美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

坂本龍馬襲撃の諸因(小林博)

2018年10月28日 | 瓶詰の古本

 坂本暗殺の原因は、伏見の寺田屋で、同心二名射殺したことが、直接原因となつてゐたが、其の他にも、より以上の有力な原因があつた。彼が薩長聯合を策したり、大政奉還の黒幕となつたりして、幕府の不為を計つたばかりでなく、当面の政局にも、猶ほ重要な位置を占めてゐたので、幕府の不利として、除いたらしいやうに見える。当時彼は、長崎に海援隊を組織して、自ら隊長となり、盛に海軍振興や、通商航海の奨励をして、幕府の向ふを張つてゐた。殊に海援隊のいろは丸が、此の年の四月廿三日の夜半頃、濃霧の為め、紀州藩の明光丸と、備後の鞆津沖で衝突し、沈没したことがあつた。其の時坂本は、幕府の異身同体と見られてゐる紀州藩に迫り、英国提督キングを証人とし、国際公法に照すぞと脅かして、無理矢理に八万三千両を、賠償せしめたことがあつて、大分恨まれてゐた。
 中岡は、坂本とは同郷であり、刎頚の友であつたが、其の主義は旧幕府の破壊倒滅にあつた。それ故岩倉具視や、西郷吉之助、大久保市蔵などゝ深く結託し、洛外白川村の陸援隊を以て、これが一助をなさんとしてゐた。坂本は、中岡の戦闘破壊に対し、建設組織の方策を以て臨み、王政復古の為めに公議政体をとるとか、当初の財政策は如何に講ずべきかとか、かうした方面迄既に努力してゐた。彼は王政復古の為め、幕府を必ずしも、戦闘によつて、倒さねばならぬとは考へなかつた。藩閥専横の弊を避ける為め、幕府をも打つて一団とした、公議政体の建設を策する等に至つては、却つて薩長の功名的立場よりは、疎んぜらるゝ傾向さへあつた。坂本の暗殺には、此等の諸因の何れかに起因して、大なる黒幕があつたかも知れず、如何なる方面の手であるかを知りながら、憚つて語らぬ、と云ふ人さへある。此等は幾分なり、かゝる消息を語るもので、万一さうなると、単に下手人が誰彼と云ふ問題ではないことになる。

(「趣味の幕末秘史」 小林博)

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