美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(三十五)

2016年05月04日 | 偽書物の話

   「今読み上げたノートは対価を支払った上で古本屋、と言うか古物商から購求したものですが、とはいえ、心情的にはあくまで私が暫時保管させてもらっているに過ぎないと思っています。いつか、正当な所有主が尋ね当てられた暁には、お譲りしても構わないと考えているのですよ。いつだってそうするに吝かでないのが私の底意でして。」
   水鶏氏は、我からこう言明することによって手に持ったノートに対する愛おしさが一層つのったかのように、声を小刻みに震わせた。しかし、どうやら私が送った書物とは関係がないのではないかというこちらの腹の内を見透かしたのか、すぐに平静に戻って言葉を続けた。
   「あなたももう気が付いておられるでしょう、私がこの石のどこかしらに手を触れておかずにはいられないことに。きっと、あなたの前で石の塊をこれ見よがしに撫でていることにご不審を抱かれたのではないですか。その古物商の店先で長年埃をかぶって放り出されていた石ですが、鉱物の類に目がないことから、その嵩や重みを省みずノートと併せてうっかり買い求めてしまいました。わざわざ言い足すのも可笑しな話ですが、この石の今ある形はどうやらありのままのものです。調べてみた限り、何ら外から手を加えた形跡はありません。にもかかわらず、まるで粘土を捏ねて造ったみたいな奇態な形姿を露わにしているじゃありませんか。傍らに置いて、これほど気を引く鉱物はかつてありませんでした。ついつい手が出て触りたくなる、そして、そこに何か隠れているものはいないかと眼を凝らして探してみたくてたまらなくなるのです。
   折しも、あなたからあの黒くて大きな書物が送られて来ました。お送りいただいた大きな書物をまだ読むでもなく、何心なく適当に頁を繰って眺めていたときです。私の眼前で、頁の白地と黒い文字とが互いにもつれ合い褶曲し合って造山運動とでも表すべき現象が始まったのです。そのとき頁の上に俄かに造化された立体の像は、てっきり妄狂による幻視ではないかと半ば放心しながら疑ってもみました。けれど、焦点のおぼつかぬ視線を書物からこの石へと移したとき、眼の裏に結んでいた光景の立体的心象が、細部の形状に至るまで石の塊とぴったりと重なり一体となってしまったのです。」

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