か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 58

2019年09月20日 | 韓国

<前回のつづき>

日帝時代、韓国の資本主義的転換が解放と戦争を通じて全面的に否定されたのではなくだいたいにおいて温存されたという事実も正確に認識する必要がある。1940~50年代半島南部に対する米国の直、間接的支配には日帝の残滓の「清算」よりも「持続」の側面がはるかに多かった。解放以降、冷戦と反共主義は真の脱植民地化を妨げる最大の障壁であった。そして、植民地近代化批判論は半島南部の場合とあまりにも対照的な北朝鮮の現実の危機状況を指摘しつつ全般的な日帝の植民地支配の経済的効果を疑ってみているが、これは説得力が弱い。なぜなら、解放以降に韓国が日帝の遺産を大挙して継承したしまた資本主義的発展戦略をとっていたのに対し、北朝鮮は最初から日帝遺産を徹底的に清算したのみならず韓国とは正反対にチュチェ、社会主義の道を歩いたからである。このように、日帝時代の経済成長の遺産が北朝鮮の場合には当てはまらない理由は自明であるといえよう。

 

しかし、ここで植民地近代化論という概念自体が植民地近代化批判論者たちの「誤解」を招いている側面だけはよく考える必要がある。「発展」とは異なり「近代化」は学問的にみるとき価値中立的な概念だ。しかしそれが通常使用されるときは肯定的な意味を含んでいることも事実である。よって、植民地近代化を「植民地工業化」とか「植民地時代経済成長」という概念に置き換える必要がある。これは単純に「誤解」を避けるための戦略としての意味を持つものではない。むしろ、植民地時代を多面的に、そして多次元的に理解するためにも「近代化」のような包括的であり広義の概念は分析的な側面から適切ではないこともありうるからだ。

 

 

次回用メモ  【 새 친일파를 위한 변명 】 김완섭 (46)  から

 


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