前日の風雨が嘘のよう・・・、良いお天気になった日曜日、先週、霊山寺、一本松公園に行った後、もし時間と元気がまだあったら、行ってみようと話していた(そんな元気はなかった・・・?)「河内の大石」を見に行きました。
国道1号線バイパス~国道52号線を興津川に沿って北上、但沼交差点を左折、県道75号線を通って、県道196号線を走り、河内郵便局の北側の橋を渡り、河内バス停を左折(西に向かう)、800mほどで到着。(途中看板あり、道細し)
途中のコンビニの裏手、あまりの鮮やかさに思わずパチリ!
のどかな景色の中をひた走り・・・。
日本一安産石由来記
「茲興津川上流 真富士山麓 清水市河内石澤に 高さ一九米 周り六十米 容姿雄大にして端麗な石英粗面岩の一大巨石を見る これは世謂安産岩で これに 高御産巣日神(たかみむすびのかみ) 神皇巣日神(かみむすびのかみ)を祭る
巨石は真富士 龍爪火山より生まれた 時は安政二年旧七月二十六日夜半 陣痛は実に安政の大地震より 翌年の大豪雨まで二ヶ年の長きに亘った
安政元年霜月二十八日 突如として起こった大地震は真富士連山を震撼し 岩石をとばし地鳴続き 人心恟々として 唯藪中に逃れ 念仏祈祷するのみ 続いて翌年安政二年七月二十六日には豪雨沛然として到り 正午より夜半に及び 地震にて崩れ落ちた土砂岩石を 泥流と化し流れ去った
夜明けて空は一点の雲もなく晴れ渡り 昨日の恐ろしさは忘れたかのような好天気であった そこに純白な一大巨石が端座していた 人々の驚きは たとえようもなかった 而し総ベてを失い 忘然自失していた里人にとっては救いの主であり 頼もしい姿であった これにすがり生きる力を得んと 希ったことは当然である 時の神職 小澤岩見守清麿は 人々の気持ちを巨石に託し 前記二神を祭り 里人の加護と繁栄を祈願した
それ以来人心は希望に満ち 生産は進み 立願すれば産婦人の安産は 勿論 子供のない人には必ず子宝を授ける 霊顕誠にあらたかであり 誰云うとなく安産石と呼ばれるようになり 毎年旧七月二十六日 盛大な祭典を挙行し 多くの参拝者の尊崇を得ている」
昭和四十一年八月二十六日 長岡弘司選文 (由来記石碑より)
「高さ19m、周囲長さは60mもあり、文化財として指定されている大石です。安政地震の際に影響を受け、翌年の大雨で真富士山中腹から流出したものといわれております。石の上は広く蕎麦8斗を乾かすことができた為に8斗石とも呼ばれていたそうです。現在では、大石神社としてあがめられ、安産の石としても知られています。であいの広場から歩いて約40分。トイレや駐車場を備えております。」(静岡市清水森林公園 やすらぎの森 ホームページより)
大石の右下にだんなさんが写っています。
大石に抱かれるように造られた大石神社
だんなさん(身長175cm)と大石
こちらもだんなさんと大石
大石の周りをぐるっと一周できるように小道が作られていました。
ともかく大きい! ありえない大きさに興奮しまくり、だんなさんに笑われてしまいました。
安政の大地震と翌年の大雨で、この地に運ばれてきたといわれているのだそうだが、自然の驚異にただただ立ち尽くすばかり・・・。
河内の大石 静岡市清水区河内 字 宝ノ窪
つづく
国道1号線バイパス~国道52号線を興津川に沿って北上、但沼交差点を左折、県道75号線を通って、県道196号線を走り、河内郵便局の北側の橋を渡り、河内バス停を左折(西に向かう)、800mほどで到着。(途中看板あり、道細し)
途中のコンビニの裏手、あまりの鮮やかさに思わずパチリ!
のどかな景色の中をひた走り・・・。
日本一安産石由来記
「茲興津川上流 真富士山麓 清水市河内石澤に 高さ一九米 周り六十米 容姿雄大にして端麗な石英粗面岩の一大巨石を見る これは世謂安産岩で これに 高御産巣日神(たかみむすびのかみ) 神皇巣日神(かみむすびのかみ)を祭る
巨石は真富士 龍爪火山より生まれた 時は安政二年旧七月二十六日夜半 陣痛は実に安政の大地震より 翌年の大豪雨まで二ヶ年の長きに亘った
安政元年霜月二十八日 突如として起こった大地震は真富士連山を震撼し 岩石をとばし地鳴続き 人心恟々として 唯藪中に逃れ 念仏祈祷するのみ 続いて翌年安政二年七月二十六日には豪雨沛然として到り 正午より夜半に及び 地震にて崩れ落ちた土砂岩石を 泥流と化し流れ去った
夜明けて空は一点の雲もなく晴れ渡り 昨日の恐ろしさは忘れたかのような好天気であった そこに純白な一大巨石が端座していた 人々の驚きは たとえようもなかった 而し総ベてを失い 忘然自失していた里人にとっては救いの主であり 頼もしい姿であった これにすがり生きる力を得んと 希ったことは当然である 時の神職 小澤岩見守清麿は 人々の気持ちを巨石に託し 前記二神を祭り 里人の加護と繁栄を祈願した
それ以来人心は希望に満ち 生産は進み 立願すれば産婦人の安産は 勿論 子供のない人には必ず子宝を授ける 霊顕誠にあらたかであり 誰云うとなく安産石と呼ばれるようになり 毎年旧七月二十六日 盛大な祭典を挙行し 多くの参拝者の尊崇を得ている」
昭和四十一年八月二十六日 長岡弘司選文 (由来記石碑より)
「高さ19m、周囲長さは60mもあり、文化財として指定されている大石です。安政地震の際に影響を受け、翌年の大雨で真富士山中腹から流出したものといわれております。石の上は広く蕎麦8斗を乾かすことができた為に8斗石とも呼ばれていたそうです。現在では、大石神社としてあがめられ、安産の石としても知られています。であいの広場から歩いて約40分。トイレや駐車場を備えております。」(静岡市清水森林公園 やすらぎの森 ホームページより)
大石の右下にだんなさんが写っています。
大石に抱かれるように造られた大石神社
だんなさん(身長175cm)と大石
こちらもだんなさんと大石
大石の周りをぐるっと一周できるように小道が作られていました。
ともかく大きい! ありえない大きさに興奮しまくり、だんなさんに笑われてしまいました。
安政の大地震と翌年の大雨で、この地に運ばれてきたといわれているのだそうだが、自然の驚異にただただ立ち尽くすばかり・・・。
河内の大石 静岡市清水区河内 字 宝ノ窪
つづく