付録として遺された手記は以下のように書き綴られている。
「私は科学工芸分野を所管する官庁の監督下にある社団法人で総務班長を務めている者です。詳しい事情は分明でありませんが、役所のさる筋を通じて由来の定かならぬ石が弊法人へ持ち込まれました。当面、社団法人の公務外扱いで当該の石を鑑定してもらいたいという内々の命を受けたので、総務班の半ば便宜的運用として処々方々の心当たりへ幾度となく照会し、官民問わずめぼしい研究機関に解析を依頼してみたのですが、結局、真贋を含めてその正体、手加工の痕跡等に関して有効な情報は得られませんでした。それどころか、某研究所の副所長に至っては、これは並の鉱物なぞではないと言い出します。いかにも胡乱に聞こえる話かも知れないが、宇宙空間のどこぞで、気の遠くなるほどの時間をかけて凝り固まった何か意思めいたもの、何ものかの記憶、更には何ものかが生きている地上そのものではないかと、年来抱懐する持説にかこつけて本気で主張する始末です。なにしろ、我々が尋常一般に想像できる範囲に納まるものではないらしいとか。まあ、あ然とするしかない法外な所説であって、まともに取り合う価値は毛頭ありません。
それはそれで構わないが、依然、もの本体の解明は必要とされている。少しでも理屈に沿って頷けそうな答に近づくために、それではどこをどう尋ねるなり探るなりしたらいいのやら、相変わらずの五里霧中、途方に暮れるばかりであった。」
はじめからひどくとらえ所のない話であり、舌の回りもよたよたともつれ気味である。私の戸惑いの表情を、心なしか気の毒そうに水鶏氏は眺めていた。だが、水鶏氏もこの手記を根底から理解はできかねる代物と評している。珍妙な手記に対する惑乱の度合いにおいて、水鶏氏と私とでさほどの隔たりがあるとも思われない。