画像の左が湾の奥、右が有明海側。
僕の家はこの位置から70キロほど離れた有明海の一番奥にあった。海岸からは10キロぐらい離れていた。気候風土は日本的ではない。中国江南の雰囲気だ。非常によろしい。
そんな田舎には気が遠くなるほどの金持ちがいる。都会の金持ちなんていくら稼ごうと自転車に上手に乗れただけだ。止まれば倒れる。
100年前は名字(みょうじ)もなかった人が名前を奪われたと朝鮮では騒いでいるが、日本のいなかの庶民という貧乏人も同様だ。
そんな中にいる金持ちはすさまじい。家の庭の池を有明海に形にし、干満の潮の動きに同調して池の水位が変化し干潟の位置が分かるようにしていた。ある藩の家老の庭であるが、彼はDNAに刻まれているのだろう。いわゆる家老顔をしていて、どんな時もおっとりとその場を丸く収めた。すぐけんか腰になる貧乏人ができることではない。
今風に言うと総合商社の水産担当重役と言ったところか。本人から聞いたかどうかは忘れてしまった。というのは柳川の人はみんな言ってる。海は死んだ。死んだ者は生き返らない。
有明海はゆりかごを失った。極めて遠浅の諫早湾は魚の大きさに応じて近づける岸からの位置が決まった。つまり大型魚は小型魚が産卵するところまではいけなかった。魚はその種類と大きさに応じて干潟を利用して自分たちの安全圏を得ていたのだ。
生まれた稚魚はその大きさに応じてゆっくり沖に出て、やがては有明海の懐に抱かれていく。その諫早の大事なゆりかごを壊したのが農水省である。タイラギ(二枚貝、貝柱を食する)は絶滅した。
僕が小さいころ、親はご飯を節約するためタイラギ飯を作った。実際にはタイラギに少しご飯粒があるだけのもので、それほど大量にとれたということだ。
今後どんなに環境が改善してもこんなに豊かな海は戻らない。タイラギはもういないのだから。
ノリはかえって豊作だというバカがいる。お前はノリを魚と思っているな。
世紀の愚行であるということは、建設前からの常識であった。周辺住民は目の前の補償金に飛びつき生活を失った。
今入植農民と漁民が対立している。実に痛ましい。犯人は霞が関で笑っているぞ。
言いたいことのうちわずかしか書けませんでした。飛躍した文章があり読みにくかったと思います。しかし僕の真意は伝わったと思います。先日船で沖に出るときれいな砂が見えました。僕は震えが来ました。砂。砂。有機質の中で蠢(うごめ)く微細な生物の集まる潟ではなく、砂。農水省さえなかったら豊饒(ほうじょう)の海は残ったのに。