「枝垂れ花桃は、どこかなあ?」
と地図を見ると、「吉田松陰寓寄処(吉田松陰の隠れ家)」の近くです。密航に失敗したんだっけ?くらいのお粗末な知識(と呼んで良いのか?)しかない私・・・。まずはここを見学しました。
吉田松陰寓寄処(吉田松陰の隠れ家)
ここでは、下田での吉田松陰、金子重輔のことを詳しく解説して頂けます。
密航するために下田にきた吉田松陰が、疥癬(皮膚病)の治療のために訪れた蓮台寺温泉、ここで11日間(記憶が曖昧、6日間だったかも)身を寄せた村山行馬郎さん(医師)の旧宅を静岡県が管理公開しているそうです。
「松陰先生」
と優し気な口調で吉田松陰のことを呼ぶ女性のお話は、ただ詳しいだけでなく、まるで映画を観ているような感じで、だんなさんも私も夢中で聞き入ってしまいました。ほんとにすごいのよ。
中二階、上の写真の右上辺りのお部屋に松陰先生が滞在したそうです。
茅葺の屋根の平屋のお宅に見えますが、天井は低いものの8畳の和室があり、この階段を取り外して天井(床)の板をしてしまうと、お部屋があるとは分からなくなります。(隠れ部屋のようです。)
窓から見える風景。当時は木がうっそうと茂っていたそうです。
左の板を右にずらすと下からは天井のように見え、お部屋があるとは分からないような造りになっています。
このあたりの人々の共同湯
このお風呂で松陰先生と村山行馬郎が出会ったということです。今でも皆さんが使っているそうです。
村山行馬郎さんのお宅には立派な内湯(今でもかけ流し)があるのですが、共同湯とは泉質が違うので、そちらに入りに行って松陰先生と出会ったということです。
ここでのお話の中で、驚いたことが二つありました。
一つは、松陰先生が密航を企て、ペリー総督の船にまで乗り込むことができたというのに、そのままアメリカに連れて行ってもらえなかった理由が、条約を結んだ日本の法に触れてしまうこと以外に松陰先生たちの「疥癬(かいせん)」にあったことです。長い航海に間に船の中で、皮膚病が蔓延してしまうのを恐れたためだったとは・・・?
二つ目は、松陰先生が準備した偽名で書かれた「投夷書(とういしょ)」の一部は、ペリー総督の手に渡り、今でもアメリカのエール大学図書館に保存されているということです。異国の若者の手紙を大切に保存するという心持ちに感心してしまいました。もう一部は、山口に現存するということでしたが、ここでもコピーを見る(読む)ことができます。
『 吉田松陰、金子重輔の密航未遂事件に関するペリー提督の感想としては、松陰と金子に非常に好意的な文書が残されている。
「日本の厳重な法律を破り、知識を得るために命を賭けた二人の教養ある日本人の烈しい知識欲を示すもので、
興味深いことである。日本人の志向がこのようなものであるとすれば、この興味ある国の前途は何と実のあるもの
であるか、その前途は何と有望であることか。(中略)哀れな二人の運命がその後どうなったかはまったく確かめることが
できなかったが、当局が寛大であり、二人の首をはねるというような極刑を与えないことを望む。なぜなら、それは
過激にして残忍な日本の法律によれば大きな罪であっても、我々にとってはただ自由にして大いに讃えるべき
好奇心の発露にすぎないように見えるからである」と述べている。 』(吉田松陰.com より)
最後に松陰先生のお話をしてくださった女性から手渡されたのは、
「親思ふこころにまさる親ごころ けふの音づれなんときくらん」(子供が親を思う以上に、親が子供を思う気持ちは強い。この知らせを聞いた親は、何と思うのだろうか?)
と書かれた栞でした。これは松陰先生が死刑に処されることを悟った時の辞世の句だそうです。
たくさんの出来事や自分の思いが渦巻く中で「吉田松陰寓寄処」を後にしました。
「私たち、しだれ桃を見に来たんだっけ・・・。」
しだれ桃は、まだ咲いていないようですが、とりあえず探してみることにしました。
「蓮台寺温泉の至宝 重要文化財・大日如来坐像 特別公開」
の看板を見つけ、行ってみました。
急な階段を上がって・・・。
岩を抱くように立つご神木
天満宮 大日如来坐像は、左後ろに見える赤い屋根のお堂の中にいらっしゃいます。(写真はありません)
『 大日如来坐像
座高114.0cm、桧の寄木造、彫眼で、像の表面には漆箔を施してあります。面の幅と長さがほぼ同じとなる穏やかな丸顔や優美な表現など、平安時代後期の様式を残した鎌倉初期の像とされている優作であり、伊豆半島を代表する仏像の一つです。』(頂いたパンフレットより)
ここには、四天王立像もあり、それらは現在修復中だそうです。
「私たち、しだれ桃を見に来たんだっけ・・・。」
てくてく、てくてく・・・。
ここかな? 残念ながらしだれ桃は、ちらほらと咲いているだけです。
しだれ桃も菜の花も綺麗ね!
「蓮台寺」という駅名は聞いたことがあったのですが、こんなに奥が深いとは・・・。温泉に浸かって、松陰先生のように下田まで歩いたり、修復の終わった四天王立像にお会いしたりしてみたいと思いました。
施設紹介 吉田松陰寓寄処 下田市蓮台寺300番地
天神神社 下田市蓮台寺362番地
しだれ桃の里祭り 下田市蓮台寺(個人宅、蓮台寺川沿い)
つづく
と地図を見ると、「吉田松陰寓寄処(吉田松陰の隠れ家)」の近くです。密航に失敗したんだっけ?くらいのお粗末な知識(と呼んで良いのか?)しかない私・・・。まずはここを見学しました。
吉田松陰寓寄処(吉田松陰の隠れ家)
ここでは、下田での吉田松陰、金子重輔のことを詳しく解説して頂けます。
密航するために下田にきた吉田松陰が、疥癬(皮膚病)の治療のために訪れた蓮台寺温泉、ここで11日間(記憶が曖昧、6日間だったかも)身を寄せた村山行馬郎さん(医師)の旧宅を静岡県が管理公開しているそうです。
「松陰先生」
と優し気な口調で吉田松陰のことを呼ぶ女性のお話は、ただ詳しいだけでなく、まるで映画を観ているような感じで、だんなさんも私も夢中で聞き入ってしまいました。ほんとにすごいのよ。
中二階、上の写真の右上辺りのお部屋に松陰先生が滞在したそうです。
茅葺の屋根の平屋のお宅に見えますが、天井は低いものの8畳の和室があり、この階段を取り外して天井(床)の板をしてしまうと、お部屋があるとは分からなくなります。(隠れ部屋のようです。)
窓から見える風景。当時は木がうっそうと茂っていたそうです。
左の板を右にずらすと下からは天井のように見え、お部屋があるとは分からないような造りになっています。
このあたりの人々の共同湯
このお風呂で松陰先生と村山行馬郎が出会ったということです。今でも皆さんが使っているそうです。
村山行馬郎さんのお宅には立派な内湯(今でもかけ流し)があるのですが、共同湯とは泉質が違うので、そちらに入りに行って松陰先生と出会ったということです。
ここでのお話の中で、驚いたことが二つありました。
一つは、松陰先生が密航を企て、ペリー総督の船にまで乗り込むことができたというのに、そのままアメリカに連れて行ってもらえなかった理由が、条約を結んだ日本の法に触れてしまうこと以外に松陰先生たちの「疥癬(かいせん)」にあったことです。長い航海に間に船の中で、皮膚病が蔓延してしまうのを恐れたためだったとは・・・?
二つ目は、松陰先生が準備した偽名で書かれた「投夷書(とういしょ)」の一部は、ペリー総督の手に渡り、今でもアメリカのエール大学図書館に保存されているということです。異国の若者の手紙を大切に保存するという心持ちに感心してしまいました。もう一部は、山口に現存するということでしたが、ここでもコピーを見る(読む)ことができます。
『 吉田松陰、金子重輔の密航未遂事件に関するペリー提督の感想としては、松陰と金子に非常に好意的な文書が残されている。
「日本の厳重な法律を破り、知識を得るために命を賭けた二人の教養ある日本人の烈しい知識欲を示すもので、
興味深いことである。日本人の志向がこのようなものであるとすれば、この興味ある国の前途は何と実のあるもの
であるか、その前途は何と有望であることか。(中略)哀れな二人の運命がその後どうなったかはまったく確かめることが
できなかったが、当局が寛大であり、二人の首をはねるというような極刑を与えないことを望む。なぜなら、それは
過激にして残忍な日本の法律によれば大きな罪であっても、我々にとってはただ自由にして大いに讃えるべき
好奇心の発露にすぎないように見えるからである」と述べている。 』(吉田松陰.com より)
最後に松陰先生のお話をしてくださった女性から手渡されたのは、
「親思ふこころにまさる親ごころ けふの音づれなんときくらん」(子供が親を思う以上に、親が子供を思う気持ちは強い。この知らせを聞いた親は、何と思うのだろうか?)
と書かれた栞でした。これは松陰先生が死刑に処されることを悟った時の辞世の句だそうです。
たくさんの出来事や自分の思いが渦巻く中で「吉田松陰寓寄処」を後にしました。
「私たち、しだれ桃を見に来たんだっけ・・・。」
しだれ桃は、まだ咲いていないようですが、とりあえず探してみることにしました。
「蓮台寺温泉の至宝 重要文化財・大日如来坐像 特別公開」
の看板を見つけ、行ってみました。
急な階段を上がって・・・。
岩を抱くように立つご神木
天満宮 大日如来坐像は、左後ろに見える赤い屋根のお堂の中にいらっしゃいます。(写真はありません)
『 大日如来坐像
座高114.0cm、桧の寄木造、彫眼で、像の表面には漆箔を施してあります。面の幅と長さがほぼ同じとなる穏やかな丸顔や優美な表現など、平安時代後期の様式を残した鎌倉初期の像とされている優作であり、伊豆半島を代表する仏像の一つです。』(頂いたパンフレットより)
ここには、四天王立像もあり、それらは現在修復中だそうです。
「私たち、しだれ桃を見に来たんだっけ・・・。」
てくてく、てくてく・・・。
ここかな? 残念ながらしだれ桃は、ちらほらと咲いているだけです。
しだれ桃も菜の花も綺麗ね!
「蓮台寺」という駅名は聞いたことがあったのですが、こんなに奥が深いとは・・・。温泉に浸かって、松陰先生のように下田まで歩いたり、修復の終わった四天王立像にお会いしたりしてみたいと思いました。
施設紹介 吉田松陰寓寄処 下田市蓮台寺300番地
天神神社 下田市蓮台寺362番地
しだれ桃の里祭り 下田市蓮台寺(個人宅、蓮台寺川沿い)
つづく