美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(百六十三)

2018年10月24日 | 偽書物の話

 私が偽書物の中で読めない文字と邂逅した時、不詳の文字を何と名付けたらいいのか、女に尋ねてみた。初めて見る奇怪な文字形へ付すべき名称を尋ねて答は得られず、況して頁の白地へ文字の黒が隆起し蠕動して、幻境世界へ私を拉してくれることはかつて一度もない。ズカズカと古本屋の店に入っては勝手な振る舞いで女を怒らせた得体の知れない男も、黒い本の幻界を云々することはなかった。判読できない文字を一個一個読み解く術から早々見捨てられた惰夫の私だが、文字の詰まった頁の合間合間に挟まれた挿し絵が射掛けて来る風切の矢に好奇心のつぼを刺し貫かれた。それほどの書物の絵頁に目が留まらぬ水鶏氏とは思われない。
 「お話しの別世界を先生が見聞するに至ったのは、黒い本を繙かれる咄嗟の間、本の数頁と経ないうちに起きた出来事ではないですか。大略は、黒い本の扉を開くと同時に頁を占める白地と黒影とが生動して形を成し、別次元の世界がたちどころに先生の周辺へ迸出したということではないですか。」
 無謀な推理の押し売りをしでかして、言ってるそばから恥ずかしさに紅潮して行くのが分かる。つねづね学習しない空疎な理会癖は恨めしく、元より私の立場で水鶏氏の繕いに手を染めようと瞬息でも思い立つ無分別の神経が怖ろしい。

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