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ちょこっとドライブ その2 ( 人穴浅間神社 )

2016-03-29 12:47:07 | 不思議紀行
 お腹がいっぱいになった私たちは、
「田貫湖周りを散歩しよう!」
と田貫湖に向かいました。途中以前から気になっていた鳥居のある「人穴浅間神社」に寄りました。
富士山が世界遺産に登録されたときにここも富士山世界遺産構成資産となり、ボランティアガイドの方が案内してくださるようになったり、資料などが置いてある建物が建てられたり、お手洗いも整備されたりしています。

『 富士山世界遺産構成資産(平成25年6月登録)
人穴富士講遺跡は、『信仰の対象』としての富士山の顕著な普遍的価値を証明する上で不可欠の構成資産である。
富士山の西麓に位置する人穴富士講遺跡は、長谷川角行が苦行の末に入滅したとされる風穴の「人穴」を中心として、その周辺に富士講信者が造立した約230基もの碑塔群が残されている遺跡である。
『吾妻鏡』には、鎌倉幕府2代将軍源頼家(1182~1204)の命令により、洞内を探検した武士が霊的な体験をしたことが記されており、早くも13世紀には人穴が「浅間大神の御在所」として神聖視されていたことが知られる。
その後、この記事は浅間大神の霊験譚として説話化され、人穴の存在が広く知られるようになった。
富士講関連の古文書によれば、人穴は、16~17世紀に長谷川角行が洞内で角材の木口の上に1,000日の間立ち続けるなどの修行を行い、浅間大神の啓示を得た場所であるとされている。また、角行が人穴を「浄土(浄土門)」であると述べたとの伝承に基づき、人穴を参詣し、修行を行う熱心な富士講信者も現れた。
人穴の内部には、角行を初代として、3代目及び4代目の弟子に当たる人物が奉納した1664年及び1673年の紀年銘を持つ石仏が残されている。
富士講が隆盛期を迎えると、信者は角行、食行身禄、先達などを供養・顕彰したり、自らの登拝回数を記念したりするために、多くの石造碑塔を建立した。
これらの一群の碑塔は富士講ごとにまとまった位置に建立されており、各講の勢威を示す意図がうかがえる。
現在、人穴への参詣者は見られるものの、富士講の組織及び活動は衰退してしまったため、1964年以降における新たな碑塔の建立は行われていない。』(富士の国やまなし観光ネットより)

     
     緩やかな参道を上がって・・・。

     
     弘化2年(1845)開祖角行の200年忌の建立された「宝篋印塔」

     
     富士講信者によって建立された232基の碑塔

     
     人穴浅間神社

 以前は、犬涼み山溶岩流内にできた長さ約83メートルの溶岩洞穴「人穴」の中に入って行けた(子供のころに訪れたような記憶はあるが、怖くて入って行かなかったと思う。)ようですが、現在は、危険なため立ち入り禁止となっています。
新しい社殿が造られていましたが、写真は撮り忘れてしまいました。

  『 御祭神

  木花咲耶媛命(このはなさくやひめのみこと)

  源家康朝臣(みなもとのいえやすあそん)、藤原角行(ふじわらかくぎょう)』


 人穴富士講遺跡については、富士宮市のホームページに詳しく載っています。

  神社紹介   人穴浅間神社  富士宮市人穴 206


                                             つづく