さて、今日は、"西浦賀 叶神社”のお話です。
”西叶神社”は
「社伝によれば、叶大明神は、平家の横暴ぶりを憤った京都神護寺の僧・文覚上人が、上総の国(千葉県)鹿野山にこもり、はるかに山城国(京都府)石清水八幡宮に源氏の再興を願い、養和元年(1181)にそのみ霊をこの地に迎えて祭ったことに始まるとされている。
その後、文治2年(1186)壇ノ浦の戦いで、平家が破れ源氏の世になると、文覚上人の願望が見事叶ったことから、「叶大明神」の称号が与えられたと伝えられている。現在の社殿は、天保8年(1837)に焼失した社殿を、天保13年(1842)に再建したもので 、要した費用は約三千両と記録されている。」
海沿いの道に一の鳥居があり、これは二番目の鳥居です
階段を上がると両脇の蘇鉄が迎えてくれます
天明6年(1786年)丙午 3月吉日建立 石工 新居源右門
双方”阿”の狛犬くん。逞しい手足(足)、くるりん巻き毛の造りの綺麗な子たちです。そして、玉垣の親柱のところには、先日ご紹介の可愛い子たちが居ます。
拝殿上の彫り物
思わ見惚れるいきいきとした龍の彫り物
梁に巻きつく龍の彫り物も凄い迫力です
天井の彫り物もひとつひとつ違う上にとても丁寧に彫られています。
こんなに凄い彫り物を施された社殿を見るのは、初めてかもしれません。安房の国の彫工、”後藤利兵衛”という方の作だそうです。
その3につづく
”西叶神社”は
「社伝によれば、叶大明神は、平家の横暴ぶりを憤った京都神護寺の僧・文覚上人が、上総の国(千葉県)鹿野山にこもり、はるかに山城国(京都府)石清水八幡宮に源氏の再興を願い、養和元年(1181)にそのみ霊をこの地に迎えて祭ったことに始まるとされている。
その後、文治2年(1186)壇ノ浦の戦いで、平家が破れ源氏の世になると、文覚上人の願望が見事叶ったことから、「叶大明神」の称号が与えられたと伝えられている。現在の社殿は、天保8年(1837)に焼失した社殿を、天保13年(1842)に再建したもので 、要した費用は約三千両と記録されている。」
海沿いの道に一の鳥居があり、これは二番目の鳥居です
階段を上がると両脇の蘇鉄が迎えてくれます
天明6年(1786年)丙午 3月吉日建立 石工 新居源右門
双方”阿”の狛犬くん。逞しい手足(足)、くるりん巻き毛の造りの綺麗な子たちです。そして、玉垣の親柱のところには、先日ご紹介の可愛い子たちが居ます。
拝殿上の彫り物
思わ見惚れるいきいきとした龍の彫り物
梁に巻きつく龍の彫り物も凄い迫力です
天井の彫り物もひとつひとつ違う上にとても丁寧に彫られています。
こんなに凄い彫り物を施された社殿を見るのは、初めてかもしれません。安房の国の彫工、”後藤利兵衛”という方の作だそうです。
その3につづく
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