになりました。
和洋菓子 ツル家さん
ツル家さんのツルの印
栗の粉餅
岩淵の一里塚の木が描かれた?「栗の粉餅」の化粧箱
この木がモデルかな? (立ち姿が綺麗だったので、たまたま撮った写真ですが・・・。)
『栗の粉餅の由来
●栗の粉餅の起源は、江戸時代東海道の交通が盛んになった頃(江戸時代中頃)に遡ります。そのころの富士川町(岩淵村)は東西を東海道、南北を富士川の水運によって結ぶ、交通の要所として、旅人や舟運の人々で非常に栄えておりました。
●ここを行き交う人々から名代の銘菓として賞味されたのが、「栗の粉餅」で、当時は江戸から三十七里目の一里塚付近の茶店で売られておりました。あばれ富士川を舟で渡る人や荷役で甲州と上り下りする人達に栗の粉餅はお菓子というより、力を与えてくれる、お守りの様なものであったかもしれません。
●はじめは、餅に栗の粉をかけていたと伝えられ、後には黄な粉を用いたといわれ、大正時代まで売られていましたが、東海道の推移や水運の衰退と共に消えてしまったのです。
●この名代の銘菓「栗の粉餅」を再現するため、各地の栗の粉を吟味、精選して、現代風にアレンジし、ようやく当時を髣髴させ、現代に生きる「栗の粉餅」として、ここに蘇らせることができました。
今後は、多くの皆様にご賞味いただき、江戸時代からの名代を復活すべく一層の努力をいたしてまいります。』(頂いたパンフレットより)
栗の粉餅、焼きドーナツ、どら焼き、錦雲
栗の粉餅は、柔らかい大福餅に栗の粉がまぶしてある感じで、一口食べると餡子の甘さがドンときて、最後にふわっと栗の風味が広がります。かなり甘いです。でもね、大きな川をやっと渡った人、これから大きな川を渡らなければいけない人、長い間舟に乗って下ってきた人、そんな旅人には、この甘さ、たまらなく美味しく感じられたのではないかと・・・。そんなことを思いながら、ペロっと頂きました。美味しかったです。ご馳走様でした。ツル家さんには、和菓子だけでなく、洋菓子(ケーキ)などもあり、子供たちがちょこっと買うような箱や袋のお菓子、アイスなどもありました。
さて前出の「みをつくし料理帖シリーズ」の主人公「澪ちゃん」が切り盛りするお店の名前が、「つる家」さんです。ひらがなとカタカナの違いはありますが、なにかとても深いところで結びついているように思えました。
お店紹介 ツル家菓子司店 静岡県富士市(旧庵原郡富士川町)中之郷 3251
☎ 0545-81-0237
ナビに電話番号を入れて行こうとしたら、途中、橋が落ちていて行けそうになかったのに、歩いてまで行ってくれようとし××さん(夫)、ありがとう~! 結局ぐる~と遠回り(こちらは普通の道)をして行けたのですが・・・。
妙な根性を見せてくれた××さん(夫)に感謝です。
長くブログを書いておりますので、過去のブログの書き直しはご容赦ください。