さらしな日記の著者、京に著きし後は、小説のみに心を傾け、源氏物語を寤寐にも念ひ忘るゝことなく、まこと、在るが如き情にて源氏を恋ひ慕ふ様、実に女心はかゝるものなるかと思はる。日記に曰く
『光る源氏ばかりの人は此世におはしけるやは。此頃の世の人は十七八よりこそ経よみ、行もすれ、さること思ひかけられず。辛うじて思ひよることは、いみじう、やんごとなき容(かたち)ありさま、物語にある光る源氏などやうにおはせん人を、年に一度にても通はせ奉りて浮船の女君のやうに山里にかくし居ゑられて、花紅葉月雪を眺めていと心ほそげに、めでたからん御ふみなどを、時々待ち見るなどこそせめてとばかり思ひ続け、かりそめことにも覚えけり』と。日記の著者源氏物語を読むや、一の巻よりして、人も交らず几帳の内にうち臥して引き出でつつ見る心地、后(きさき)の位も何にかはせん。昼はひぐらし、夜は目のさめたる限り、火を近くともしてこれを見、法華経も習はず、習はんとも思はず。只源氏の夕顔、宇治の大将の浮船の女君の如くあらんことを願ふ。女の情はげにかゝるものなるべし。日記の著者が、心の底をつゝみなく書きあらはせるは、甚だ面白きことゝ云ふべく、余は著者の無邪気なる日記を愛読す。日記の著者又た歌をよくす。或人が梅の木に向て、此花の咲かん頃再び訪はんと云ひて、咲く頃も来らざりければ、梅の枝を折りて歌をそへて送れる
『たのめしを猶や待つべき霜がれし
梅をも春は忘れざりけり』
と。あゝ霜がれし梅をも、春は忘れずたづね来て花咲かず。人の心の頼みがたなよ。
(「讀書百感 鳴潮餘沫」 木村鷹太郎)