美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(百六十四)

2018年10月31日 | 偽書物の話

 おずおずと差し出した質問に直ぐには応えず、水鶏氏はそぞろ黒い本を開け閉てしている。定めし挿し絵の人物に挙動の含意を探り、その顔色を読んでいる具合である。作為的に焦点をぼやかして、絵頁に埋ずみ隠れた紋様を視感で捕らえるための工夫なのか、窮屈な体勢で鋭い理方の眼孔を黒い本へ近づけ遠ざけしている。
   そうこうするうち、水鶏氏は椅子の背に沿って少しずつ体をのし上げ、やがて床から椅子へ斜めに立てかけたつっかえ棒になって固まる。体全体で完全な直線形を成しているので、何者かがたわむれに頭を押した場合、椅子を支点とする梃子の原理で伸び切った脚が爆ぜて、重たげな机をひっくり返すことも簡単にできそうである。机の上で犇めく古書、笠付ランプ、インキ壺、雑誌類相互の妙絶な引力と斥力とによって釣り合っていたつかの間の小宇宙は、偽書物や石山もろとも反転して瞬くうちに雲散霧消してしまうのである。そんな儚い均衡に乗じているからこそ、眼前の机は水鶏氏の自心が安心して放逸し得る場になっていると評して大した誣言になるまい。
   「私がこの本と感応して別世界に没入したのが、どの時機だったか、既に陽のあたる記憶の領野には跡形もありません。それに、この本は追思を人に催起させる薫りを外へ洩らしてくれないのです。」

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