その夜ラスプチンは両陛下に謁見した。
――我々のため、奇蹟をやつて見てくれ。
と、ニコライ二世はいつた。奇蹟は神のくしき摂理を人間に仄めかす火花であつて、見世物ではないことを、宮廷侍僧は進講しなかつたものであろうか。行儀よくならんだ一対の雛は正統信仰からいつの間にやら脱落して子供つぽく魔法じみたしるしをせがんだ。
――此処にマツチの小箱がございます。私はアレキサンドラ・フエオドロウナ皇后陛下に、それをお持ちあげになることは出来ないと、申上げます。それは一噸以上の重みがございます。
信じられないという風に、皇帝は大笑していた。
――いや、一噸どころか、二噸、、三噸、もつとある。お試しになつて下さい。
なるほど、動かそうとした皇后の腕はマツチ箱にふれたとたん硬直し、原位置から一ミリも移せない。
――さあ、どうぞいま一度。
もちろん皇帝にも出来なかつた。アレキサンドラ皇后は微笑をたたえる修士をおそろしげに見守り、場末のサーカスや縁日をみたことのない皇帝も、こんな初歩の暗示実験にひつかかつて、畏敬の念を起していた。
(「妖僧ラスプチン」 眞野烈兒)