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のんびり古都、こと・・・。 その7 ( 寺田屋 )

2017-04-01 16:27:53 | 建物紀行
 「月桂冠大倉記念館」から、かすかに春を感じる柳の揺れる川沿いに酒蔵の建物や煙突などを眺めながら歩いていくと・・・。


     
     細い路地、龍馬通りと名付けられているらしい・・・。みんな本当に龍馬が好きですね。

 現在も宿泊できるという「寺田屋」があります。

 『   寺田屋

  坂本龍馬先生は薩摩藩の紹介で寺田屋を京の宿として利用されました。この梅ノ間はその当時、龍馬先生が愛用された部屋で、慶応二年(一八六六年)一月二十三日幕吏の襲撃を受けた時もこの部屋に泊っておられました。この時は負傷しながらも脱出に成功し薩摩藩に保護されたと伝えられています。また、梅ノ間に掛る龍馬先生の掛軸は、幕末の風雲急を告げ薩長連合に東奔西走する龍馬の身に忍びよる殺気を感じた女将お登勢が嫌がる龍馬先生に奨めて街の画家に描かせた龍馬先生遭難直前の生彩えきえきたる絵像です。計らずもこれが絶後のものとなり京都円山公園の銅像のモデルとなりました。』(頂いたパンフレットより)

     
     
     1868年(慶応4年)、鳥羽・伏見の戦いで焼失してしまった「寺田屋」があった場所

 龍馬の像や石碑、お登勢明神などがあります。現在の「寺田屋」は、その後、このお隣に再建されたそうです。    


     
     寺田屋

     
     表階段

     
     維新当時、寺田屋を定宿としていた薩摩藩主、島津家よりの拝領品だという太い大黒柱

     
     龍馬が捕方におそわれた部屋

      
     弾痕、刀痕などが残る

     
     お龍さんが龍馬に危険を知らせるために駆け上がったという裏階段

     
     その時、お龍さんは、入浴中だったとか・・・。袷一枚羽織り、階段を駆け上がったらしい・・・。

 龍馬が襲われた部屋には、弾痕や刀痕が残り、お龍さんが駆け上がった急な階段は、すすけて・・・。騒然とした幕末を感じて見学をしてきました。
・・・ところが、これをまとめていて、実は、本物の寺田屋は、焼失していたことがわかり、がっかりしてしまいました。見学前に知らなくて良かった・・・💦 しかし弾痕、刀痕も本物ではなかったということでしょうか? 
雰囲気は十分に味わえた私たちでした。


  施設紹介   寺田屋  京都府京都市伏見区南浜町 
                   ☎ 075-622-0243 

 これで、だんなさんと二人で、のんびり巡った京都のお話は、お終いです。お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。お疲れ様でした。
 今日から4月、京都は桜の季節を迎えるころでしょうか? ここ2.3日とても寒くて、日本のカリフォルニア富士市でも真冬の感じです。はやく暖かくなると良いですね。

                                                 お終い


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