謹んで新春のお慶びを申し上げます。
皆様お揃いで、清々しいお正月をお過ごしになられましたことでしょう。
本年もどうぞ宜しく願い申し上げます。
私の寝室から見た初日の出
新しい年の幕が開け、すでに数日が経ちました。
幾つになっても、お正月は嬉しいものですね。
今年も良い年にしたいとの思いが募り、心が凛とした佇まいになります。
けれど、この気持ちがすぐ、ふにゃっ!となってしまうのも、毎年の事。
日常の雑事に追われ疲れてしまったり、心配事があったりすると、尚更の当然の成り行きです。
哀しいけれど、これは人間の性(さが)でしょうか。
清々しい気持ちは、いつまでも維持はできません。
松下幸之助氏の書物、「道開く」には、下記のような箴言が載っています。
少し長いですが、ご紹介させていただきますね。
タイトルは、「日々是新」です。
年があらたまれば心も改まる。心が改まればおめでたい。
正月だけがめでたいのではない。心があらたまったとき、それはいつでもおめでたい。
きのうもきょうも。自然の動きには何ら変わりはない。照る陽も、吹く風も、みな同じ。それでも心があらたまれば、見るもの聞くものが、
みな新しい。
年の始めは元旦で、1日の始めは朝起きたとき。年の始めがおめでたければ、朝起きたときも同じである。毎朝、心があらたまれば、毎日が
お正月。あらたまった心には、すべてのものが新しく、すべてのものがおめでたい。
機能は昨日、今日は今日。きのうの苦労をきょうまで持ち越すことはない。「1日の苦労は1日にて足れり」と言うように、きょうはまたきょうのの運命が開ける。きのうの分まで背負っていられない。毎日が新しく、毎日が門出である。
日々是新(ひびこれあらた)なれば、日々是好日。素直で謙虚で、しかも創意工夫に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気。
さあ、みんな元気で、新しい日々を迎えよう。
今年は、こんな気持ちで、是非、毎日を過ごしたいものです。
母の実家のお酒です。
江戸時代から続く造り酒屋で、今は観光ルートになっていると長女夫婦に聞き、びっくり。
年末に、夫婦で訪ねたとのこと。
母は、初孫のMちゃんは溺愛と言っていいほど可愛がりました。
そのお酒を年初の祝い酒にしました。
もうすぐ二十三回忌を迎える母ですが、こんな素晴らしい供養はない事でしょう。
実は私は、今年の年末は、日頃心配していたことが、一層大きな不安となって心に膨らみ、切ない気持ちで一杯になりました。
そのまま新年迎えてしまった私ですが、一晩寝ると、心が改まるのは、私の取柄。
とても清々しいお正月の朝を迎えることができました。
けれど午後からのある出来事で、その心配がいっそう現実味を帯びてしまった私です。
でもそれは良かった。
母親としての娘の苦労が、一層よく察せられてきましたから。
今後はその苦労を十分に理解して、私も共に、その解決策の道を手探りながら見付けていけたらいいなあ~、と思っています。
でも、心配とは言え、私の子供ではありません。
意見はほどほどにしないと、嫌われて敬遠されてしまいそう。
でも聞くだけでもいいから、時には私の助言も聞いてほしい。
そんな気持ちでいます。
時々、メールを送るわね、Mちゃん。
長女の苦労が心から理解できるようになったせいか、夕食の頃には気持ちがすっかり吹っ切れていました。
祝膳の食卓を囲んで、とてもとても楽しい団欒ののひと時を皆で持つことができました。
四人家族の時は、夫はとても無口な人でしたから、割と静かなお正月でしたが、今はそれはそれは賑やか。
お喋りが尽きません。
私には耳新しい話題も多く、興味津々。
でも大晦日の晩は、十時前には入浴を済ませ、さっさと床に就いてしまった私です。。
申し訳ないとは思いつつ、体力が続かないので、仕方ありません。
年初早々背が丸い!(笑)
今年の目標の一つは、姿勢を正すです。
私が来ているカシミヤのセーターは夫の遺品です。
この体と上手に付き合い、脊柱管狭窄症の再発を何とか食い止め、素敵な日々紡いでいけるように、今年も精いっぱい心掛けようと思っています。
本年も変わらぬお付き合いの程、何とぞ宜しくお願い申し上げます。
次回の記事では、結婚以来、ほとんど内容の変わらない、母から伝授した我が家のおせち料理をご紹介します。
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