美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

運命のハワイ海戦(横井俊幸)

2021年12月08日 | 瓶詰の古本

 破局への第一歩は斯くして踏み切られた。あの惨憺たる戦争をどうして回避出来なかったか? 一体海軍はどの程度の自信があったのか? ということは、よく聞かれる問題である。山本長官が昭和十五年米内内閣の海軍次官で日独軍事同盟に反対して、「開戦後一年半位は何とかなるがその後は全然成算が立たない。」という強硬な主張で、日米開戦の危険を孕む日独同盟を握り潰したことは、あまりにも有名な話である。山本次官の転出の後、海軍首脳部の政治力の不足と、御殿女中のような優柔不断は、危い危いと言いながら、到頭三国同盟に引きずり込まれ、破局への運命が決定されたのであった。
 日米交渉は、東条大将の支那撤兵拒否によって、終に破綻に瀕した。この時機に於ける海軍の戦争に対する見解は、十一月三日の大本営政府連絡会議に於ける島田海相の意見に代表されている。島田海相の意見は、
「初動の邀撃作戦には自信があるが、第三年にもなれば、資材や工業力の関係から長期戦には確算がない。忍び難きを忍んでこの儘我慢するのも、開戦するのも、いずれも危険であるが、なるべくは臥薪嘗胆、外交によって難局を打開され度い。」というのであった。
 永野軍令部総長の意見は、「大体島田海相と大同小異だが、主として燃料の関係から十二月初旬開戦となれば、第一段作戦の邀撃作戦には確算があるが、対手が米国では長期戦になる。それにはキメ手がないので最後は世界情勢の推移によって左右される要素が多い。」というのであった。
 山本大将が一年半位は大丈夫だと言い、島田、永野両大将が二年という数字を挙げたのも、主として軍備特に航空軍備の観点から言っているのであるが、何れも漠然たる見当に過ぎなかった。長期戦になったら軍備の背景となる国力が足りない、迚も駄目だと知りながらズルズルと戦に引きずり込まれたのは、戦争に対する研究が不充分で、先の先まで見透しがつかない。右とも左ともハッキリ言い切る自信がなかったからであろう。
 それというのも、日本には作戦計画はあったが、戦争計画がなかったということが、その根本原因である。
 近代戦は国家総力戦である。それは国家総力を動員して初めて戦争が遂行出来るのであるから戦争計画は内閣と統帥部の渾然たる一致によって生れなければならない。然るに我国独特の制度である「統帥権」の独立が之を妨げた。内閣は統帥事項に就いては聾桟敷に置かれ、統帥機関は又国力の実相を窮め得ない、軍令部も、参謀本部も、単に作戦計画を立案し、然るべき軍備計画を樹てる機関に過ぎなかった。日露戦争頃までは未だそれでもよかったのだが、この制度を総力戦の今日まで持ちこしたことが和戦決定の基礎たるべき戦争計画なくして、今次の大戦争に飛び込む原因となったのである。
 戦争計画が出来なかったいま一つの理由は、陸軍はソ聯を、海軍は米国をと、別個の想定敵国を頭に画いていたのだから、何を中心として全体的な戦争計画を作ったらよいのか判らないのが当然で、まことに笑止千万な有様だった、従ってこんな大戦争が出来るか出来ないか、判定する根拠は何処にもなかったのである。
 絶対主戦論で終始した陸軍だって、何も根拠あっての議論じゃない。鈴木企画院総裁が、内閣の代る度毎、戦争が出来る、出来んと四度も変説改論したという話は、この間の消息を物語るものである。

(「帝國海軍の悲劇」 横井俊幸)

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